第19話 貧民区の亡霊


 翌日。

 私はエヴァン殿下を講義に送り出してからまた市場いちばに行きました。

 市場ではたくさんのパンや穀物やフルーツを買いだしします。

 もちろん購入代金は私のお金です。人質として帝国に来るときに私財を持ってきていたのです。

 食料を買い込むと、台車の荷台に乗せて貧民区へ向かいます。


 ガラガラガラガラ。


 台車を押して歩きます。

 最初は台車の車輪もガラガラとよく回っていましたが、しだいにガタガタと荷台が揺れ出しました。


「よいっしょ、えいっ」


 凸凹道に車輪がはまりそうになるけれど、大丈夫、なんとか避けながら進みます。


 大通りの道は石畳の整備されたものでしたが、路地裏に入ってから小石が転がっている凸凹道に移り変わっていたのです。建ち並んでいる家屋も今にもち落ちてしまいそうな粗末なものになっていきました。貧民区に入ったのです。

 貧民区の道端にはボロを着た大人や子どもがぼんやりと立ち尽くしていました。どの人も痩せていて、瞳には生気がなく、疲れきった顔をしていました。

 貧民区には食べ物を探して歩き回ったり、なにをするでもなく一日中座り込んでいる人もいます。

 それは怠惰たいだに見えるのかもしれません。仕事がないからいつまでも貧しいのだと貧民区以外の人間は思うでしょう。


 でもね、そうではないのです。


 動き回れば体力を消耗してしまう。回復するには食事が必要です。でも満足に食べられないのなら、いったいどうやって動きまわって仕事を探せというのか。

 ならば外に向かって助けを求めればいいと言う人もいるでしょう。しかし、助けを求めてもいいのだということすら知らない人だっているのです。

 私はそれを身をもって知っていました。

 私は知っています。飢えの苦しさも、悲しさも、情けなさも、泣きたくなるほどのみじめさも。


「この辺りでいいでしょうか」


 私は貧民区にある広場らしき場所で台車を止めました。

 あちらこちらから視線を感じます。貧民区に入ってからずっと感じている警戒の視線です。

 視線を感じるほうを振り向くと、そこには幼い男の子と女の子がいました。兄妹でしょうか、手をつないでじっとこちらを見ていました。

 私はできるだけ優しく笑いかけます。


「こんにちは。お腹は空いていませんか? よかったら、これをどうぞ」


 パンを差しだしました。

 兄妹はパンを見るとパッと顔を輝かせました。でも警戒して近づいてきてくれません。それだけ過酷な環境で生きてきたということ。

 だから優しい笑顔で話しかけ続けます。


「じつは私、パンだけじゃなくてリンゴも持ってきたんです。リンゴはお好きですか?」


 そう言ってリンゴを取り出しました。

 すると妹のほうが先に我慢できなくなって、嬉しそうに駆け寄ってきてくれました。

 パンとリンゴを渡すと女の子は満面の笑顔を浮かべます。


「あ、ありがとう!」

「どういたしまして。お兄さんのぶんもどうぞ、持っていってあげてください」

「いいの?」

「もちろんです。仲良く食べてください」

「うん!」


 女の子は二人分のパンとリンゴを受け取るとお兄さんのところに戻っていきました。

 お兄さんは相変わらず警戒していたけれど、受け取ってくれたなら構いません。

 兄妹が立ち去ると、遠巻きに見ていた他の人も少しずつ近づいてきてくれます。ぽつぽつと受け取ってくれる人も出てきて、気がつけば行列ができていました。


「どうぞ、召し上がってください。まだありますから、どうぞ受け取ってください」


 私はひとりひとりに食料を渡していきました。

 警戒されたままなのでほとんどの人は無言で受け取っていましたが、なかには小さな声でお礼を言ってくれる人もいました。

 でもお礼などいらないのです。無言のままで構いません。受け取ってくれるだけで私は……。


「あ、あの時の人だ!」


 ふと大きな声で指差されました。

 振り向くとそこには市場で芋を売っていた少年がいました。


「あなたは昨日の。昨日はおいしいお芋をありがとうございました」

「そんな……。小さな芋ばっかりだったのに」


 私が礼を言うと少年は照れくさそうにはにかみました。

 私は目を細めると少年にも食料を手渡します。


「これをどうぞ。あのお芋はここで作っているんですよね。お礼ということで」

「ありがとう」

「どういたしまして。よかったら配り終わるまで待っていてください」

「え、どうして?」

「案内してほしい場所があるんですよ」


 私はそうお願いすると、台車の食料を配り終わるまで待っていてもらいました。 




 芋を売っていた少年はコリンという名前でした。

 食料を配り終わった私がコリンに案内してもらったのは貧民区にある芋畑でした。


「やはり土地が瘦せていますね。栄養が足りていないようです」


 コリンの芋が小さい理由はやはり土にありました。

 貧民区の畑の土はひどく痩せているのです。


「明日は食事の他に畑用の肥料ももってきます。肥料を撒けばきっと立派な芋が育ちますよ」

「肥料!? そんな高価なものをっ……」


 コリンが驚いた顔になりました。

 そうですね、肥料はとても高価なものですから。

 でもね、必要なものなので受け取ってほしいのです。


「構いません。肥料を撒いて芋を育ててください。立派な芋に育てばたくさん売れるようになります。できれば他の人にも手伝ってもらってください。たくさんの人で畑を耕せば、たくさんの芋が育ちますから」


 そうすれば安定した収入を得ることができるでしょう。それは生活の支えになるはずです。

 でもコリンは不思議そうに私を見上げていました。


「……どうしました?」

「わからないんです。どうして助けてくれるんですか?」


 コリンが私を見つめて聞いてきました。

 私はコリンをじっと見つめます。

 亡霊のような子ども。ここにたしかにいるのに、誰の目にも映らない。

 でもね、私にはコリンがしっかり見えています。

 私はコリンを見つめて目を細めました。


「なぜでしょうね。それは秘密です」


 答えなど知らなくていいのです。




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