第2話 グレイ・ノアール

 


 それが起きたのは旅立つ一ヶ月前のこと。

 前世を思い出したきっかけは、この護衛騎士を初めて目にした時だった。



「お目にかかれて光栄でございます、リディア王女殿下。この度、護衛騎士兼従者として仕えることになりました、グレイ・ノアールと申します」



 漆黒の髪とオニキスのような黒い瞳を持つ美しい青年。私の目の前に跪き顔を上げた瞬間、ざわざわとした不可解な気持ちが湧き上がった。


 あれ? この顔、どこかで見たことがあるような。

 でも待って。彼は――――。


「グレイ……?」


 そう呟くと同時に、過去の記憶が濁流のように脳裏になだれ込んできた。

 走馬灯が逆再生されたかのように遡り、やがて時空を越えて日本で暮らしていた頃の記憶まで呼び起こす。


 やっと思い出した。

 私は日本という国で生まれた女の子だったこと。

 十五の歳で病死した自分の記憶が、一瞬のうちにフラッシュバックした。


 まさか、と思ったその瞬間に目の前が暗転する。まるでテレビの電源が切れたかのように、プツリとそこで意識が途絶えた。







 視界が白む。

 眩しさを感じてゆっくり瞼を開くと、見慣れた天蓋が目に入った。外から鳥のさえずりが聞こえ、部屋の中はすでに明るい。



 近くに待機していた侍女から「おはようございます」と声をかけられ、私が丸一日熱を出して寝込んでいたことを知らされた。続けて、不調に気付かずに申し訳ありませんと謝られる。


 私の良き理解者でもある彼女に「あなたのせいじゃないわ」と気にしないよう伝えた。だってあの男を目にするまで、いつもと変わらない私だったのだから。



 そして深い溜息をついた。

 ここにきて、私はとんでもないことを思い出してしまったのだ。

 日本に住んでいた頃のとても古い記憶。羽根川凛という名前だった人生を。



「ねえセシル。昨日挨拶に来た彼……グレイは、これからはあなたの代わりに私の世話をすることになるのよね?」


 事前に聞いていた話を思い出してそう尋ねた。


「はい。ラダクールには私たち侍女がお供することができません。ですからリディア様の生活習慣やお好みのものなど、この一か月で学んでいただかないといけませんので」


 顔には出していないつもりだったけれど、長い付き合いのセシルには、沈んだ気分を見抜かれたらしい。


「大丈夫ですよ、リディア様。旅立たれる日まで私も側に居りますし、朝と夜の身支度は今まで通り私共で行います。

 それから……これは気休めかもしれませんが、彼は私の遠縁にあたるノアール侯爵の四男様です。何度かお会いしたことがありますが、とても物腰の柔らかい穏やかな方ですよ」


 私を安心させるようにセシルがそう教えてくれた。男性が未婚女性の生活の世話をするなど本来はあり得ない。それを慮ってくれたのだろうけれど、私が気落ちしている理由はそういうことではなかった。





「グレイ、お茶が飲みたいわ」


 彼が私のもとに来てから数日。セシルが手助けする必要がないほど円滑に従者の役目を果たしていた。


 私の言葉でグレイが給仕を始め、慣れた手つきで手際よくこなす。その姿をなにげなく眺めながら不思議に思う。

 彼はこれまで騎士として王宮に仕えていたわけだけれど、意外にもこの仕事が板についている。


「あなた近衛騎士だったのでしょう? このような仕事は縁遠かったと思うのだけれど、随分と手慣れているのね」


 そう話しかけると、彼は微笑んで私の前に紅茶を差し出した。


「ありがとうございます。もちろんリディア様にお仕えする前に学んでおりますし、自分で紅茶をいれる習慣もありましたから、ある程度の作法は心得ております」



 四男とはいえ侯爵家の子息となれば、仕事でもそれなりの地位にいたはずだ。それなのに従者らしい佇まいが板についている。


 目鼻立ちのスッキリとした端正な顔立ち。私はこの顔を昔から知っている。リディアとして生まれる前の人生で、私の初恋だった人。



 だけど私は彼に言いようのない苛立ちを燻らせていた。なぜならから。


 私の知っているあの人は、純白な心を映したような白銀の髪を持ち、海のように澄んだ青い瞳の人だった。同じ顔をしているけれど、目の前の彼は違う。





『……ねぇ、見てママ。このキャラ格好いいでしょ。『クレイ・モアール』っていってね、祖国を捨ててまでヒロインを助けてくれる騎士なんだ』


 ベッドの横で私の話し相手になってくれる母に、大好きな彼のことを熱弁していた。



 十五歳の誕生日に初めて買ってもらった乙女ゲーム。それまで育成ゲームやクラフトゲームなんかを楽しんでいたけれど、思春期になって恋愛ものに興味を持ち始めた頃だった。


 幼い頃から学校にも通えず、入退院を繰り返していた私は同世代の男の子と関わることが少なかった。そのせいか異性に興味を抱くようになったのも、今思えば遅かったように思う。


 そんな環境の中でプレイしたこのゲームは、私に夢と希望を抱かせてくれた。



『プロフィティア ~転生の予言者~』という乙女ゲームは、その名のとおりヒロインが異世界転生した物語だ。

 キャッチコピーが『あなたのこころの欠片が、いま異世界で蘇る』という、いわゆる「プレイしているあなたが、このゲームに転生したヒロインです」という設定になっている。


 もし私が病気で死んだとしても、もしかしたらこの世界に転生できるかもしれない。現実逃避だとわかっていても、日々体力が衰えていく中で描いた明るい希望だった。



 でもまさか、本当に『プロフィティア』の世界に転生してしまうなんて。

 ありえないはずだった夢が叶ったというのに、私は素直に喜ぶことができない。それどころか軽い絶望を味わっている。


 なぜなら転生先はヒロインではなく、ゲームの悪役王女リディアとして生まれてしまったのだから。


 それから、私の最推しで心をときめかせていたリディアの護衛騎士『クレイ・モアール』。本当だったら彼が私の隣にいるはずなのに。


 同じ顔をしているけれど、表情も雰囲気もまるで違う『グレイ・ノアール』を不審に思ってしまっても無理はないと思う。


 奇跡の転生を果たしたというのに、なぜ彼は姿を消してしまったのかと悶々とした日々を過ごしていた。





 私の不機嫌な様子は彼にも伝わったらしく、グレイはすぐに私の目に入らない位置へと下がった。


 これが八つ当たりだということは自覚している。でも自分がこれから死を伴う旅に出ること、本当だったらその旅にクレイが同行するはずだったことを考えると、しばらく哀しみに暮れていた。




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