悠久の霊媒師

@volefanol

プロローグ

 一輪の花が咲いていた。


 可憐で儚く、けれど凛々しいたった一輪の小さな花が生者の居ない世界で寂しそうに咲いていた。


 これは孤独だった一輪の花が、二千年間一人きりで彷徨っていた一人の霊媒師と邂逅し、遺構と植物と霊が飽和する世界に旅立ち、自分を見つけてもらうまでの紀行譚である。


 *


 鮮やかな紫紺色の空の下、世界は静謐に満ちる。


 星は既に肉眼で視認出来るのに、まだ昼のように明るかった。足元に生えている宿根草の葉脈さえしっかりと見えるわけである。


 息づく生物は片手で数えられるほどに死滅し、その生きた証のみが現世に放漫している。


 霊。この世界は肉体を失ってもなお魂が取り残された人々の霊で飽和している。




 男は異常に成長したタチバナが根ざす小高い丘へと草を掻き分ける。


 沈丁花の木陰に本来存在するはずのない何かの影が見えたからだ。


 丘を登りきった男の予感は確信へと変わった。


 タチバナの幹にもたれかかる少女の姿がそこにはあったからだ。


 男の身長より二、三回りほど低い身長で引き込まれるような黒のロング、あどけない顔立ちからは幼さを感じられるが、心の奥底には見てくれに合わぬ何かを隠しているようにも見える。背丈に見合う純白のワンピースはその少女の清楚感を際立たせた。


 大幹に寄りかかった少女は、こちらを見ると物怖じせずに質問した。


「こんな所に、どうしたんですか」


 喋れる。日本語のようだ。


 男はボソボソと口をつぐみ、軽く咳払いをして質問の解の代わりに質問を返した。


「……それより、お前は誰だ」


「質問を質問で返さないでください」


「それは聞いてねえ、質問に答えろ」


 男は刃渡三十センチメートル大のナイフを少女に突きつける。持つ手は寸分のブレすら見えなかったが、その声はどこか怯えているようだった。


 少女は視線を男の顔からナイフの切先に落とすが、ぴくりとも動かない。


「私はスミレです」


 不貞腐れような声で返答する。しかし、男はナイフを向けたまま怒鳴りつけた。


「名前じゃねえ種族を聞いてんだ人間なのか、幽霊なのか、それ以外の何かなのか」


「……答えません」


「は?」


「私の質問に答えてません」スミレと名乗る少女は凶器を持った男を睨みつける。「あなたの名前を教えてください」


 どうやらこの問いに答えないと、少女は質問に応じる気が無いらしい。


「名前か。名前なら長旅の間にどこかに落としちまった。俺を知る奴は『悠久の霊媒師』て呼びやがる。それと一応、人間だ」


 言葉を聞いたスミレは少し間が空いたかと思えば、霊媒師を自称する男に一つの提案、いやをする。


「じゃああなたの名前は『エタ』です」


「……はあ?」


「あなたの名前です。悠久→エターナルのエタです。このまま話を進めるにも呼称がないと面倒臭いですし」


「訳わかんねーよ何言ってんだお前」


「お前、じゃなくてスミレです」


 エタと呼ばれた男は顔をしかめて舌打ちをする。


「どうでもいい、質問をするぞ」


「どうぞ」


 スミレは毅然とした態度で答える。


「お前の種族を教えろ」


「種族、というのは?」


「とりあえず幽霊かそれ以外かだけ言え」


「つかぬことを聞きますが、もし私が嘘を吐いたら?」


「この世界のほとんどの幽霊は元の生物の魂だけが残っている、言わば中身だけの状態だ。嘘を吐くことが出来ない」


「もし私が幽霊です、と答えたら?」


「そんときゃ殺す。すぐにだ」


「それなら安心して下さい。私は幽霊ではありません」


「……そうか」


 エタはナイフを腰にしまった。張り詰めていた緊張の糸が切れたようにスミレは胸を撫で下ろした。しかし、エタは依然スミレをねめつけている。


「次は私が質問して良いですか」


「いいぞ」


「まず、なんでまだ私を睨んでいるんですか?」

「理由は二つある。一つはまだお前が幽霊である事を否定できないからだ。遠くからこの木を見た時、浮いているお前の姿を確認した。飛んでみろ」


「下から覗かないでくださいね」


「興味ないから安心しろ」


 スミレは不服そうな顔をしながら、ふわっと浮いた。エタを軽く見下ろすほどまで上昇する。黒髪とワンピースが風でなびいている。草むらで隠れていて見えなかったが裸足のようだ。


「幽霊は空中に浮遊することができるからな。お前が幽霊の自覚がない可能性は十分にあり得る」


「もう一つの理由は?」


「まあ……私情だ。気にすんな」


「そうですか」


 地に足を下ろしたスミレはエタの言わんとしていることを察したのか、静かに男の容貌を観察した。


 鋭い目をしており、粗暴が悪そうな顔つきをしていた。やや筋肉質の体躯には見合わない黒いローブや靴には何度も修繕した跡が見られるほどみすぼらしい姿をしていたが、髭は剃っているようで身だしなみは整えているようだ。


