第40話 夜会、開幕

 来客対応を終えた私は夜会の支度を始めます。


「マリス様、右腕をこちらに」

「マリス様、後ろを失礼します」

「マリス様、左腕をお出しください」


 何人もの侍女に手伝ってもらいながら夜会用の衣装に着替えていました。

 いつもの普段着なら一人の侍女の手伝いで充分ですが、夜会用の衣装は繊細なので三人がかりの大仕事です。

 普段の私は性別をあまり感じさせないゆったりしたローブ調の衣装を着用していますが、夜会のために用意していただいたものは二の腕が丸出しでなんだか恥ずかしい。詰襟なので首元はしっかり隠しているけれど、普段隠れている腕を出すというのはなんとも……。

 女性用の夜会衣装は背中や首元がだいたんに開いたものなので、それに比べると禁欲的で大したことないのかもしれませんが、そういう問題ではないのです。私の基準では二の腕だって恥ずかしいのです。

 でも仕方ありません。夜会の衣装は夜に咲く花。夜会会場を華やかに彩るための衣装でなければいけないのです。


「マリス様、お着替え終わりました。マリス様はなんでもお似合いですが、この碧緑へきりょくの衣装もとてもよくお似合いです」

「ありがとうございました」


 私は侍女に礼を言うと小さな宝石箱を取り出します。

 蓋を開けるとベルベットの台座にブローチが一つ。そう、エヴァンから贈られたブローチです。


「最後にこのブローチをお願いします」

「しかし……」


 侍女が困惑しました。

 私の衣装は細かなところまで一流のクチュリエが見立てているのです。ブローチは予定外のものでした。

 でも譲りたくありません。


「構いません。エヴァンが用意してくれたものです。これを」

「まあ殿下が。かしこまりました。では予定していた首飾りはやめて、こちらのブローチにいたしましょう」

「ありがとうございます」


 殿下の贈り物を無碍にできる者はいませんからね。

 侍女が私の胸元にエヴァンのブローチを着けてくれました。


「マリス様、よくお似合いですね。殿下もお喜びになります」

「はい」


 私も頷いて胸元のブローチを見下ろします。

 これはエヴァンの宝物です。このブローチに描かれているのは架空の女性だけど、幼かったエヴァンの寂しさを慰めていたブローチ。大切にしなければいけませんね。


「それでは椅子におかけください。御髪を整えます」

「お願いします」


 私が椅子に腰を下ろすと侍女が鏡を持って立ち、髪結い師が髪を整えて髪飾りをつけてくれました。私の髪は女性のように長くないのであっという間に終わってくれます。


「終わりました。とても綺麗です」

「ありがとうございます。みなもお疲れさまでした」


 こうして私の支度が整いました。

 夜会の支度は時間がかかって大仕事でしたね。


「失礼します。陛下と殿下がいらっしゃいました」


 侍女が陛下と殿下の来訪を知らせてくれます。

 私は椅子から立ち上がり、侍女たちとともにお辞儀して出迎えました。


「陛下、殿下、会いにきてくださってありがとうございます」

らくにしろ」


 ゆっくり顔をあげました。

 するとエヴァンが私のところに駆けてきて足にぎゅっと抱きつきます。


「マリス、とてもきれいだ!」

「ありがとうございます。エヴァン様から頂いたブローチのおかげですね」


 そう言って胸元のブローチを見せるとエヴァンが照れくさそうにはにかみました。


「ぼくのおかげだな!」

「はい」


 いい子いい子と頭を撫でて、次に陛下を見つめました。

 陛下は満足げに目を細めて私を見ています。


「綺麗だ。先にエヴァンに言われてしまったが、お前は誰よりも美しい」

「ありがとうございます。この衣装のおかげです。陛下が選んでくれたんですよね」

「ああ、お前に似合いのものを選ぶのは楽しかったぞ」


 陛下はそう言うと私をそっと抱き寄せました。

 頬に口付けられて目を伏せる。すると今度は目元に口付けられました。


 ああ、甘やかなそれにため息が漏れそう。


 でも同時に手放さなくてはならない覚悟が揺らいでしまいそうになる。それが恐ろしくて、さりげなく一歩離れました。


「陛下、たくさんの贈り物をありがとうございました。おかげで夜会の支度を整えることができました」

「礼はいらない。俺の楽しみでもあったからな。だが装飾で飾る楽しみはエヴァンに奪われてしまったが」


 陛下がちらりとエヴァンを見下ろしました。

 エヴァンは気づくとムッとして言い返します。


「兄上ばっかりずるいです! ぼくだって少しくらい……。マリス、ぼくのブローチうれしかっただろ!?」

「はい、もちろん」

「ほらやっぱり!」


 エヴァンは誇らしげに胸を張りました。

 私はおかしくてクスクス笑ってしまう。

 そうしていると陛下がこっそり耳打ちします。


「こうしてエヴァンが俺に言い返すようになったのもお前のおかげだ」


 陛下は困ったような、でもどこか嬉しそうな顔をしています。

 そんな陛下に私の胸は高鳴ったけれど、ぎゅっと胸の奥に押し込めました。これ以上の喜びは未練になってしまいます。

 ふと扉がノックされました。


「陛下、マリス様、夜会が始まります」


 士官に夜会の始まりを知らされます。

 まだ八歳なので夜会に出席できないエヴァンはつまらなさそうな顔をしてしまう。


「……いってらっしゃいませ。兄上、マリス」

「ああ、ちゃんといい子にしてろよ」

「ぼくはいつもいい子ですので」


 エヴァンがムッとして言い返しました。

 生意気な物言いですが、でも拗ねた目をしています。寂しいのですよね。

 私はエヴァンと目線を合わせ、胸元のブローチに指でそっと触れました。


「私はこれをエヴァンだと思っていますから、離れていても一緒ですよ」

「ん! それならいい!」


 エヴァンは満足げにうなずきました。

 そして背筋を伸ばすとうやうやしく一礼して見送ってくれます。八歳ながら殿下らしい立派な見送りです。


「いってらっしゃいませ」

「行ってくる」

「行ってきます」


 陛下と私はエヴァンの見送りで部屋をでました。

 夜会会場になっているのは後宮に隣接した離宮の大広間です。荘厳な大広間には後宮の女性たちだけでなく、たくさんの来賓客が集まって夜会を楽しんでいるのだそうです。

 陛下と私は離宮までの長い回廊を歩きます。

 私は陛下の後ろ姿を見つめながら歩くけれど、離宮に近づくにつれて踏みだす足が重くなるようでした。


「それでは陛下、私はこちらから入りますので」


 私は立ち止まって裏手の扉を差しました。

 正面入口からの入場は陛下しか許されていません。まして陛下と並んで入場するなんてとんでもないことで、それが許されているのは伴侶のみという決まりです。

 もし私が陛下と並んで入場すれば、その時点でシャーロットの激しい怒りを買うでしょう。

 しかし陛下は少しつまらなさそうな顔になってしまいます。


「別にいいだろ。これくらい」

「いいえ、いけません。大切な決まり事です。それでは」


 私は一礼すると陛下とは別の扉から大広間に入場します。

 今夜、この夜会での振る舞いに子どもたちの命運がかかっているのです。決して失敗は許されませんでした。





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