第4章:夏の始まりと新たな感情

1. 幼き日の約束


夏休みを目前に控えたある日の放課後、僕は研究室の窓から千紗と浩介が下校する姿を見つめていた。蝉の鳴き声が響く中、二人が何気なく会話を楽しむ様子に、僕は複雑な感情を抱いた。


突然、千紗が立ち止まり、浩介を見上げる姿が目に入った。彼女の口元から、かすかに言葉が聞こえてきた。


「ねえ、こーちゃん。覚えてる?私たちが初めて出会った日のこと」


浩介が答える。「ああ、幼稚園の入園式だったよな」


千紗の目が輝くのが見えた。僕の胸に、懐かしさと切なさが込み上げてくる。


二人が近くの公園のベンチに腰かける様子を見ながら、僕は静かに研究室を出た。彼らの会話を邪魔したくない。でも、この大切な瞬間を見守りたい。


僕は公園の外れに立ち、二人の様子を遠くから見つめた。夕暮れの柔らかな光が、千紗と浩介を優しく包み込んでいる。


彼らの会話は聞こえないが、表情や仕草から、幼い日の思い出を語り合っているのがわかる。時折、千紗が嬉しそうに笑い、浩介が照れくさそうに頭を掻く。


僕は胸に込み上げてくる感情を抑えながら、静かに彼らを見守り続けた。


やがて、二人が立ち上がる姿が見えた。浩介が千紗に手を差し伸べ、彼女がそれを取る。


千紗と浩介が歩き去る後ろ姿を見送りながら、僕は静かにつぶやいた。


「これからもずっと一緒だよ」


その言葉に込められた想いは、大城戸のものか、それとも僕自身のものか。僕自信にも区別がつかなかった。



2. 夏の青写真


学期末試験が終わり、いよいよ夏休み直前の日。僕は研究室で量子力学の論文を読んでいたが、窓の外から聞こえてくる生徒たちの賑やかな声に、ふと顔を上げた。


千紗、浩介、佳奈、そして将人の4人が教室に残っている様子が見える。夏休みの計画を立てているようだ。僕は静かに窓辺に近づき、彼らの会話に耳を傾けた。


「じゃあ、まずは海に行くって決まりだよね!」佳奈の元気な声が聞こえてきた。


千紗も嬉しそうに頷いている。「うん、楽しみだね。みんなで海に行くの、小学生の時以来かも」


僕の胸に、懐かしさと少しの寂しさが込み上げてきた。僕はそっと目を閉じ、その温かな記憶を心に刻んだ。


「あ、そうだ」浩介が突然思い出したように言った。「俺、8月の第2週は祖父母の家に行くんだった」


僕は思わず眉をひそめた。


佳奈が少し残念そうな顔をしているのが見えた。「えー、じゃあ、その前の週で調整?」


千紗が少し考え込んでいる。「う〜ん、でも第1週は私、塾の集中講座があるんだよね...」


僕は彼らの会話を聞きながら、自分の夏休みの計画を考えていた。


「ねえ」千紗が提案した。「みんなで行けない時は、行ける人だけでも行くっていうのはどう?」


その言葉に、僕は思わず微笑んだ。


佳奈が賛同し、浩介も頷いている。将人も静かに同意した様子だ。


僕は窓から離れ、再び机に向かった。論文を読みながらも、彼らの楽しげな声が耳に届く。


夕暮れ時、彼らが教室を出ていく姿を見送りながら、僕は静かに呟いた。


「楽しい夏休みになりますように」


窓の外では、夏の風が校庭の木々を優しく揺らしていた。僕は深呼吸をし、再び研究に没頭した。彼らの幸せな夏を見守りながら、自分にできることを精一杯やっていこう。そう心に誓いながら、僕は静かにペンを走らせ始めた。



第4章:夏の始まりと新たな感情


3. 波音と友情


夏休みが始まって間もない7月下旬、僕は千紗、浩介、佳奈と共に、待ちに待った海水浴の日を迎えていた。最寄り駅に集合した僕たちは、はしゃぐ気持ちを抑えきれない様子だった。


電車の中で、窓の外の景色が少しずつ変わっていくのを見ながら、僕は静かに微笑んだ。


ビーチに到着すると、4人で急いで着替えて海に飛び込んだ。冷たい波が体に当たる感覚に、思わず身震いした。


「うわー!気持ちいい!」千紗が歓声を上げる。


その笑顔を見て、僕の胸が熱くなった。


浩介が千紗に水をかける。「おらおら、もっと深いとこまで来いよ!」


「もう!こーちゃんったら!」千紗も負けじと水をかけ返す。


佳奈も加わり、僕も少し躊躇したが、結局4人で水掛け合戦が始まった。はしゃぐ4人の笑い声が、ビーチに響き渡る。僕は久しぶりに心から楽しみながら、同時にこの瞬間を永遠に記憶に留めようとしていた。