 疲れた表情の裏には、寂しさか恐怖心か安堵か果ては別の感情か、混ざり乱れ荒んだ心をギリギリのところで耐えていることがスミレには汲み取れたーーが、それをエタには言わなかった。


「それともう一つ質問があって」


「なんだ」


「エタがさっき言っていた『霊媒師』ってなんですか」


「さあな、俺は幽霊をぶっ殺しまくっているだけだ」


「幽霊を……何故ですか」


 エタは少し間を置いてから話した。


「遥か大昔、この世界は大陸間で分かれて各地で文明社会を築いていた。世界中で建物が立ち並び、各々が信じる摂理に従って発展していった。だが今じゃこの様だ。何でか分かるか」


 首を二回横に往復させる。


からだ。資源か食料か政治の問題か知らねえが、全世界を巻き込んだ大っきな戦争が勃発した。だが、何故こんな世界に変わっちまったか分からねえ。それを突き止めるために俺は死に損ないの魂を殺す」


「一人でですか」


「……ああ」


「……」


 スミレはエタの使命を聞いて黙りこくってしまった。彼はどれほどの時間この紫緑の世界で彷徨っていたのだろうと。きっとそれは永劫と紛うほどの長い時間と気が狂うくらいまでの孤独。元々人であった残滓を殺戮し続けていたのなら、それはとても可哀想なことだと思う。実に頑強そうに見える身体を支えるエタの精神は、今にも崩れそうなほどボロボロだったのだ。


「そういやお前ここで何してたんだ」


「それがこの周辺から出られないんです」


「具体的には?」


「えっと、半径50メートルくらいですかね。外に出ようとすると何というか、この木に吸い寄せられるような感じがして。でも、近くを通る幽霊さんたちが話しかけてくれるので寂しくなかったです」


「まて、お前、幽霊と話せるのか」


「なんとなくですけど」


「なるほどな……」


 エタはタチバナの幹に手のひらを当てながら、周りを見渡した。結界や封印が張り巡らされているわけではないようだ。


ーーこの木に特殊な効能は検知出来ない、となるとこいつは地縛霊か?いや、地縛霊にしては土地への執着が余りにも無さすぎる。スミレこいつが、何か関係が…?待てよ、という事は……


「何をボソボソと独り言を言ってるんですか」


 長い間ほったらかしにされていたスミレがローブの裾を引っ張る。上目遣いからは不安感が見て取れる。


「お前が言った、ここから出られないってのは何とか出来そうだ」


「本当ですか!?」


 スミレの目が燦然と輝く。やはりここから出たがっているようだ。


「ああ、俺の最後の質問に答えたらやってやるよ」


「最後の、質問?」


「ここから出たら何をする気だ?」


 エタは腰にしまったサバイバルナイフを再びスミレに突きつける。返答次第では殺す。その覚悟を汲み取ったか分からないが、スミレは平然と答えた。


「エタについて行きます」


「……くくく、フハ、ハッハッハッ……お前、正気か?」


 予想外の答えが返ってきて吹き出してしまったが、エタはその心を聞いた。


「私はどこか元の場所に帰らないといけない気がするんです。でも、それがどこにあるのかさっぱりなので、一緒について行ってのんびり探すことにします」


「バカかお前、やっぱりここで死んどくか?」


「いえ、もし私を殺すなら元の場所に着いた時にお願いします。それに私、エタの力になります」


 凛としている。スミレは幼い容姿に反して不気味なほどに落ち着いていた。まるで、人生を何度も経験しているかのように。ナイフを持っている男性は可憐な少女が末恐ろしかった。


「良いだろう、お前が言う元の場所にたどり着いたら真っ先にぶち殺してやるよ!! スミレ!」


 エタはナイフでスミレの髪の毛を1本目にも止まらぬ速度で切り落とす。


「少し待ってろ」


 草むらに落ちた髪の毛を拾い上げ、沈丁花の枝に括り付けた。


「なんだか体が軽くなった気がします!」


 スミレは元々存在していた活動範囲の際まで足を進める。しかし、以前のように吸い寄せられる感覚はない。そして彼女は今新世界への一歩を踏み出した。


「どうやったんですか!?」


「お前の髪の毛に身代わりになって貰っただけだ。今まで出れなかった原因は知らねえ」


 それもお前の潜在エネルギーありきだ、と思ったが口には出さなかった。


「エタ、ありがとうございます! そしてこれからよろしくお願いします!」


「ずいぶん永い旅になるぜ」


 こうしてエタとスミレ植物と幽霊と遺構の世界に悠久の旅へ繰り出した。星々はそんな二人を励ますように見下ろしていた。

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