第一章 記憶の中の眼差し

第一話 卒業

 心地のいい春の日差しと、白雲の輝く青い空。

 ライン連邦共和国首都、ツィタデレ。その郊外に位置する陸軍下士官学校では、今期卒業の下士官候補生たちによる卒業式が終わったばかりだった。


 桜がはらはらと舞い散る校舎の前には、楽しげに談笑を交わす少年少女たちの姿がいくつも見えていて。彼らの胸元には、一様に赤い花を模した造花ぞうかが飾り付けられていた。

 卒業という一大行事を終えたあとの、歓喜と少しの名残惜しさと。そんな、平穏そのものの雰囲気のさなか。


 校舎と屋内演習場の渡り廊下の窓際で、その少年――ミユキ・ヘルフェインはぼんやりと外の景色を眺めていた。

 窓から吹き込む暖かな風が、彼の濡羽色ぬれはいろの黒髪と胸元の赤い造花を揺らす。天性の愛嬌を感じさせる紅玉ルビーの双眸は、どこか暗い色を湛えて蒼穹そらを見つめていた。


 ちらりと眼下の同期たちを見て、たぶん、みんなの心の中には未来への希望や復讐を誓う激情などでいっぱいなのだろうな、とミユキは思う。

 なにせ、下士官学校には上級士官学校を落ちた者か、〈天使〉に家族を奪われた者しかいないのだ。将校を目指す者にとってはここは挽回の場であり、復讐を目指す者にとっては、ここは復讐の出発点となる。


 だから。ミユキは今の学校の――とりわけ校舎の外に充満している雰囲気には、どうにも馴染めなかった。

 なぜなら、今、ミユキの心の中を支配しているのは、恐怖と不安だからだ。

 、大切な人を傷つけてしまのうのではないかと。自分は大切な人も平気で傷つけてしまう人間だから、配属先の部隊でも何かやってしまうのではないかと。


 そんな不安が配属が決まったその時から大きくなり続けている。

 そして。そんな感情を持っているのも自分しかいないのだと確信できるからこそ、ミユキは微かな孤独感も感じていた。


 再び、視線を空へと移す。

 そこには、先程と同じクロワッサンのような白い雲と、春に特有のかすみがかった青い空が地平線の彼方まで続いていた。首都とはいえ、ここは軍関係施設の集まる郊外だから、蒼穹を遮るものはほとんどない。