しばらく遊んだ後、みんなで砂浜に戻り、持ってきたおにぎりを食べ始めた。


「千紗ちゃん、このおにぎりすっごく美味しい!」佳奈が感激した様子で言う。


「ホント、うまいぞ」浩介も頬張りながら褒めた。


僕も一口食べて、その味に懐かしさを覚えた。大城戸の記憶の中の味と同じだ。でも、今この瞬間に味わっている幸せは、まさに僕自身のものだった。


「ありがとう。みんなに喜んでもらえて良かった」千紗は少し照れながらも嬉しそうだ。


僕は静かに言った。「千紗さんの料理の腕、本当に上がったね」


この言葉に、僕自身も少し驚いた。


午後は、ビーチバレーをしたり、貝殻を拾ったり、砂で城を作ったりして過ごした。時間が経つのも忘れるほど、楽しい一日だった。


夕方になり、帰り支度を始める頃。


「ねえ、みんな」千紗が呼びかけた。「今日は本当に楽しかった。こうして4人で過ごせて、私、すごく幸せ」


その言葉に、僕は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。千紗の笑顔、そしてみんなの幸せそうな表情。


「僕も」僕は静かに、でも確かな口調で言った。「みんなと過ごせて、本当に良かった」


4人で肩を寄せ合いながら、夕日に染まる海を見つめた。波の音が、僕たちの絆を更に深めているようだった。


(これからも、みんなの幸せを守り続けよう)


そう心に誓いながら、僕は静かに目を閉じた。海風が頬を撫でる中、この瞬間が永遠に続くことを願った。



4. 夜空の花


夏休み前の金曜日、僕は研究室で遅くまで作業をしていた。量子コンピューティングの新しい理論について、論文の執筆に没頭していたのだ。窓の外では、夕暮れが深まり、街灯が次々と灯り始めていた。


ふと、スマートフォンの通知音が鳴り、メッセージを確認すると、佳奈からだった。


「将人くん、今日の花火大会、行かない?千紗ちゃんと浩介くんも来るよ」


僕は一瞬、躊躇した。花火大会か。確かに今日だったな。でも、この研究が...


しかし、千紗の笑顔が頭に浮かび、僕は決断した。「わかった。行くよ」と返信を送る。


急いで片付けを済ませ、研究室を出た僕は、自宅に寄って着替えをし、待ち合わせ場所へと向かった。


神社の鳥居前に着くと、すでに多くの人で賑わっていた。浴衣姿の人々が行き交い、屋台の匂いが漂う。その中で、僕は千紗たちを探した。


「将人くん、こっち!」


振り返ると、千紗が手を振っていた。彼女は薄いピンク色の浴衣姿で、髪を上げている。その姿を見て、僕は思わず息を呑んだ。


「やあ、みんな」僕は微笑みながら近づいた。


「将人、遅いぞ」浩介が冗談めかして言う。


「ごめん、研究に夢中になってて」


「もう、将人くんったら」佳奈が笑う。「たまには息抜きも大切よ」


僕たちは境内を歩き始めた。千紗と佳奈が屋台を覗き込み、浩介が射的に挑戦する。僕は少し離れた場所から、彼らの楽しそうな様子を見守っていた。


「将人くん、何か食べない?」千紗が僕に声をかけてきた。


「ああ、そうだな。たこ焼きでも買おうかな」


僕たちは並んでたこ焼きを待つ。その間、千紗が研究の話を聞いてくれた。彼女の真剣な眼差しに、僕は心地よさを感じる。


「すごいね、将人くん。きっと素晴らしい発見につながるわ」


その言葉に、僕は少し照れくさくなった。


花火の開始時間が近づき、僕たちは丘の上の絶好の場所を確保した。


「あ、始まるよ!」佳奈が空を指さした。


大きな音とともに、最初の花火が夜空に打ち上がった。色とりどりの光が広がり、歓声が上がる。


僕は千紗の横顔を見つめていた。花火の光に照らされた彼女の表情が、こんなにも美しいものだとは。


「きれいだね」千紗が小さな声で言った。


「ああ」僕は静かに答えた。「本当にきれいだ」


その瞬間、僕の胸に不思議な感情が湧き上がった。これは...恋なのだろうか。いや、そんなはずは...


