第6話 襲撃

 さて、嘉兵衛捕物の件は、数日のうちに江戸中に知れ渡った。


 人々は治安の向上に期待を寄せる一方で、捕物に進んで加わった甚内の活躍を讃えた。それに伴って、店の知名度も高まっていったという。


 さらに、幕府の方針で江戸城下の拡張が進み、人々が次々に流れ込んでゆく。諸大名も、こぞって江戸に屋敷を構えるようになっていた。

 日本橋は複数の街道と繋がり、港を構え、陸海物流の起点となっている。人口増加の恩恵を受けないはずがなく、町は大いに活気づいていた。


 甚内たちの行商も日に日に売上が伸びてゆく。

 それは大いに喜んでよかったが、一方で新たな問題を生んでしまうのだった。



※ ※ ※ 



「全く、どこで油を売ってるのか……」


 とある日の夕刻、弥七は店の前で行き交う人々を監視しながら、苦言を漏らしていた。

 苛立ちの矛先は甚内だった。なぜなら、この日、甚内は店の仕事を放り出し、何も告げずに姿を消してしまったから。そして、一刻あまりが過ぎ、日暮れを迎えても帰って来なかったからだ。


 ゆえに、甚内の姿を見かけるや否や、弥七は厳しい剣幕で出迎えにゆく。


「どこに行ってたんです、兄貴? もう店閉めちまったんですぜ」

「ああ、ちょっと相模屋にな。ほら、土産もあるぞ。帰り道にあった店でわざわざ並んで買ったんだ。暖かいうちに食っちまおうぜ」


 甚内は朗らかに微笑むと、手にしていた行商用の長袋を弥七に渡す。

 弥七が中をのぞいてみると、入っていたのは人気を博していた某店の蒸し饅頭であった。

 竹皮に包まれていたにもかかわらず、中からは小麦の甘い香りがほんのり漂い、温さがじんわり伝わってくる。

 すぐに皆を呼び集め、いただくとしよう。弥七は思い立って中に入ろうとしたが、はっと我に返り、再び渋い顔になった。


「いや、土産はありがたいんですけど、外出にはもっと時刻を選んでもらわないと。兄貴が外出すると供が必要になるから、人手足らなくなっちまうんですよ」


「分かってら。その問題を解決しようと出かけてきたんだよ」

「まさか、どこかから助っ人を呼んで来てもらえるんですかい?」

「いや、これ以上人手を増やすと、窮屈になっちまうだろ。だから、まず移転しようと思ってな」


「でも、都合のいい場所が日本橋にありましたっけ?」

「それで寅五郎に相談してきたんだよ。遊ぶために抜け出したんじゃねえぞ」

「そうだったんですか。いや、俺は信じてましたよ、兄貴のこと。きっと、何か深い考えがあったんだろうって、はははっ……」


 弥七は自分の顔に疑いの色が浮かんでいるのを自覚し、そそくさと店の中に引っ込んでゆく。

 彼の後を、甚内は半目でじっと睨みながら追いかけていく。

 すると、弥七の呼び掛け応じて、店の者たちが、奥から続々とやってくる姿に出くわしていた。


 ちょうど夕餉前のお腹がすく頃である。そこに当時貴重だった甘いものの誘惑となれば、断るのは至難だろう。

 弥七が饅頭を包んでいた竹皮を開いてゆく。すると、皆が競い合うように手に取り、舌鼓を打ったのだった。


(もう、古着商一本だけでやっていけるかもな……)


 一同が集まったところを見渡して、甚内はふとそんな思いを抱いていた。

 すでに番頭と奉公人の数は、合わせて二十人を超えている。

 売上も客数も上昇の一途を辿っている。行商を始めた頃には想像できなかったほど、大所帯と化していたのだ。


 それも、目の前にいる者達の頑張りがあってこそであろう。

 感謝と少しの感傷を抱いた甚内は、胸の奥が温かくなるのを感じながら、談笑の輪に加わっていくのだった。



※ ※ ※ 



 ところが、その数日後の深夜のこと。

 横になっていた弥七は、寝ぼけ眼のまま急に上体を起こした。

 悪夢を見た訳ではない。寝付けず、布団の中で悶々としている中で、妙な胸騒ぎを覚えたのだ。


(落ち着かねえな。ちょいと夜風に当たってくるか)


