第23話

 私は長い廊下を走り、一際荘厳な木製扉の前に立っていた。扉の上のプレートには医院長室と書かれている。この部屋の中で、当時の医院長が自殺した。医院長は壮年の男性だ。あんな、若い女じゃない。あいつは一体、何者なんだろう。

 ドアを蹴り破って中に入ると、そこにはなんと、さなとウガツがいた。辛うじて結界のような淡い光に包まれてはいるけど、それだけで無事だと判断できるほど、楽観視できない。何故ならば、すぐ近くにあの青白い女が爪を出した状態で立っていたからだ。


「さな……!?」

「ちょっとー? あちしもいるんだけどー?」

「ごめんね、リカちゃん……あたし……」

「……ウガツ。これどういうこと?」

「ごめん、結界ごと囚われちった」


 ウガツは少しでも深刻で重苦しい空気を軽くしようとしたのか、ウインクして舌を出しながらそう言った。あのクソ天使、無事に帰ったら必ずシバく。


「もう抵抗するのはやめろ」

「くっ……!」

「お前がおとなしく殺されれば、こいつらは逃してやる」


 女は、私を見て笑った時の口の形のまま、そう言った。腹話術みたいだと思ったけど、状況が状況なので全然感動できない。


「ウガツはどうなってもいいから! さなだけは……!」

「えぇ!? あちし!? そこは「私はどうなってもいいから!」でしょ!?」

「自分がどうなってもいいわけないでしょ! 馬鹿なんじゃないの!」

「黙れ!! やかましい!! だから人間は嫌いなんだ!!」


 女がそう叫んだ瞬間、女とは別の声が頭に流れてきた。その声はこう言っていた。悲しい、と。聞き間違いかと思ったけど、かなりクリアに聞こえたので、間違えようがなかった。


「……悲しい?」

「私はそんなことは言っていない!」

「……お前は、なんなの?」

「私は、この病院の、感情の結晶。私は心から人間を憎んでいる。だから、殺すんだ」


 下手に動けば、さなに危険が及ぶ。人質を取るなんてゲスな真似、絶対に許したくないけど、どうすればいいのか思いつかない。

 ふーふーと肩で息をして、興奮した様子の女をこれ以上刺激すべきではないだろう。そう判断した私は、静かに女を見つめていた。沈黙を破ったのは、さなだった。


「……何があったの?」

「ばっ、さな……!」

「いいじゃん。聞いてあげようよ。ねぇ、病院さん。お話、できる?」


 さながそう語りかけると、病院と呼ばれた女は、黙れと絶叫しながら、後ろにあった立派な木製のデスクをその爪で破壊した。だけど、さなは引かない。じっと、彼女を慈愛に満ちた目で見ている。その視線に気付くと、女は逆上してさなへと腕を振り上げた。


「危ない! っやめろぉー!」


 私は腕を突き出した。ナックルが腕から外れて猛スピードで飛んでいき、女の腹部にめり込む。


「うぐっ……!?」


 手元に戻って来るよう念じてみると、それは磁力で吸い寄せられるように、私の腕へと舞い戻った。ロケットパンチなんて出来たんだ、私。知らなかった。

 女にダメージが入ると、どこかの部屋で、何かが崩れる音がした。この女の体に攻撃すると、そのまま建物を壊すことができるらしい。それを知った私はすぐに追撃の姿勢を取った。

 だけど、それは叶わなかった。女の盾になるように、さなが私に立ちはだかったからだ。


「やめて! リカちゃん!」

「さ、な……?」

「話、聞いてあげようよ!」

「どいて! そいつはすぐにやっつけないと!」

「やだ!」


 その時、足元が揺れた。地震かと思ったけど、すぐに違うと気付いた。建物が、崩れ始めているんだ。それでも、さなは女の前から退こうとしない。

 女はよろよろと立ち上がると言った。人が助かるのを見るのが、好きだった、と。


「……え?」

「私は、木下。木下病院。ここで亡くなる命もあったが、生まれる命だってあった。そして助かる命も。それを見届けるのが、好きだった。消えていく命を受け止めるのは、自分の使命だと思っていた……」

「……そう」


 先程までの狂気はなかった。女は膝に手を付き、辛うじて立っている。


「なのに。人間は……ここが病院として機能しなくなったら、別の目的で足を運ぶようになった。不気味だと蔑み、あそこも行ってみようと遺体安置室まで足を踏み入れた。当時、そこで精一杯生きて、死んでいった人を踏みにじった……挙げ句の果てにはスプレーで落書きをし、窓を割り、ここを、怖いところだと言った……」


 女の言葉に、私達は何も言えなかった。確かにそうだ。病院という建物の立場で考えると、人間は手のひらを返したようにしか見えない。傷付き、怒るのも当然だ。あと、スプレーで落書きしたり窓を割ったりした馬鹿は呪い殺してもいいよ、私もそんな奴らの為に戦ってない。せいぜいあの世で後悔するといい。


「だから……人間が嫌いだ……」

「……あのね、木下さん。あたしのおばあちゃん、木下病院で生まれたって、言ってた。それがここだったなんて、今まで知らなかったけど」

「……?」


 さなは、女に優しく語りかけた。


「おばあちゃんがいて、お母さんがいて、だからあたしがいる。おばあちゃんが安全に産まれる環境があったおかげで、あたしはここにいるの。……だから、ありがとう」


 さながそう言うと、女は泣き崩れた。今更お礼を言ってくれる人に出会えるだなんて、思っていなかったんだろう。私もウガツも、危険だという先入観から、女の話を聞いてやろうとしなかった。だけど、さなは……さなだって、怖かったはずなのに……戦う術も身を守る術も自分で持っていないさなは、きっと一番恐ろしかったはずだ。涙を流す女に優しく胸を貸すさなを見ていると、強さというものが何か、分からなくなってくる。


「私は、もうすぐ崩れる」

「えっ」

「早く出て。あの重機女はともかく、あなたには亡くなってほしくない」


 重機女って誰のことだろう。全然わかんない。

 次の瞬間、辺りが白い光に包まれて、何も見えなくなった。女は姿を消していた。

 私はさなの近くまで移動すると、優しく彼女の肩に手を置く。腕を上げると、先程よりも強く背中の傷が痛んだ。


「さな、帰ろっつぅ……」

「リカちゃん……? え!? 酷い怪我! 早く病院行かないと!」

「ここ、病院だけどね」


 下らない冗談を言った直後、頭の中で声が響いた。


 ――重機女。これで貸し借りゼロ。さなを泣かせたら、今度こそ殺す


 なんだとコラ。そう思って、振り返ってみて気が付いた。背中の傷が、消えている。


「リカちゃん! よくわかんないけど治ったよ! 良かったぁ……」

「あ、あぁ。うん。とにかく、私の部屋にワープするけど、それでいい?」

「うん!」


 そうして私達は廃病院を、いや、木下病院を後にした。


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