花火は次々と打ち上がり、夜空を彩っていく。僕たちは黙って、その光景を見つめ続けた。


最後の大きな花火が打ち上がり、歓声と拍手が沸き起こる。僕は千紗を見た。彼女の目に涙が光っているのが見えた。


「素敵な夜だったね」千紗が僕たちに向かって言った。


「うん、最高だったよ」浩介が答える。


佳奈も頷いた。「また来年も来ようね」


僕は静かに頷いた。この瞬間、この仲間たちと過ごせたこと。それが何よりも大切な宝物だと感じていた。


帰り道、僕たちは静かに歩いていた。夏の夜風が心地よく頬を撫でる。


「ねえ、みんな」千紗が突然立ち止まって言った。「私たち、ずっと一緒だよね」


「当たり前だろ」浩介が答える。


「うん、絶対よ」佳奈も頷いた。


僕は黙ってうなずいた。でも、心の中では複雑な思いが渦巻いていた。ずっと一緒にいられたら...。そう、願わずにはいられなかった。


家に帰り、僕は窓から夜空を見上げた。まだ、花火の余韻が残っているような気がした。そして、千紗の笑顔が頭から離れなかった。


(これは、いけないことなのかな)


そんな思いを抱えながら、僕はベッドに横たわった。明日からまた、研究に打ち込もう。そう決意しながら、僕は静かに目を閉じた。


夏の夜は、僕の中に新しい感情の種を植え付けていった。それが、どんな花を咲かせるのか。まだ誰にもわからない。



5. 季節の変わり目


夏休み最後の日、僕は研究室で一人、量子コンピューティングの実験データを整理していた。窓の外では、夏の名残を感じさせる陽光が、キャンパスの木々を優しく照らしている。しかし、朝晩の空気にはもう秋の気配が忍び寄っていた。


ふと、スマートフォンの画面に目をやると、千紗からのメッセージが届いていた。


「将人くん、今日図書館で勉強会するんだけど、来られる?」


僕は一瞬、躊躇した。実験データの整理はまだ半分も終わっていない。でも...


「わかった。少し遅れるけど、行くよ」


そう返信を送ると、急いでデータの整理を進めた。


図書館に着くと、すでに千紗たちが集まっていた。静かな空間に、彼らの小さな話し声が響いている。


「ごめん、遅くなって」僕は小声で言った。


「将人くん、来てくれてありがとう」千紗が明るく微笑んだ。


僕は彼らの隣に座り、宿題に取り掛かった。しかし、集中できない。千紗の横顔が、妙に気になって仕方がない。


「はぁ...」


佳奈のため息に、僕は我に返った。


「夏休みがもう終わっちゃうなんて」佳奈が少し寂しそうに言う。


「そうだね」千紗も少し物憂げな表情を浮かべた。「でも、楽しい思い出がたくさんできたから」


僕は黙って頷いた。確かに、今年の夏は特別だった。花火大会のこと、海に行ったこと...。そして、千紗への、この奇妙な感情。


「将人くん、最近どう?」佳奈が気を遣うように尋ねてきた。


「ああ、まあ...研究に忙しくて」僕は曖昧に答えた。本当のことは言えない。千紗のことを考えすぎて、集中できないなんて。


「ねえ」千紗が突然立ち止まって言った。「新学期が始まったら、何か変わるのかな」


僕は千紗の言葉に、ハッとした。変わる...か。


「変わる?どういう意味?」佳奈が首を傾げた。


千紗は少し考え込むように答えた。「うーん、なんだか予感がするの。私たちの関係とか、これからのこととか...」


僕は息を呑んだ。千紗も何か感じているのだろうか。この、僕たちの間に芽生えつつある何かを。


浩介が真剣な表情で言った。「変わることもあるだろうけど、俺たちの絆は変わらないさ」


将人も頷いた。「そうだね。むしろ、より深まっていくんじゃないかな」


佳奈は元気よく宣言した。「そうだよ!私たち、これからもずっと一緒だもん!」


僕は微笑んだが、心の中では複雑な思いが渦巻いていた。本当に、何も変わらないのだろうか。この気持ちは...。


「うん、そうだね」千紗は微笑んだ。「これからも一緒に、いろんなことを乗り越えていこう」


夕暮れ時、僕たちは図書館を出た。秋の気配を感じさせる風が、僕たちの髪を優しく撫でていく。


「じゃあ、また明日ね」千紗が微笑んで言った。


「うん、また明日」僕も笑顔で答えた。


家に帰る道すがら、僕は空を見上げた。夏の終わりを告げる風が、桜の木々をそっと揺らしていた。


(新しい季節...か)


僕は深く息を吐いた。この夏に芽生えた感情。それは、これからどう変化していくのだろう。期待と不安が入り混じる中、僕は静かに歩を進めた。


研究室に戻った僕は、窓から見える夕暮れの空を眺めた。オレンジ色に染まる空が、不思議なほど美しく感じられた。


(千紗...僕は、君に何を感じているんだろう)


そう考えながら、僕は再びデータの整理に取り掛かった。しかし、頭の中は千紗のことでいっぱいだった。新学期が始まれば、何かが変わるのかもしれない。そう思うと、胸が高鳴るのを感じた。


窓の外では、夏の終わりを告げる風が、キャンパスの木々を静かに揺らしていた。僕の心も、その風に揺られているようだった。

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