第九話 迎撃作戦準備

 状況の確認や資料の準備など、作戦説明に必要なことが終わったのは午後十時を回った頃だった。

 一階にある食堂の一角で。ユウキは、ミユキとラプラスにそれぞれ紙と電子の資料を渡して作戦説明を始める。


「今から二時間前に、北北東約一五〇キロメートル地点にて大型の〈天使〉――〈智天使ケルビム〉が発見された」


 〈智天使ケルビム〉。現在確認されている五種類の〈天使〉のうち、上から二番目の位置に該当する〈天使〉の総称だ。

 基本的には武力での攻撃に特化している種類で、去年十二月にあった〈智天使ケルビム〉の襲来では、魔導士を含む約一三万人もの将兵が犠牲となった。


「コードネームは〈オファニエル月天使〉。先遣偵察隊が最後に残した情報によると、全高は約一〇〇メートル。予想される攻撃方法は資料に記載の通りだ」

「最後に残した……か」


 ラプラスが意味深に言葉を漏らす。

 恐らく、この先遣偵察隊は既に壊滅しているのだろう。でなければ、“最後に残した”などという言い回しはしないはずだ。

 彼女の説明を聞き終えて、ミユキは手渡された資料に目を通していく。〈オファニエル〉の予測攻撃方法の欄に目を移したところで、ミユキはぴくりと眉を上げた。


「……この、“超強力な光線”って、いつもの光線となにが違うんだ?」

「読んで文字の如くだ。光線の威力と射程が〈主天使ドミニオン〉の数倍はあると想定されている」


 ユウキに続いて、ラプラスが補足情報を付け加えてくる。


「過去の〈智天使ケルビム〉襲来の記録の中には、最大で三キロメートルにもなる長射程かつ広範囲の光線が記録されている。さすがに今回のはこれ程じゃあねぇだろうが……。なんにせよ、気をつけねぇと即死だ」

「〈智天使ケルビム〉の大型光線は、基本的に魔導盾シールドによる防御は不可能だ。事前の動作を見切り、即座に射線上から退避する能力が求められる」

「まぁ、〈D-TOS〉の魔導が使える魔導士ならこれ自体はそこまで難しいもんじゃない。大事なのは、冷静に戦場を俯瞰して戦うことだ」


 魔導士は〈D-TOS〉による身体及び各種神経系の強化によって、敵の攻撃を回避すること自体は容易である。

 だが。魔導の使用者が冷静さを失えば、魔導の出力は低下し、更には停止の危険性すらも発生しうるのだ。そして。敵前での魔導の停止は、それこそ死に直結する。

 二人が予測攻撃方法の欄を読み終えたのを確認して、ユウキは説明を続ける。


「また、今回の作戦は三段階に分かれて構成されている。まず第一段階だが、これは防衛線の前方に配置された警戒部隊が敵の捕捉及び足止めを行うものだ。私たちが行うのは第二段階、魔導士部隊による〈智天使オファニエル〉の撃滅にあたる」


 現在も〈オファニエル〉の行動観測は行われてはいるものの、〈天使〉には異次元転移という、いわば量子テレポートのようなものが備わっているのだ。目標の観測ができなくなることをあらかじめ想定して、予測到達戦域には特設の警戒部隊が張り巡らされている。

 そして。


「第三段階は、核か」


 彼にしては珍しい苦い口調で、ラプラスは呟く。


「十二月に襲来した〈智天使ケルビム〉の攻撃によって、現在の北部戦線には対抗しうる魔導士部隊がほとんど存在しない。他戦線からの引き抜きもできない以上、万が一私たちが撃破されたり、異次元転移による逃走が行われた場合、撃滅する手段はそれしかなくなる」


 一応、〈天使〉は現在の人類が保有する最強の炎――核兵器によって、撃滅自体は可能である。

 しかし。核兵器はその絶大な火力故に、使用地に大きな傷跡を残す。これは、人類生存圏を広げるために戦う軍にとっては看過しがたい影響なのだ。

 人間が使用できる土地を奪還するために戦っているのに、使えない土地を創り出してしまっていては本末転倒でしかない。


「〈オファニエル〉の到達予想時刻は、今から約七時間後の午前五時二五分だ。それまでは各員、〈D-TOS〉の精神接続クロッシングを行って待機とする」


 そう宣言すると、ユウキはミユキに視線を向ける。


「ミユキ。お前は上階で仮眠をとっていろ。……今回の作戦は、今までの戦闘とは比べものにならない程の過酷なものとなる。これを完遂させるには、突破力のあるお前が肝要だ。万全を期したい」

