第5話 納棺師の五つの掟

「掟ぇ?」

 アルーは半眼でこちらを見ながら鼻を鳴らした。


納棺師フネラリウスには五つの掟があるんだ。この迷宮では、生きるも死ぬも紙一重だからな」

 歩き出しながら、俺はアルーに目を向ける。


「俺たちの仕事はたった一つ。死体を形骸化モルグヴィアさせないこと。それだけだ」

 アルーの赤い瞳が好奇心で揺れているのがわかる。

「迷宮に死体が残れば、多くの犠牲が出る。形骸化モルグヴィアしたら、その迷宮の危険度は跳ね上がり、ほとんど立ち入れなくなる」


「だから、レギが頑張ってるってことだな!」

 アルーは得意げにうなずいて見せた。


形骸化モルグヴィアは死因や身体の状態にもよるが、早くて7時間程度で発生することがある」

「じゃあ、7時間で回収して戻ってこないといけないってことかぁ。結構シビアなんだなぁ……」

 アルーは腕を組んで鼻息を荒くする。と今更ながらに意外と話が通じるもんだな、思う。


「いや、とりあえず目標は7時間で遺体のところまでたどり着くことだ。形骸化モルグヴィアの進行を一時的に留める方法があるからな」

「7時間で遺体を回収するのって、難しいの?」

「死亡してから同行者が迷宮を脱出して、納棺師フネラリウスに依頼して回収までだと、かなりギリギリになることが多い。だからそのために掟があるんだ」


 歩きながら話していた俺たちは二層の中央部分にたどり着いた。俺は倒木に腰を下ろし、指を一本一本立てて説明する。

「一つ、戦わない。二つ、助けない。三つ、探索しない。四つ、踏破しない」

「何にもしないじゃん、それでいいの?」

「いいんだ。もし納棺師が死んだら、回収するのがより難しくなる。余計なことはするなってことだ」

 俺の言葉にアルーは目を丸くして黙り込む。


「じゃあ、オイラが聞いた心音のやつも……助けないのか?」

「そうだ。生きているなら、運に任せるしかない」

「……わかった」

 アルーは少し沈んだ顔をしたが、何も言わなかった。気まずい沈黙が流れる。生存者がいることを知りながら助けないことの罪悪感に苛まれているような表情をしている。俺はふと、アルーは本当にドラゴンなのかと思う。なぜ、この子供ドラゴンはこうも知らない冒険者の人間のことを気にかけるのだろう。わからないことばかりだが、少なくとも悪い奴ではなさそうだ。


 そのとき、かすかな悲鳴が聞こえてきた。若い女性のものだ。

「レギ……!」

 アルーは驚きと恐怖を目に湛えてこちらを伺ってくる。俺は声が聞こえた方向を向いて「行くぞ」と言う。アルーは掟と反するような俺の言動に「いいの?」と言わんばかりに目をぱちくりとさせている。それに返答はせずに先を急いだ。


 声が聞こえた方に行くと、森の中のぽっかりと空いた土地で、1人の冒険者が三匹のオルファウルフに取り囲まれているようだった。冒険者は俺と同じ年頃の獣人のように見える。キツネ耳で小麦色の髪をした少女だ。肩口には咬み傷があり、血が流れている。ダガーナイフを片手に持ち、ウルフたちを牽制しているが、あまり効果がないらしい。ウルフたちは勝利を確信しているのだろうか、狩りを楽しむようにじわじわと獲物を追い詰めていた。アルーは息を飲む。


「あまり大声を出すなよ、アルー。こっちまで気づかれてしまう」俺は木陰に隠れながら小声でアルーに声をかける。

「レギ、助けるのか……?」

 アルーは不安そうな目で俺を見てくる。先ほどまでは助けると息巻いていたが、獣人の血を見て怖気ついたようだった。「三匹くらいならなんとかなるだろう」と言い、俺は頷く。


