第21話 百貨店

 鈴蘭の花のようなシャンデリアに照らし出された店内は、甘くて良い香りがしている。

 星周に連れられて、前日行きそびれた百貨店の、目もくらむほど華やかな婦人服売り場に足を踏み入れた胡桃は、その別世界ぶりに呆然としてしまっていた。


 異国風の女性用スーツをすらりと着こなした店員が、ガラスの陳列箱ショーケースや商談用のソファの間を泳ぐようにして近づいてきて、にこにこと微笑みかけてくる。

 まさに棒立ちで立ち尽くしていた胡桃は、そこではっと我に返って、声をかけられる前に勢いよく言い訳を口にした。


「男ものの着物なのは、その、理由がありまして!」


 さわっと空気が揺れて、客や店員の数名がちらりと視線をくれる。

 悪目立ちをしたと気づいた胡桃は、血の気が引く思いで口を閉ざした。

 集まる視線を遮るように、星周がさりげなく前に出て、店員に向かって穏やかな声で話し始める。


「見ての通り、可愛らしい方です。今日は、舞踏会用のドレスを誂えたくて来ました。カタログがあれば見せていただけますか? 胡桃さん、先に俺が目星をつけておきますので、採寸をお願いしましょう」


 見渡す限り女性しかいない店内で、胡桃と年齢も変わらぬはずの星周が実に堂々とした態度で商談を開始。


(手慣れてますね。私は初めて来る場所だというのに、星周さまはどういった理由で来ることがあったのでしょう、店員さんとも顔見知りのような)


 店員と星周の目が、同時に胡桃に向けられる。

 くす、と店員が感じよく笑った。


「良いところのお嬢様でございますね。お任せください、わたくしたち、口は堅いのでお客様の秘密は決して口にすることはありません」


 やわらかく、肝心なところには踏み込まない話しぶりで、胡桃はさすがに察する。密会デートだと思われているのだ、と。


(兄様が絹さんと会うときは、同じ手を使っていたわけですから……。男性の着物を着た私が星周さまとこうして連れ立って来れば、それは店員さんからしたら忍仲そういうことになりますね)


 こちらにどうぞと声をかけられて、おとなしくその後に続きながら、これ以上の言い訳もできない胡桃はほんのりと頬を染める。

 背後では星周が別の店員に「葉室さんの紹介で」と、雑談しているのが聞こえた。

 それで、べつに以前からの贔屓などではなく、星周も初めてこの店に足を踏み入れたらしいというのが知れたが、それにしても落ち着きすぎのように胡桃には思えた。


 心情的に彼を素直に認めにくい胡桃としては、「面の皮が厚い」などとうがった見方をしようとしてみたが、心の奥底では感服しているので悪い印象を抱きようがない。 好意的な表現をすれば「頼もしい」となる。

 どこでも胡桃を気遣ってくれるし、困っていれば助けてくれるし、おそらくわがままを言ってもきいてくれそうだ。

 その理由もまた明白で、彼の意志としては「胡桃と結婚したい」からだと最初に言われているだけに、下心だなんだと難癖をつける余地もない。その通りだと認められるのが目に見えている。むしろそれを言われたときに、胡桃のほうこそ、どういった返答をするのが正解なのかがまだ見えていないのだ。


 せめてもっと違った形で出会っていれば、変な反発をしたり、必要以上につっかかることもなかったのに……と思って、胡桃はそれ以上考えるのをやめた。


 出会いは、あの形でなければありえなかったのだ。そしていまは、彼の婚約者候補として夜会に臨むことに集中すべきであり、雑念に気を取られている場合ではない。

 

(そういえば、兄様のふりをして出会ったときに、結局どうして胡桃を見初めたのか、深い思い入れを持っているのかまでは、聞きませんでした。でも、私が胡桃本人だと打ち明けぬまま聞かなかったのは、きっと良かったのでしょう)


 目の前の問題に片がついたら、そのときに改めて話せばよい。 

 それならば、いまは考えなくても良いはずだ。

 うっすらと、星周に惹かれ始めている自覚はあったが、胡桃は無理矢理に自分自身の気持ちから目を逸らす。




 立ち去る胡桃の背を見送ってから、商談用のソファへと案内された星周は、手渡されたカタログを受取りつつ、店員に対して物憂げに言った。


「あのようななりをしていても、男女問わずずいぶんとひと目を引く方です。美しく飾り立てた姿を見たいような、自分だけのものにして誰にも見せずにおきたいような。複雑な心境です」


 年嵩の落ち着いた店員が、笑顔で相槌を打つ。


「わかりますよ、とてもお美しい方でした。透き通るような肌に、きらきらと輝く瞳。夜会に出ようものなら、ダンスの申し込みが列を成して、予約表があっという間に埋まってしまうことでしょう」


 注目を浴びる女性は、会が始まると同時に次々とダンスを申し込まれる。

 どこかの貴族の催す夜会で遊びの範疇であれば、意に染まぬ相手を袖にすることはできるかもしれないが、政府高官や海外要人の集まる場では、相手を選んでもいられないのが実情だ。それこそ約束をすっぽかす事態にならぬよう、予約表に名前を書きつけて漏れのないように踊ることになる。

 録銘館ろくめいかんの夜会に動員される女学生たちに期待されているのは、そういう役割だ。完全に接待であり、本人には楽しむ余地もない。

 星周は実に面白くないといった表情を隠すこともなく、カタログに目を落としながらぼやく。


「予約表の上から下まで、全部俺の名前で埋めておきます。彼女がほかの誰かと踊るなんて、冗談ではない。女学生がお上の意向で夜会に連れ出されるときには『誰が女学校の学費を援助しているのだ』と、教育をたてにとられて学長以下従わされているものです。都合のいいときに、女性をそのように駒として扱っていては、近代化など遠く見果てぬ夢となるばかり。教師の中にも、反発している方がいるに違いありません」


 あら、と店員は控えめに笑って言った。


「女性を駒にするのはたしかにいけません。ですが、男性とてお上の手にかかればそれこそ駒でしょう。妖魔との戦闘も、実戦向きの異能は女性より男性に多いからと、常に前面へ。その扱いが駒でなくて、なんだと言うのです。それでも従うのは、そうあらねば世がまわらぬと、当の男性たちが腹をくくっているからではなくて?」


「真理ですね」


 一本とられたと認めて、星周は唇に苦い笑みを浮かべて頷く。

 そうあらねば世がまわらぬと――


 最新のドレスが描かれたカタログのページをめくりながら、星周は心の内で「それでも」とひっそり呟く。


 異能持ちの自分が戦闘に向かうのは、自分の中で折り合いがついている。その件に関しては誰にも口を出されたくない。

 一方で、胡桃をはじめとした女性たちが意に染まぬ相手と踊るのは、防げるなら防いだほうが良いように思ってしまうのだ。どうしても。

 理屈ではない。


 星周はぱらぱらと見るとはなしにしばらくページを繰っていたが、やがて各種のドレスを胡桃が着たらどうなるだろうと想像することに没頭していった。


「星周さま……」


 かすれるような声で名を呼ばれて、集中しすぎていたと気づいて、顔を上げる。

 そこには、採寸を終えて、せっかくだからとドレスを着付けられた胡桃が、気恥ずかしそうに目を逸らしつつ立っていた。 

 星周は、声もなくその姿を見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る