2
「
大学の校舎に反響して聞こえてきた大きな声での呼び掛けに、正門まで来てた足を止めた。
どこから呼ばれたのかと辺りを見回そうとした直後、後ろの方から聞こえてくるバタバタという足音。
振り返ると視界の中に、こっちに向かって走ってくる
少し手前まで来てから速度を緩めた湊君は、わたしの目の前で足を止める。
一体どこから走ってきたのか知らないけど、完全に息切れを起こしてた。
なのに。
「きょう――かい――いって――ジ?」
すぐに喋り出すもんだから、内容がさっぱり分からない。
聞き返す事もしないでポカンとしてたら、湊君は「ちょっと待って」と早口で言って深呼吸をした。
三度ほどそれを繰り返してから、気を取り直すように咳払いをして、改めて口を開いた。
「今日の飲み会に来ないってマジ?」
走ってきたから何の用かと思えばそんな事。
わざわざ足を止めるまでもなかった。
「うん。行かない」
答えたのと歩き出したのはほぼ同時。
わたしとしてはそれが「さよなら」の合図だった。
けど。
「折角のサークルの飲み会なんだから行こうぜ」
察する事が出来ないらしい湊君はついてくる。
こっちはそんなに暇じゃないっていうのに。
「湊君が入ってるサークルの飲み会でしょ? サークルに入ってないわたしが行くっておかしいでしょ」
「おかしくないって! サークルメンバーだけの飲み会じゃないし! サークル以外の面子の方が多いくらいだから気にしなくていいんだって!」
「それって飲み会じゃなくて合コンじゃないの」
「合コンも飲み会も同じようなもんだろ?」
「知らない。そういうの行った事ないから」
「だったら尚更行こうぜ。一緒にさ。な?」
「行かない」
「妃奈子がいねえとつまんねえじゃん」
「つまんなくはないでしょ。どうせ女の子もいっぱい来るんでしょ? 湊君なら選り取り見取りでしょ」
「そりゃ確かに女の子はいっぱい来るけど、妃奈子よりイイ女は来ねえし。妃奈子よりイイ女なんて
「でしょうね」
「いいねえ、その気の強さ。そういうとこがいいんだよ、妃奈子は。痺れる」
「気が強い訳じゃない。事実を言ってんの」
「だよなあ。うんうん。やっぱいいなあ。惚れ直した」
「だから、そういう事じゃないんだってば」
「うん?」
「でしょうねって言ったのは、それだけ努力してるからなの! 人の何倍も何倍も努力してるの。しかも昨日今日の話じゃない。何年も何年も努力してるの。毎日頑張ってるんだから、その成果がある程度出てるのは当然でしょ。正直、やってる努力に対しての成果は少ないくらいなんだからね」
「成果が少ないって事はないだろ。完璧じゃん。金持ちだし、顔はいいし、スタイルもいいし、頭もいいし。料理もすげえ上手いって聞いたぞ? 妃奈子みたいな女の事を才色兼備って言うんじゃねえの?」
「お金持ちなのはお父さんだからわたしは関係ない。頭だっていい訳じゃない。平均よりちょっと上って程度だし。毎日一生懸命勉強してるのにその程度って事は、むしろ頭は悪いのよ。ウェブ関係に凄く弱いし」
「ウェブ?」
「それに、顔がいいかどうかは湊君の主観の問題でしょ。わたし、過去に三回くらい本気で整形しようかと思った事ある」
「ええ!? 何で!? どこすんだよ!? イジるとこねえじゃん!」
「好みがコロコロ変わるから」
「へ?」
「好きなアイドルとか女優とかって、普通は大抵よく似た感じになるのに、毎回毎回全然違うタイプを可愛いって言ったりする。しかもわたしとは似ても似つかないタイプばっかり。だから整形しようかと本気で思った」
「うん? それって誰の話?」
「好きな人」
「妃奈子の?」
「そう」
「え――も、もしかして、あの噂ってマジなのか? 初恋の相手にずっと片想いしてるっての!」
「そんな噂があるのは知らなかったけど、初恋の相手をずっと想ってるのは本当」
「ええ!? 初恋っていつだよ!? いつした!?」
「小学生の時」
「それからずっと!?」
「そう言ったでしょ」
「じゃあ、妃奈子が努力してんのってソイツの為!?」