 欠伸しながら立ち上がると、裏口へと向かう。

 暗闇の中、のこのこ外に出るのは危険だが、弥七は気まぐれを起こしていた。廊下の板戸から差し込む月明りが、優しく映って、思わず惹かれていたのだ。


 裏口にて空を見上げ、しばし穏やかな世界に身を委ねる。

 だが、静けさゆえに彼は気付いてしまった。店の方に近づいてくる複数の足音に。

 それらは店の表でピタリと止まる。盗賊か、火消しか、はたまた奉行所の者達か。いずれにせよ穏やかではないと察した彼は、裏口から店をぐるりと回り、表の様子をうかがいに行こうとする。


 だが、それが軽率な行為だと分かった時には、すでに手遅れだった。


「店の者か? 逃げ出すとただでは済まぬぞ!」


 無数の提灯が店の表からやってきて、弥七に制止を促したのだ。

 その正体を察した弥七は、慌てて裏口へと引き返していく。

 なぜ、突然危うい目に遭わねばならないのか。彼は原因を探るが思い当たる節はない。自分たちが重ねてきた略奪は軽微なものばかり。江戸市中には、自分たちより凶悪な盗賊集団がいくつかあり、まず標的とされるべきは彼らなのだから。

 

 だが、無数の提灯は、次々に店の裏側へ回り込み、弥七へと迫ってゆく。 

 そして、裏口の板戸まで追い詰め、正体を露わにした。

 提灯の他に捕縛縄や長柄の得物を持ち、籠手や脛当てを身に付けている。嘉兵衛捕物の時と同じ出で立ちをした、役人たちの姿があったのだ。


 そして、店の表からは宣告があたりに響き渡っていた。 


「鳶沢甚内ならびに店の者に申し渡す! 江戸市中における殺人、略奪を働いた罪により、今より捕縛および店の取り押さえを行う!」


 殺人⁉ 

 弥七は耳を疑い、一瞬固まってしまった。

 明かな濡れ衣、風魔の頃とは違い、略奪の頻度も規模も控えめになっているし、殺人に手を染めた覚えはない。

 

 だが、眼前の役人たちは、取り囲んでさらに距離を狭めてくる。

 店の表からは、玄関の戸が打ち壊される音が耳に飛び込んでくる。

 怖れをなして、一部の奉公人が裏口へ押し寄せてきたが、弥七より前に進み出ようとする者は一人もいなかった。


 ただ、狼狽える者が隣にいれば、人は意外と冷静になれるものだ。

 一時、動揺していた弥七であったが、よくよく見ると不審な点があることに気が付いた。


(ざっと見て、相手は十数人。これじゃ裏口は完全に塞ぎきれねえし、店の者全員を捕縛できるかは怪しいところだ。なぜこんなに緩いんだ?)


 思わず脇差に手が伸びる。

 死に物狂いて立ち向かえば逃亡できるのではないかと、頭によぎったためだ。


 しかも、捕縛の号令が下っているのに、彼らは一気呵成に取り押さえようとしない。まるで、店の者たちの出方をうかがっている様に見えた。

 じりじりと重苦しい時が流れてゆく。その緊張を破ったのは、店の中から裏口へ出てきた一人の男の号令だった。

 

「止めろ、止めろ、大人しく縄に付け!」

「えっ?」

「無実なのは、俺が白州ではっきりと訴えてやる。今は言うとおりにしておけ!」


 弥七と奉公人たちは言葉を失っていた。

 自分たちと役人たちの間に割って入ってきたのは、役人たちに最も狙われていた甚内その人だったのだ。


 彼は奉公人たちをキッと睨んで制止させると、役人たちの前に進み出る。

 そして、脇差を傍に置いてひざまずくと、堂々と訴えたのだった。


「それがしが鳶沢甚内にござる。わざわざ深夜に大勢でお越しいただきましたが、懸念は無用。それがし、逃げも隠れも致しませぬゆえ、如何様にもなされませ!」

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