第13話 桜の下の答え合わせ

 宴会の後、俺たちのやらねばならないことは少なくなかった。


 まずは、捕食霊と憑りつかれた桜樹の後処理が残った。


 スミレと巖咲の幽霊たちは、成仏したときのお供え物としておむすびを握っている。この幽霊たちもそのうち成仏するらしく、捕食霊が暴れていたことが心残りだったらしい。成仏後のお供え物を自ら用意することに、幽霊たちはおかしそうに笑っていた。もちろん、捕食霊として消えていった武士たちの分もたんまり作るそうだ。


 一方、俺は桜の花が未だ落ちる中、武器の調達と捕食霊に最後のトドメを刺すために巖咲のふもとへ単身赴いた。


 捕食霊が使った包丁やナイフやコンパスの針でも、何か使える武器はないかと地べたを漁る。流石に血は乾いていて赤く変色した土壌は付近の土と混ぜて、元の褪せたグラウンドに戻した。


 まあこんなものかと、おそらく学校の調理場から拾われたであろう大きめの包丁を二本、小型のナイフを三本と腰の高さくらいある大きいシャベルを携帯する。


 おそらく奴のメインウエポンだろう人の背分はありそうな火縄銃は、俺が生き返る前に早々に確保してから、スミレの護身用に調整を済ませたらしい。


 次に、桜の根上がりまで登り、根が表出していない地盤を掘削する。その地面の先に、トドメを刺すべき奴がいるはずだ。


 先ほど獲得したシャベルの刃の付け根に脚を掛け、桜の根本を掘り始める。思ったよりは地盤が柔らかい。


 ――なぜ捕食霊がここまで強くなったのか。

 そもそも、この憑りつかれた桜の木は、戦国の戦士たちを鎮めるために植えられた御神木のようなものだった。いくら強さに飢えていたからといって、その縛りを自ら破ることが可能なのか? 否。答えは一つ、スミレのように外からの力によって解放されたと考えられる。流動性が少ない世界ではあるが、偶然がゼロのわけではない。例えば、エタのようにこの世界を放浪する者によって。もしくは他の霊によって引き起こされた作為的な事件か? 今まで出会った霊魂が濁っていた奴は、を除いて全員殺してきた。再びに会って殺すことも旅の目的の一つだが、は近辺にはいないはずだ。これは追々探していこう。

 もう一つ、考えるべき事案が残っている。それは崩れてしまった学校のことだ。この世界において、一部を除き人工物は存在しえない。いずれもすぐに朽ちたり、形を保てず分解したりする。何故かは知らん。しかし、この校舎は内傷は激しいが、建物として使える程度には姿かたちが残っていた。だが、これはある程度予想がつく。おそらく、その建物に集積する思いのようなものが世界の規律に干渉し、劣化や腐敗を遅らせていたのだろう。俺が使っていたナイフが好例だ。魂だか付喪神かは知らねえが、この世界に抵抗しうる重要な要素になるかもしれない――


 などと思索を巡らせながら根元を掘っていると、根と根の間に白い何かが隠れているのを確認する。その白い物体を壊さないように、周りを掘り広げる。


「思った通り……!」


 それは、固い根に守られるように隠されていた、一つの白骨死体だった。


 戦闘中に違和感を感じたのは、スミレたちと別行動をとったとき。捕食霊はスミレを追いかけなかった。俺が時間を稼いでいたこともあるが、一年以上も戦い続けていたら普通の奴なら行動パターンを変えるだろう。捕食霊やつが異常なだけだとその場では結論付けたが、幽霊どもに話を聞いて元の人格から捕食霊やつの思考自体はそこまで異常ではなかった。ともすると、あの時捕食霊を押さえつける存在がいたはずだ。おそらく、武士かこの桜に何かしらのゆかりがあった人物。


 これがそいつの亡骸だ。


 こんな形で埋められたのは人柱かもしれない。だから、なんにせよそいつも成仏させる必要があった。


「おや……久方ぶりの客人ですな」


 六十半ばくらいだろうか。声の主の姿は見えなかったけれど、それがこの骨からのものだということはすぐに理解した。こいつも幽霊のくせにしっかりしゃべりやがる。


「あんたを殺しに来た」


「左様ですか」


「……抵抗しねエんだな」


「あなた方の健闘ぶりは、ここから見ておりました。苦労をかけました」


「一応、感謝はするぜ。銃を撃った時も、わずかに遅らされていた」


「気づいてもらえるとは、お心遣い感謝いたします」


「だが、霊媒師としてケジメを付けなきゃなんねえ。恨んでくれ」


「その心変わり様……もしやあの少女が関係しておりますな」


「黙ってろ、遺言はそれだけか?」


「ならばもう一つだけ。先輩からのお小言として、あの少女……スミレと言いましたな。彼女から強いエネルギーを感じます。戦霊が狙いなさったのもその所為でしょう。ゆめ、彼女から目を離さないように」


