第29話 夢の旅人のリスク2

 新はヒラリと共にバスに揺られている。

 行く先は彼の実家である。

 ルンルン気分で車窓に身を乗り出しているヒラリに比べると彼の表情は芳しくない。

 先に送り届けた父親、忠の事が気がかりなのであろう。

 あれから、半月も経ってはいなかったが、恐らく、忠の体には異変が起きて居るに違いない。



「爺さん、来たよ」

 玄関先で新は声をあげた。

 

 しばらくすると、彼の祖父が前かがみ、腰に手を添えながら奥の部屋から現れた。

 この人を元気にするには若い女性を見せるに限る。

 案の定、新の後ろに控えていたヒラリを目にすると、脳裏に電流が走りスイッチでも入ったのか、その背筋がピンッと伸びた。


「おう、戻ったか。それに、又、女人を伴って」

「不味(ます)かったかい」

「そんな訳があるモノか。で、その女人は?」

「あぁ、司に仕えているヒラリだよ」


「お初にお目にかかります。司の宮さまに仰せつかり、新の護衛を兼ねてこちらに赴きました」

「ほう、新の護衛とな。又、何かやらかしたのか?」

「違うよ、こっちに非はないよ。ただ、いけ好かない連中に目を付けられただけさ。それで、父さんは?」

「分ってはいるだろうが、余り良くない。あっという間に、ワシより年老いたみたいだ」

「やっぱりね。だろうとは思って居たけど」


 ヒラリが口を挟んだ。

「新のお父様の具合が悪いのですか?」


「それがのう~」

「爺さん!」


 新は爺さんを睨んでその意を伝えようとしている。


「そうか。・・・いや、ちょと風邪をこじらせて床に着いているだけだよ、お嬢さん」

「な~んだ。そうなのですか。なら、私、お見舞いに~」

「ダメだ!」


 新が口を荒げヒラリを見やった。

 彼はヒラリが忠の現状を見て、それを司に伝えるの事を恐れている。

 司の事だ、新たち夢の旅人のリスクを知れ得れば忽ち態度を一変するに違いない。

 最悪の場合は、意に反して新を金色世界から追放するかもしれない。

 司はそれだけの権力を既に手にしている。


 ヒラリは新の意図を探れずにポカ~ンと半ば口を開いて戸惑っている。

『なにも、そんなに邪見にしなくても』


「ごめんよ、ひらり。君に父さんの風邪が移りはしないかと心配になってね。なんせ、免疫が無いだろうから~」

「なら、その様に仰れば良いのに」


「何分、この新は女子(おなご)に対する配慮に欠けて居ってな。そこに行くとワシは違って居る。ヒラリとやら、ワシが五右衛門風呂を用意するから、今日はじっくり体を休めて行けば良い。やはり、夢の回廊を経ての旅で疲れて居るであろう」