「それ以外に何があるの」
「マジかよ!? ってか、ずっと片想いなのか!? 過去にソイツと付き合った事があるって訳じゃなく!? 過去に付き合った事があるけど別れちゃって、それでも忘れられないとかって――」
「付き合った事なんてない」
「ええ!? ソイツは妃奈子の気持ち知ってんの!?」
「告白は何度もしてる」
「じゃあ、何回も振られてるって事か!? 振られてんのに好きなのか!? ずっと!?」
「振られてもない」
「は!?」
「いつも聞き流されてる。何言ってもわたしが冗談を言ってるって感じで笑ってる。ああそう言えば、『そんな冗談ばっか言ってないで勉強に精出せ』って笑って言われた事もあるわ」
「告白のし方の問題じゃなくてか? 冗談っぽく言ってるとか」
「そんな告白すると思う? 言う時はいつも真剣に決まってるじゃない。だけど、どんな言い方したって、わたしの言葉は冗談としか受け取ってもらえない。子供の
「子供って――え? その片想いの相手って何歳?」
「今年三十一」
「さんじゅういち!?」
目玉が飛び出るんじゃないかってくらいに目を見開いてひと際大きな声を出す、凄く驚いたって感じのリアクションをされても、慣れてるから何とも思わなかった。
十一歳の年の差への反応は、誰でもいつもこんな感じ。
彼が三十歳になってから多少大きくなったようには思うけど、根本にある「驚き」に変化はない。
世間には、十歳程度の年の差カップルや夫婦なんて溢れるほどいるのに、身近な人がそうだとなると驚くらしい。
だから。
「そんなおっさんとどこで出会ったんだよ!?」
次に飛んでくる質問は毎回こんな感じ。
もうこうなると興味の対象はわたしの初恋話じゃなく「おっさん」にある。
「お父さんの会社」
「親父さんの会社の社員って事か!? それとも取引先の奴か!?」
「社員だった人」
「は?」
「社員だった人。過去形。今は社員じゃない」
「クビ!?」
「何でそうなるの。クビじゃなくて自分から辞めたの。自分の会社を興した」
「じゃあ今は社長!? 会社興せるほどすげえ人!?」
「凄い人。実力も野心もある。学生の頃から会社興すつもりでいたらしいし、お父さんの会社に就職したのだって実績を作る為だったらしいから。結構有名なのよ、その世界じゃ」
「その世界ってどの世界?」
「ウェブ関係」
「ウェブ――ああ、だからさっきウェブがどうとかって言ってたのか」
「わたしには全然分からない世界」
「ウェブ関係って実際はどんな仕事してんの?」
「ウェブデザイナー」
「それは俺にも分からない世界だなあ」
「わたしなんて勉強しても理解出来なかった」
「そんなにそのおっさんが好きなのか? 仕事の内容を理解しようって努力するくらい?」
「そうよ」
「てか、そのおっさんとしょっちゅう会ってんの? 三十一歳って俺ら大学生の行動範囲と全然違うだろうから繋がりなんかないだろ。まだ親父さんの会社で働いてんなら会社に行けば会えるかもだけど、もういないんだろ? 会えもしない相手なんかさっさと忘れて、次に進めば? ほら、俺とかさ」
「あのね、湊君」
「うん?」
「わたし忙しいの」
「へ?」
「だからもう引き返してくれる? タクシー捕まえるから」
「え?」
「今からジムに行って、エステに行って、買い物に行って、彼の家に行くの。――わたし、ちゃんと彼に会ってるからご心配なく」
突き放すような口調で言うつもりはなかったけど、気持ち的にはそうだったから、多少は言い方に表れてしまったかもしれない。
途端に湊君は「ああ、ごめん」と気まずそうな声を出して、ついて来てた足を止めた。
でも気まずそうなのはその時だけ。
「次の飲み会は来てくれよ!?」
既に距離が出来てるわたしに向かって大きな声を出してくる。
「また来週」
振り返り、飲み会については返事をしないで軽く手を挙げ、タクシーが通り掛かってくれないかと辺りを見回しながら足早に駅に向かった。
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