第7話 葛藤と決断

週末の午後、理恵は木村と再び六本松で会うことになった。二人が初めて再会したカフェの前で、少し早めに着いた理恵は、木村が来るのを待ちながら心を落ち着けようと深呼吸をした。彼との関係が少しずつ進展していることを実感しながらも、理恵の心にはまだ不安が残っていた。


「本当に、これでいいのかしら……」


理恵は、胸の中でつぶやいた。木村との再会は、彼女にとって思いもよらない出来事だった。48歳で再び恋愛に踏み込むことが、現実的かどうか分からない。さらに、木村の元妻・美香が福岡に戻ってきたことで、状況はさらに複雑になりつつあった。


その日、木村は少し遅れてカフェに現れた。彼は疲れた様子を隠しながらも、理恵に微笑みかけた。


「ごめん、少し遅れちゃった」


理恵は気にする素振りを見せずに微笑んだが、彼の顔に漂う疲労感が気になった。


「大丈夫よ。でも、少し疲れてるみたいね」


木村は苦笑いを浮かべ、深く息を吐いた。


「最近、いろいろあってね。美香が福岡に来てから、なんだか落ち着かないんだ」


その言葉に、理恵は一瞬胸が締め付けられるのを感じた。木村と美香の関係がどのように進展しているのか、彼女にははっきりと分からなかった。木村は、元妻との間にまだ何かしらの未練が残っているのかもしれないという不安が、理恵の心を揺さぶっていた。


「美香さん、何か言ってきたの?」


理恵は、慎重に尋ねた。木村は少し視線を下げながら、静かに頷いた。


「彼女は、俺たちがやり直せるんじゃないかって言ってきたんだ。でも、俺にはもうそんな気持ちはないんだよ。ただ、彼女のことを完全に切り捨てることができない自分がいる。それが問題なんだ」


理恵の胸の中で、小さな痛みが走った。木村の言葉に、彼がまだ完全には過去と決別できていないことを感じ取ったからだ。彼が元妻との過去をどう整理するのか、それが二人の関係に大きな影響を与えることは明らかだった。


「木村くん、あなたが彼女のことを気にかけているのは、当然だと思う。過去のことを簡単に切り捨てるなんてできないし、彼女と一緒に過ごした時間は大切なものよ。でも……」


理恵は少し間を置きながら、彼の瞳を見つめた。


「でも、あなたが本当にどうしたいかが一番大事じゃない?彼女に引きずられるのは、あなたの幸せじゃないと思うの」


木村は、理恵の言葉に耳を傾けながら、深く考え込んでいた。彼自身も、何が正しいのか分からなくなっている。それでも、理恵の優しい言葉が彼の心に響き、少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。


「理恵さんの言う通りかもしれない。でも、どうすればいいのか、まだ分からないんだ」


木村は苦しそうに呟いた。理恵は彼の気持ちを理解しながらも、彼に対して何を言うべきか迷っていた。自分自身もまた、木村との関係がどうなるのか不安を抱えているのだから。


カフェを出た後、二人は少し歩きながら街を散策することにした。六本松の街は、週末の賑わいを見せており、人々が行き交っていた。理恵は、静かに木村の隣を歩きながら、彼の側にいられるだけで心が安らぐのを感じていた。しかし、その安らぎの中にも、将来に対する不安が付きまとっていた。


突然、木村が立ち止まり、真剣な表情で理恵に向き直った。


「理恵さん、俺は君との再会がすごく嬉しかったんだ。今でもこうして君と一緒に過ごせることが幸せだと思ってる。でも……俺がまだ過去に囚われてることを知ってるよね?」


理恵は静かに頷いた。木村の言葉には真実があった。彼はまだ過去の傷と向き合いながら、それでも理恵との関係を大切にしようとしている。


「木村くん、私もあなたと一緒にいることがすごく幸せ。でも、もしあなたがまだ美香さんのことを整理できていないなら、それを無理に押し込める必要はないわ。時間がかかっても、ちゃんと自分の気持ちに向き合ってほしい」


理恵の言葉は、木村にとって支えとなるものだった。彼女は自分に無理強いせず、ただ優しく見守ってくれる存在だと感じた。そして、木村はようやく自分の心の中で何を求めているのかがはっきりしてきた。


「ありがとう、理恵さん。俺、ちゃんと自分の気持ちを整理してみるよ。君と向き合うためにも、過去のことをしっかり片付けなきゃいけないから」


木村の決意を聞いた理恵は、心の中で少し安心した。彼が過去と決別し、二人の未来に向けて前進するための一歩を踏み出してくれることを期待していた。


その後、二人はしばらく黙って歩き続けたが、互いに安心感を覚えていた。言葉がなくても、二人の間には静かな理解が流れていた。木村が過去に向き合い、理恵との未来を選んでくれることを信じる時間が必要だった。


ふと、木村がまた足を止め、理恵を見つめた。


「理恵さん、俺が過去の問題を解決したら、もう一度ちゃんと君に向き合いたい。だから、それまで待ってくれるか?」


理恵は木村の真摯な表情を見つめながら、心の中で答えを見つけた。彼が自分と真剣に向き合おうとしていることが分かるからこそ、理恵もまた彼に対して信頼を寄せていた。


「もちろん、待つわ。あなたがちゃんと自分を取り戻せるまで」


そう言って、理恵は静かに微笑んだ。木村もそれに応じて、穏やかな笑顔を見せた。


二人はその後も少しだけ歩き続け、別れ際に軽く手を振った。理恵は木村の背中を見送りながら、心の中で新たな決意を固めた。


「私は、もう一度彼と一緒に歩んでいきたい」


彼女はそう思いながら、再び自分の道を歩き始めた。木村が過去と決別し、二人が新しい未来に向かう日が必ず訪れると信じながら。

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