「……わかった。お前が言うなら、そうする」


 決意の炎を紅玉ルビーの双眸に灯して、ミユキは言い置く。それだけ言うと、ミユキは資料を持って二階へと消えていった。




 それから、いくらか経った頃。

 通信機を耳に精神接続クロッシングを終えたユウキは、椅子に座って目を瞑っていた。

 即座に応答して行動しなければいけないという役柄上、ユウキまでもが仮眠を摂るわけにはいかない。とはいえ、今日……というか昨日は一日中戦闘をしていたのだ。流石に全く休息を摂らないでいると、戦闘中に倒れかれない。そういうわけで、こうして目だけでも瞑っていたというわけだ。 

 先程飲んだカフェイン錠剤が効き始めているのを感じていた、その時だった。


「……アレスシルト大尉。あんたはこの作戦、どう思う?」


 ラプラスが通信機越しに訊ねて来るのに、ユウキは左目だけを開けて彼の黒いモノリスへと向ける。


「どう思う、とは?」

「確かに、現在の北部戦線には熟練魔導士部隊は不足している。各方面軍司令部の思惑もあって、他戦線からの引き抜きができないのも納得できる。……だが。いくらなんでもというのは、さすがに奇妙だ」


 そう。

 彼の言う通り、今回の〈オファニエル〉迎撃作戦の第二段階には、ユウキたち特設S技術T試験部隊Tにのみ戦闘の指示が下っているのだ。

 STT以外の部隊が対峙するのは〈オファニエル〉が引き連れる小型の〈天使〉であって、直接対峙することは全くといっていいほど想定されていない。


 迎撃するにしても、最終段階でようやく核を使用するというのも妙な話だ。

 北北東約一五〇キロメートル地点にて発見された〈オファニエル〉は、現在もなお観測が続けられている。

 ならば。今、核を撃つのが最善手なはずだ。

 いくら土地に傷跡を残すといっても、現在のライン連邦の国力と軍事力では一〇〇キロメートル先の奪還など、何十年後になるのかも分からない。


 そして。何十年もの間を不毛の地にするほど、核兵器は汚染をばら撒くような兵器ではない。十分な射程のある大陸間弾道ミサイルICBMもあるのだから、終末誘導を観測部隊に任せさえすれば、先制攻撃は実行できるはずなのだ。

 これらのことから導き出されるのは、一つ。


「……恐らくだが。司令部は、今回の襲来を私たちという対〈天使〉の実験に利用するつもりなのだろう」


 冷徹に吐き捨てたユウキの言葉に、ラプラスは怪訝な音声を脳に送ってくる。


「これぐらいの〈天使〉は撃破できないと、この先も使い物にならないと?」

「さぁな」


 と、ユウキは呟いて。再び、左目を閉じる。


「……だが。私たちが生き残るには、目の前に課された使命を全うする他ない」




  †




 自室に戻ったミユキは、耳に通信機を付けてそのままベッドに仰向けに倒れ込んでいた。

 〈D-TOS〉との精神接続クロッシングを完了し、ミユキは言われたままに瞳を閉じる。そのまま眠りに落ちようと画策して――


 ……眠れる、わけがなかった。


 月明かりに照らされるベッドの中。脳裏に蘇ってくるのは、五年前のあの日。故郷の街が〈天使〉の襲撃にあった時の記憶だ。


 あの時、ミユキは街の人を誰も助けられなかった。父さんも母さんも助けられなかった。

 妹のキルシェが光と化していくのをただ見つめて、〈天使〉から逃げ惑うことしかできなかった。

 無力だったから。力がなかったから。

 だけど。今は違う。今のミユキには、力がある。

 誰かを救えるだけの力がある。〈天使〉を屠るための力がある。

 今度こそ、大切な人を守りたいとミユキは強く想う。

 それが、ミユキがまだこの世界に生きている意味で、唯一の贖罪しょくざいだから。

 たとえ、この命に替えてもユウキを守る。

 そう、強く誓った。




  †




 午前五時五分。特設S技術T試験部隊Tの固定電話には、一つの通知が届く。


「……了解した。これより、所定地域へと急行する」


 そう言って電話を切って。ユウキは険しい面持ちでラプラスに告げる。


「ミユキを起こしてくれ。……〈オファニエル〉が、第三戦線の警戒部隊と交戦状態に入った」

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