「五右衛門風呂?」

 ヒラリはキョトンとしている。


「爺さん、急に口数が増えたと思ったら、また、それかい」

「何を言うか。ワシはヒラリさんの体を気遣ったまでだ」


 新は、

「ヒラリ、適当に爺さんと暇をつぶして居て、僕は父さんの所に行って来る」

「畏まりましたわ。では、お爺さん。その五右衛門風呂とやらをご一緒に~」


『ウオッ』

 たまげた爺さんの口から思わず入れ歯が飛び出すところだった。


「なにゅも一緒とは、のう、しゅぃん」

「ヒラリ、年寄りを刺激すると血圧が上がってぶっ倒れてしまうよ」

「わたくし、何かいけない事を言いまして?」


『かまととぶって』

と云う言葉がヒラリに当てはまるかどうかは分からないが、今の所、彼女の心の程を理解するにのは難しいようだ。



 新が部屋に入ると忠は布団の中で目を覚ましていた。

 人の気配を感じたのだろう。

 最早、彼をして夢の回廊に向わしめる力は無いようである。


「父さん、どう?」

「新か。分かっては居たがこの有り様だ。お前も、よくよく考えて行動しないとな~」

「うん、それはそうだけど~」

「司の宮を放って置けないか?」

「多分ね」


 忠はしばらく思案をした後、

「こう云う事も考えられるけどな」

「何よ、いきなり」

「お前が望むなら、司の宮をこちらに連れて来ればいい」

「でも、司には志が有って、それを叶える迄にはかなりの時間が必要なんだよ。いずれは、全てを投げ捨てるつもりでは居るけどね」

「女帝か?」

「うん」

「理想の国作りか?」

「うん」

「・・・それにはお前が必要なんだろ」

「居ないに越したことは無いだろうけど」


 束の間の沈黙が訪れた。 

 親子それぞれの胸の中に、口に出すのが憚れる事が有るのであろうか。

 新が意を決して切り出した。


「母さんの事だけど~」

「うん。分かっている。十数年も生きて居るか死んでいるか分からない人間を、微かな望みに託して待って居ろと言うのは余りにも酷な事だ」

「爺さんから~」

「全て聞いた。俺は余生をここで暮らすつもりだ。爺さんも承諾してくれた」

「そうなんだ。・・・一つ聞いても良いかな?」

「俺の生き様に付いてだろ」

「こんな目に遭うのは分かって居ただろうに、どうして、ヨミの世界の使いを買って出たの」

「何も俺だけじゃない。その昔、爺さんもそうだった。ああ見えて、正義感だけは誰にも引けを取らない。

 これが最後になるかも知れないから、お前に言って置くことが有る」

「嫌だよ。やっと、会えたばかりなのに~」


「まぁ、聞け。

 世に悪事、悪人は絶えることが無い。彼らの理不尽な行動を野放しにして何もしないで居る事は彼らと同罪なんだよ。彼らの行為を容認している事になるんだ。

 例え些細な事でも自分に出来る事を見出し、それを行う事が本来の『自由』と云うモノだ。

 とかく、人は我が身に火の粉が及ばなければ、世の中の惨事を見て見ぬふりをしてしまう。だがな、周り回ってその附(つ)けは自分自身に降りかかって来る。

 何故だか分かるか」


「・・・」

「この宇宙は一つの大法則を基(もとい)にして成り立って居る。

 命で在れ、物質で在れ、この法則から逃れる事は出来ない。秘して厳しい現実なんだ。

 数え切れない因果の羅列がお前の命の中にも克明に記録されて居る。

 『因果応報』 

 善き行いは善き結果を招き、悪しき行為は悪しき結果をもたらす。

 総じて、永い目で見れば、悪を滅しなければ誰人も幸福には成れない。

 これらの事は、代々我が血筋で受け継がれてきた。

 だからと言って、無理強いするつもりはない。

 この俺の在り様を目の当たりにすれば躊躇するのも仕方が無い事だ。

 でもな、俺は何一つ後悔しては居ない」


「・・・わかったよ。僕なりに考えて見る。他に何か僕に言って置くことは?」

「うん。あの右大臣には気を付けろ。もう、分かって居ると思うけど、先帝が亡くなった事にも手を染めていたようだ」

「えっ、それって、司の父親のことだよね」

「そうだ。毒を盛られて居たようだ。それを嗅ぎ付けた俺を捕まえて地下牢に閉じ込めて居たんだ」

「そうだったんだ」

「それに右大臣は八葉蓮華の小太刀に関する書物を手に入れて居たらしい」

「うん。それは考えられるね。カヤ族の言い伝えの事もあるしね」

「恐らくは、八葉蓮華の小太刀を悪用するするつもりで居るのだろう」

「使いこなせるだろうか?」

「こう云う事も考えられる。カヤ族の内の誰か、司の宮に匹敵する者を手なずけることも在り得る。」

「そうか。そこまでは考えて居なかったよ」

「何しても、用心に越したことは無い」

「うん、分った」


 新と忠の長話を戸口で密かにヒラリが聞いて居た。

 彼女が目にした忠の姿は以前と比べものに成らない程に老いていた。


思わず、

『あれっ!』

と言いかけた口をヒラリは塞いでいた。


 幾らヒラリでも、現実を見せつけられては在りのままを受け入れるしかない。


 さて、爺さんはと云うと、五右衛門風呂の準備に余念が無いようだ。


 

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