「ンなこと分かってる」


 拾い上げたナイフで、頭蓋骨を刺突する。ちょうど脳天に縦長の穴が空き、声の主の気配が急に薄くなる。


「それはどうでしょうな。さて、わたくしも昼飯といたしましょう」


 微かな声を残して、亡骸の魂は去っていった。


 ふと、天を見上げる。すでに7割ほど散った桜を覆う、鮮やかな紫夜の空が枝の隙間から垣間見えた。


「……戻るか」


 俺は桜に背を向けて、スミレたちがいるところへ歩き出した。


 俺が戻るころには、スミレはことを済ませようとしていた。


「もう皆さんともお別れなんですね……」


 すでに半数以上の霊が消えている。無事に成仏できたと考えられる。


「そんなしょげた顔しなさんな、あんたには笑顔が一番さ」


「そうそう! 寂しいなら、一緒について行ってもいいんじゃき」


「何言ってんだ、おいちゃん。スミレ、おむすび美味かったよ」


 幽霊どもが思いのたけを言っているのか、順番に消滅していく。穏やかな光に包まれて、一人ずつ成仏していく。


「エタさん! あんたもこっち来なさんね。わしらの門出を見守ってくれろ」


「兄ちゃんの服、ぼろかったから綺麗に縫い直したんですよ!」


 やはり、何を言っているのか分からない。しかし、あまり悪い気分はしなかった。


 腰を上げない俺を見かねたか、スミレがこっちまで来て腕を引っ張る。


「エタ、来てください。皆さん、エタに感謝してるんですよ」


「その話はさっき聞いた。あいつらが何言ってんのか分かんねえんだよ」


「じゃあ、私の隣にいてください。それなら文句はないでしょう」


「……わかったよ」


 ローブを着た後そのまま引かれて、スミレの隣に立つ。それまで消えていなかった霊魂は、俺に向かって何かしらの言葉のようなものを言ってほとんど成仏していった。


 最後に残ったのは、校舎で追いかけっこをした小さな霊だった。


「お姉ちゃん、霊媒師さん、僕たちと桜の木を救ってくれてありがとう」


「いえ、皆さんのおかげです。私なんて、なにも……」


「ううん、お姉ちゃんがいなかったらみんなあの時諦めていた。お姉ちゃんが元気づけてくれたから、あんなにおいしいおむすびが食べられた」


「……それなら本当に良かったです」


「それと霊媒師さん」


 スミレが脇腹を小突く。


「あ゛?」


「ヴぁぃンガ、ドウ……」


「……」


 硬直した空気をほぐすようにスミレが手をたたく。


「お別れのあいさつの代わりに、一ついいですか」


 俺とスミレと、おそらく霊魂も両の掌を合わせた、同じポーズをとる。スミレのせーの、で唱和する。


「ごちそうさまでした」


 顔を上げたときには、気配が一つ減っていた。


 それでも、桜は舞い散っていた。


「さて、この後どこに向かいますか?」


「どこっつっても、しばらく草原が広がるだけだしな。逆にどこに行きたいとかあるか?」


 するとスミレは顔を輝かせて言った。


「じゃあ私、海を見てみたいです!」


「海か……」


「だめですか」


「いや、結構遠いが……それでもいいか?」


「はい、エタがいるところならどこへでも!」


「……行くぞ、お前の亡骸がある場所へ」


「それも忘れてないですよ」


「本当か?」


 二人の出立を祝うように、桜の花は命の輝きを散らしていく。血に濡れた大地にはすでに雑草の足取りが見えた。





 巖咲からおよそ10キロほど離れた、蒼い草原だった。葦が何本も夜空に伸びている。川に沿って飛んでいたスミレがふと口を開く。


「そういえば、エタに返しそびれたものがあったんでした」


 スミレはワンピースの内側から、一本の重みが残るナイフを取り出した。


「お前、それ……」


「はい、エタから以前貸してもらった、稲刈りのナイフです」


 黄金の田園にてスミレが初めて稲を刈り取るときに、俺から渡した鈍色のナイフだ。柄の部分まできれいに手入れが施されている。


「桜と戦って武器を消費したんじゃないかと。ですから、このナイフはエタに返します」


「すでに武器は調達した。それはお前が使え」


 そう言って、先刻鹵獲した包丁を見せる。少々みねがさびているのが口惜しい。


「その包丁が答え合わせですか?」


 桜の根を掘り起こすときに、答え合わせがある、と言ってスミレたちを後にしたことを思い出した。


「いや、答え合わせは別の奴がやってくれた」


「そうなんですね……」


 スミレは俺の胸をじっと見つめている。じっと見つめている。


「何をして――」


 瞬間、俺の脳内に大きなノイズが走る。一瞬だけ、笑う少女の顔が脳裏に浮かぶ。


 ノイズに身を構え、反射的に目を瞑る。


「これはエタに返します」


 暗転の中、スミレの声と共に胸に激痛が刺しこまれる。突き刺される感触に反応して開いた目が映したのは、胸に刺さる一本のナイフであった。


「ここからは、私からの答え合わせです」

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