39話

 

 竜のブレスが直撃したアイゼラの城壁の上。崩れた壁の近くで、大きな水の塊のようなものが一部を包んでいた。


「ち、父上…みなさん…大丈夫ですか…?」


 そこにはシャノンが、竜のブレスに気づいたウンディーネと共に、両手を前に出すようにして立っていた。


「シャノン、これは君が?」


 シェリダンが驚きの表情で自分たちを包む水の障壁を見上げる。


「は…はい…。ウンディーネが危険だと騒いでいたので…急いで…今、僕にできるだけの障壁を…作りました…」


 振り絞るようにシャノンは言葉を吐き出す。


「まさかこれほどの障壁を作り出せるとは…。これが精霊の力か…」


 レグレイドが感心したように見上げていると、サーシャが叫び声のような言葉を発した。


「お兄様!顔色が真っ青ですわ!!」


 サーシャが驚いてシャノンに駆け寄る。シャノンの顔色は悪く、大量の汗が噴き出している。


 次の瞬間、水の障壁が崩れ落ち、城壁を流れていく。シャノンはそのまま気を失い、体が倒れるのをシェリダンがそっと抱えた。


 その様子をウンディーネが心配そうに覗いている。


「…竜のブレスから私たちを守るほどの強力な障壁だ。シャノンの魔力は今はほぼ空になっているだろう…」


「お兄様が居なかったら…わたくし達…」


 サーシャは崩れ落ちた城壁を見ながら呟く。雄大に組み上げられていた壁はそこになく、城壁の内側では住民の混乱が見て取れた。


 そして、崩れた城壁の元へ、戦場から、クレモスの兵士が変貌した悪魔が向かってきているのが見える。


「このままではいけない。急いで避難と迎撃を!住民たちは領主邸方面へ誘導しろ!戦場はダリオン副団長に指揮を預けることを伝えろ!私は城内の指揮に回る!」


 レグレイドはその場に残っている騎士団の者に急いで指示を出していく。


「レグ、私も戦場に出よう。今は少しでも戦力が必要だろう?」


 シェリダンはシャノンをギレーの救護隊に任せ、レグレイドに声をかける。その言葉にレグレイドは苦い表情をするが、元々戦力が足りないのは事実なのである。諦めたような表情で頷く。


「…助かる。無理はするなよ?」


 レグレイドはサッと踵を返し、城内へと向かう。


 その様子を見ながらシェリダンは後ろに控えている執事のエドガーに剣を渡してもらう。


「お父様!わたくしも戦います!」


「サーシャ…。君には住民の避難を任せたいのだが…」


 サーシャの言葉に驚いたシェリダンは、危険な悪魔との戦いに巻き込ませるわけにはいかないと諭す。


 だが、彼女は一歩も引く様子が無い。


「…シノお兄様、大兄様も戦場で戦っています。シャノンお兄様もわたくし達を守るために、その力を振り絞ってくれました。わたしくだけが何もしないわけにはいかないのです。託していただいたお母さまの剣、"フローリス"はこんな時に使わないでいつ使うと言うのですか!」


 彼女は腰に佩いていた剣を握り、シェリダンの前に突き出す。一瞬の沈黙。そして、彼女の強い決意の宿る瞳に何かを感じたシェリダンが折れた。


「…その瞳をされては私には反対はできないね。分かった。とりあえず単独での行動は控えるように。必ず私とエドガーと共に行動するようにしなさい」


「ありがとうございます!!お父様!!」


「待て!サーシャが行くなら俺も行くぞ!」


 横から青い短髪の少年が声をかけてくる。シャノン、サーシャと同じ歳のレグレイドの息子、エルディンだ。「俺も戦えるんだ!」と声を高らかにしてアピールしている。


「貴方はだめです。いつも模擬戦でシャノンとサーシャにコテンパンにやられているではないですか」


「ぐっ」


 エルディンは後ろから襟を掴まれて嗚咽を漏らした。彼を止めたのは、艶やかな長い黒髪を持つ、レグレイドの長女であるイゼルだ。


「今迫ってきている敵は本来、人の手には余るでしょう。サーシャの足元にも及ばないエルディンはすぐに死にます。こちらでお父様と一緒に避難を手伝いますよ」


 行きますわよ、と彼を引きずりながら、レグレイドの後を追うイゼル。エルディンは「はなせぇぇぇぇ!」とじたばたしていたが、抵抗できないようだ。


 シェリダンとサーシャはその様子をぽかんとした表情で見ていたが、くすっと笑うと戦場へ目を向ける。初陣に緊張していたサーシャは今ので少し体から力が抜けた。


「行こうか」


「はい!」


 "グォォォォォォォォォォォ!!!"