「オイラ、レギが死んだら帰れないぞ」

「縁起でもないこと言わないでくれよ……。俺は簡単には死なないよ、たぶん。アルー、ここで待っていてくれ」アルーは不安そうに頷いた。


 暑くもないのに額から一筋汗が流れる。俺は今から命と対峙する。いつもそう思うと無意識に汗が流れるが、それに相反するように心は冷静に冷たくなっていく。


「賢い方が勝つ」


 俺は自分に言い聞かせるように呟きながら、ポケットから小瓶を取り出した。中には死体の消毒や保存に使う天然の消毒液が入っている。


 この液体は「アンティセプタス」という全高4メートルほどの巨体を持った食肉植物のモンスターが生成するもので、消毒と腐敗を防ぐ成分が含まれている。アンティセプタスは、寒冷期になると獲物が減るため、この鋭い匂いが特徴的な消毒液を使って獲物を長期保存し、飢えをしのぐという独特の生態を持つ。


 俺はその消毒液をウルフたちの周囲に慎重に振り撒き、自分にも軽く振りかけた。そして静かに一歩踏み出す。


 オルファウルフはようやく異常に気がついたようで、あちこちに鼻を向けて匂いを嗅ぎ取ろうとしている。周囲に点在している消毒液の強力な匂いに混乱しているようだった。


 オルファウルフは鼻が発達した生き物である。迷宮の中でも薄暗いところなどでは視覚の情報より嗅覚の情報が優先される。故に視覚を退化させ、嗅覚を発達させた種だった。これは弱点にもなった。


 三匹のうち、最も下っ端だと思われる小柄なウルフが、周りをうろつきはじめる。おそらく、斥候のような役割をもっているのだろう。しかし、その役割も今やこの消毒液の匂いによりほとんど機能していない。


 俺は腰元にかけた鞘から細身の剣を抜く。切るのではなく、突き刺すようにして使う、いわゆるレイピアと呼ばれる類の剣だ。小柄なモンスターはこれで急所を突き無力化するのが最も合理的な戦い方だ。


 斥候のウルフに静かに駆け寄り、勘付かれる前に首筋にレイピアを突き刺し抜く。ウルフは声もなく身を震わせた。頸動脈に到達した刃先を抜くと、血が吹き出る。ウルフはその体をばたりと横たえて、痛みと出血により起こる窒息でもがくが、すぐに静かになる。あたりにはウルフの血と消毒液の匂いが漂っている。一匹仕留めた。


「一匹で済ませてくれよ……」


 狐耳の少女は、驚いた表情でこちらを見ている。俺は目で大人しくしているように伝える。残された二体のオルファウルフは同胞の血の匂いに狼狽えている。


 ここが正念場だ。俺は近場の腰の高さほどの茂みに駆け寄り、力任せに揺すった。ガサガサと葉の擦れる音が鳴り響く。オルファウルフはその音に驚く。こちらの思惑通り、この消毒液の匂いと、斥候の血の匂い、それにこの茂みの揺れる音に「アンティセプタスが現れた」と勘違いしているようだった。二匹のオルファウルフは獲物に追われるウサギのように逃げ出していった。狐耳の少女はさらに驚いたように目を丸くしている。


 俺は一息ついて、少女に駆け寄る。少女は気を張り詰めていたのか、気絶するように体をよろめかせた。その体を受け止める。まるで体が骨組みなのではないかと疑わしいほどに軽い体だった。腕の中で寝息を立てている。とりあえずは大丈夫そうだ。ふよふよとアルーが近寄ってくる。  


「レギ〜。おみごと〜」

満面の笑みで近づいてくる子供ドラゴン。随分呑気なやつだな。今俺の腕の中にいる彼女が眠っていてよかった。


「よっ! かっこよかった! レギ先生!」

アルーは短い手でパチパチと拍手をした。そういう動きってどこで覚えてくるんだ? 

「なんとかなったな」

「助けないとか言ってたのに、結局助けてくれるんだね〜」

 アルーはニヤニヤと俺の顔を覗いてくる。俺はさっきまで戦闘の緊張と研ぎ澄ませていた冷静さが解けるように心音を響かせる体を感じながら、にやりと笑う。


「"五つ"の掟って言っただろ?」

「あれ? そういえば四つまでしか聞いてなかったかも」


俺は改めて指を一本ずつ立てる。

「一つ、戦わない。二つ、助けない。三つ、探索しない。四つ、踏破しない」

「そして五つ目は?」

アルーが爛々とした目でこちらを見る。


「時にはその全てを破る勇気を持つことだ」

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