 青い空を見ていると、心の中の孤独感と不安感が少しだけ和らいでいくような気がして。だから、ミユキは青空が好きだ。いつまでも見ていられるな、とさえ思う。


「お、もう来てたのか」

 突然少年の呼びかけるような声が聞こえてきて、ミユキは意識を目の前へと引き戻す。声のした方向へと視線を向けると、そこには一組の少年少女がいた。 

 ミユキと目が合うなり、少年は肩を竦めて苦笑したように笑う。


「相変わらずなんだな、お前」


 紫水晶アメジストの双眸に、深い海の青髪。彼の名は、アレンスト・フリーダー。ミユキの幼馴染の一人だ。ふ、と自然な笑みをこぼして、ミユキは言葉を返す。 


「そういうお前もいつも通りらしいな、アレン」

「ま、首席と三位の卒業者が出るんじゃ、俺も出るしかねぇからな」

「ちょっとアレン。あんたは私のせいで出る羽目になったって言いたいわけ?」


 菫青石アイオライトの瞳を不満げに細めて、もう一人の少女――レツィーナ・レルヒェは口を尖らせる。

 金色の髪を肩口のあたりまで伸ばした彼女も、アレンと同じくミユキの幼馴染だ。


「……まぁ、それもあるかも?」

「なら、私の足を引っ張らないように頑張ってよね。学年成績二位さん?」


 挑戦的な笑みを浮かべるレツィーナに、アレンはミユキをちらりと見ながら苦く笑う。


「ま、せいぜい瞬殺されないように頑張るよ」

「そんな消極的にならないの!」

「へいへい」


 そんなふうに軽口を叩き合いつつも、三人は屋内演習場の方へと歩いていく。


「そういや、二人の配属部隊なんだったんだ?」

「俺は新設魔導士小隊の小隊長だ。んで、レツィーナが」

「その副長になる予定」


 アレンの肩越しに、レツィーナがにっとした笑みを向けてくる。


「てことは、二人はもう中尉と少尉なのか。すごいな」

「すごいなって……。お前が言うか? それ?」


 本心を言っただけなのに、アレンはまたもやその顔に苦笑いを浮かべている。どうも、さっきから彼の表情は苦笑しか見ていない気がする。


「ミユキは最新鋭機の試験部隊に配属――それも、指揮官の抜擢ばってきでされたんでしょ? 私たちなんかよりも、あんたの方が何倍もすごいじゃないの」

「ま、実技も座学もずっと学年一位だったしな。入学前の適性検査も一番良かったらしいし、当然っちゃ当然だろ」


 平然とそんなことを言われて、ミユキは二人との間に微かな壁を感じてしまっていた。


 ……分かってはいるのだ。二人の言葉は、単純な賞賛と少しのからかいが込められているだけで。そこに悪意がないということぐらいは。


 けれど。不安と恐怖に駆られるミユキには、その言葉が二人との距離を遠ざけているように感じてしまうのだ。

 張り付けた笑みを浮かべて、ミユキはわざとらしく言う。


「けど、チームプレーができなきゃ意味ないだろ? 実戦は集団戦闘なんだし、それを考えるとおれより二人の方が優秀だよ」


 確かに、実技と座学は二人の言う通りずっと首位を独走していた。けれど。団体戦となると、ミユキは下から数えた方が早いぐらいには苦手だ。

 そんなミユキの抗弁も虚しく、二人は無垢なからかいの言葉を投げかけてくる。


「そう言って、この後の模擬演習で俺たちのことボコボコにするくせにな」 

「自分を過信しすぎないのはいい事だけど、謙遜のし過ぎは良くないわよ?」


 好意の笑みを浮かべて、けれども軽い口調の中にもミユキを心配してくれる感情があるのが伝わってくる。壁なんてないと言外でなくとも分かる、幼馴染だからこその距離感と親切。だから、ミユキは言えない。孤独と不安を抱えているだなんていうことは。


「……ごめん」 


 結局、それしか言えなかった。

 廊下を渡り終えたところで、校内スピーカーからアナウンスの声が鳴った。


『特別模擬演習まで残り三十分を切りました。特別模擬演習の出場者は、戦闘準備ののち控え室にて待機してください』


 その言葉に、三人は互いに目を見合わせて。また後でという言葉と共に、それぞれの控え室へと向かっていった。





 自分の控え室に入ると、机に置かれていたのは魔導士用の戦闘服と通信機。そして、軍制式の青い宝石が埋め込まれた小銃と二本の長剣だ。戦闘が地味になるからということで、本来支給されるべき拳銃はここにはない。


 ――魔導士。


 それは、現在世界を席巻している人類の敵、〈天使〉を打ち倒すために生み出された兵科の一つである。 

 〈D-TOS〉と呼ばれる戦闘システムを駆使することによって、文字通りの自由自在な戦闘を可能にした、新時代の象徴ともいえる存在。それが、ミユキたち魔導士だ。


 下士官学校の制服を脱いで、机に置かれていた真新しい魔導士戦闘服に袖を通す。形状こそ通常の軍服と変わらないものの、その色は漆黒に近い紺青で。その上にはもう一枚、生地の厚いロングコートが支給されていた。

 こちらは防刃ぼうじん・防弾性能をより付加されている代物で、戦闘時には更なる耐弾たいだん性能が付与されるような構造を持っている。その上、コートに組み込まれた〈D-TOS〉論理回路によって、多少の暑さや寒さならば防げる空調機能付きだ。


 全身鏡の前で、軍服に身を纏った自分を見つめてみる。

 こうして魔導士用の戦闘服を着てみても、まだ正規の軍人になったことに実感が湧かない。そのうち、湧いてくるのだろうか。


 〈D-TOS〉システムとの接続機器を兼ねた通信機インカムを耳に取り付けて、二本の長剣を左右に差す。

 小銃のスリングベルトを肩に引っ掛けてから、目を閉じて一つ小さく呟いた。


「〈D-TOS〉、予備起動」


 コンマ数秒後、ミユキの脳内に無機質な機械音声が響く。


【〈D-TOS〉システム起動完了。精神接続クロッシング同期中――完了。予備起動状態構築開始】

【飛行魔導を戦闘状態に設定。各種神経系の感応速度強化を設定。戦闘適応処置の予備起動を完了】

【〈魔導銃レーヴァテイン〉および〈魔導剣ダインスレイヴ〉の出力設定完了。全〈D-TOS〉戦闘システムの予備起動を完了】


 ……これで、戦闘時に簡単な起動入力を行いさえすれば、〈D-TOS〉システムは即座にフル稼働の状態になる。

 準備が整ったのと同時に、スピーカーからアナウンスが届く。


『それでは、各位、演習場へと入場してください』


 振り返り、演習場に繋がる扉へと足を運ぶ。遮音性能が良いせいでほとんど聞こえなかったが、耳をよくすませてみると、そこからは地響きのような歓声が聞こえてきていた。


 ……よし。


 やるぞ、と自分を鼓舞して。ミユキは演習場へと足を踏み入れた。

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