 いざ、戦場へ向かおうとした時、空気が震えるほどの大きな咆哮が響いた。


 声の先を見ると、最前線に舞い降りていた竜が目の前にいて、顔をこちらに向けていた。その口には炎が揺らめいている。


「まずい!皆、伏せろ!!」


 その咢から、再びブレスが放たれようとしてた。その場にいる誰もが、死を覚悟した――――


「やらせるかぁぁぁぁ!!!」


 シャノンとサーシャが聞きなれた声がその場に響き、竜の腹に強烈な蹴りが入った。


 大きな衝撃を受けて、口元に揺らめいていた炎は霧散し、竜は態勢を崩して、城壁の下へゆっくりと降り立つ。


「シノ君!!」


「シノ…お兄様!!」


 シェリダンとサーシャ、ロヴァネ家の危機を救ったのは、またしてもシノだった。



 ◇◇◇




「シノ!!あそこ!!」


 儂は竜を必死で追いかけていた。ウルが指さした先を見ると、城壁の上に青い球体のようなものが見えた。


「あれはウンディーネの呼んだ水なのだわ!あれでブレスを逸らしたみたいだわ!」


 シャノンが使役するウンディーネが呼び出した水球は、ブレスの方向をわずかながら変えることができて、レグレイドやシェリダン達は直撃を免れていたようだ。


 彼の成長を嬉しく思いつつ、突然水球が破裂し、そのことに気づいた竜がそちらに向かう。


「シャノンの魔力が切れちゃったみたい…!急ぐのだわ!」


 竜が少し先に城壁に到着し、その口に炎を溜める様子が見て取れた。このままではまたブレスを打たれる!


「ウル!飛ばしてくれ!この距離ならいける!」


 ウルに旅の初めによくつかっていた、風魔法で飛ばしてもらう方法を選択する。長距離の移動には向かないが、短い距離を瞬時に詰めるには最適だ。


「わかったのだわ!!しっかりあのブレスを止めるのだわ!!」


 儂は思いっきり大地を蹴ると、背中にウルの風魔法が叩きつけられた。ゴゥっという轟音とともに、竜の姿が一気に大きくなる。


 だが、このままだと通り過ぎてしまう。


 精霊術で方向を竜の胴体に向かって飛ぶように微調整をしつつ、剛身功で身体を強くし、蹴りの体制を取る。


「やらせるかぁぁぁぁ!!!」


 ウルが放った魔法の勢いそのままに、竜の丁度お腹あたりに、ドン!という大きな衝撃音と共に、竜のブレスが霧散する。


 竜はそのまま、ゆっくりと城壁の下へ降り立った。今のは効いたようだが、その目にはいまだ狂気が宿っている。


(間に合った…!?)


 儂は落下していく中で、城壁にいるシェリダンと、サーシャ達を見やると、無事のようだ。


(よかった…!だがこれからだ)


 くるりと態勢を変え、瓦礫をいくつか経由して竜の前に立つ。

 先ほどの蹴りのダメージは特に大きなものではなかったようだ。儂を邪魔者とみなしたのか、警戒を込めた視線をこちらに向け、大きく吠えると轟音が大地を揺るがした。


 その黒く大きな巨体の圧倒的な存在感、咆哮は鼓膜を引き裂かんばかりで、空気が震えた。


「り…竜…黒竜…ゼルガンド…」


「なんで知性ある竜が街を襲うんだ…こんな事一度も…」


「竜と戦うなんて無茶だ…」


 悪魔の迎撃に出ていたギレーの兵士達や、壁の崩落に際して避難誘導や迎撃を手伝っていた冒険者達が、畏れを含んだ言葉を紡ぐ。


「落ち着け!先ほど彼らが竜に打撃を与えていたのは見ただろう!?竜と言えど魔獣と変わらない!」


 城壁の上からシェリダンの声が聞こえる。何か拡声の魔術具か何かを使っているようで、この大混乱の中はっきりと聞こえてくる。


「みなさん!竜は儂らが引き受けます!こちらに向かってくる悪魔への対応を!」


 儂は着地点近くにいる兵士たちにここは任せろと伝えると、我を取り戻した彼らはそれぞれ散っていく。


「あの竜…本当に様子がおかしいのだわ?話ができるはずなのに…」


 追いついてきたウルが横で首を捻っている。確かに、知性があるという割には、言葉を発することもなく、ただ獣のような動きだ。


「…あの瞳。少しマルヴェックに似ている気もしないか?」


「…そうねぇ…?瘴気に近い気配を竜から感じるのだわ…」


「あいつの相手を儂がしておくから、その間に探ることはできるか?」


 儂は知性のある竜が混乱している原因を探ってくれとウルに伝えると、ウルは了解してくれた。


「でもシノ、気を付けるのだわ?竜はこの世界でも最強に近い力を持っているのだわ。魔法も効きにくいし、物理的な攻撃もなかなか通らない。再生能力も高いし、ブレスも強力なのだわ」


 たまにフォレの湖に水を飲みに来ていたそうだが、その時に色々と喧嘩したりすることがあって、そこそこ仲が悪いという。


「こないだのクソ悪魔とは比べ物にならない力を持っているのだわ?だからわたしもサポートするのだわ」


 ウルが警告を出し、戦いを手伝うという。確かに、対峙している今、竜から感じる威圧感は、学園で退治したバロクトスとは比べ物にならない。


 そして、ウルがサポートをするという事は、今の儂には手に負えない可能性がある…ということだ。


 この世界に来て、儂は今だ全力で戦ったことが無い。バロクトスも、瞬間的に全力を出しただけで、"死力を尽くした戦い"ではなかった。黒竜は、今の儂が出せるすべて出し切っても勝てないかもしれない可能性が見える。


 そんな強敵とみられる相手を前にし、戦場で少し暗くなっていた自分の気持ちが高揚するのを感じた。


 こちらの戦闘の気配を感じたか、黒竜が大きく翼を広げ、再び雄叫びを上げる。


「ウル!あの状態の要因が分かればすぐに教えてくれ。いくぞ!」


 儂は宵月を鞘から抜き、黒竜に向かって走り出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る