第29話 GMとは

 結論から先に言おう。


 我が千葉ユニコーンズは、負けた。

 ジャパンシリーズは、7戦行われ、先に4勝したチームが日本一になる。


 もちろん、私にとっても、GMとしての初のジャパンシリーズだから、球場にも足を運んだ。


 しかし、千葉ユニコーンズは、2勝4敗で敗北。下馬評ではビッグボーイズが有利だったので、仕方がないが、そこそこがんばった方と言える。


 だが、結局「奇跡」は起こらなかったのだ。現実には、物語のように奇跡は起こらない。


 そして、シーズンが終わった。

 私は、もちろんGMとしての手腕を認められ、年俸交渉の場で、千葉ユニコーンズのオーナーから、来シーズンの給料を提示された。


 初年度こそ、未成年で「お飾り」と思われ、1年契約で1000万円だったが。

「これでどうです?」

 改めて、今度は保護者である母と共に球団事務所を訪れると、オーナーは母の前ということもあり、いつもより丁寧にプリントを差し出してきた。


 そこには、

―3年契約 1億5000万円―

 という破格の数字が記されていた。


 もちろん、未成年の間、つまり私が18歳になるまでは、母が管理する。それでも来年には18歳を迎える私にとって、将来を左右するような巨額であることは間違いなかった。


「ありがとうございます」

 母が、私に代わって頭を下げていた。


 私もまた、頭を下げる。もちろん、提示金額に不満などない。私は自分が出来るだけのことを精一杯やっただけに過ぎない。

 本当にがんばったのは、選手だと思っていたからだ。


 そして、帰宅後。

 私の元にLIMEから音声着信が入る。


 相手は、あの吉保花梨だった。

「花梨ちゃん」

「美優ちゃん。おめでと」


「ありがとう」

「福岡なら勝てると思ったんだけどなあ。残念だよ」

 ある意味、今さら感はあるが、ファイナルシリーズのことを彼女は言っていた。


 しかし、話の本筋はそこではなかった。

「実はさ。パパが美優ちゃんに話があるって言うんだ。チケットを贈るから、週末、福岡に来て」

「えっ」


「じゃ、そういうことで」

「ちょっと待って」

 問いかける前に通話が切れていた。


 相変わらず、せっかちで自由人だと思った。

 翌日。東京の羽田発福岡行の航空機チケットが自宅に届く。週末の土曜日の午前発の便で、しかもわざわざ復路の便まで入っていた。同時に、福岡空港から福岡パイレーツの球団事務所への行き方を書いた紙が同封されていた。


 私は半信半疑のまま、週末の土曜日に、一人で福岡へと飛んだ。


 福岡空港から、地下鉄で市内に出て、福岡パイレーツの球団事務所へ向かう。以前、と言ってもシーズン前に行ったことがあるが、久しぶりに訪れていた。


 事務所内の受付で名前を告げ、会議室に通される。


 すると、しばらくして入ってきたのは、吉保大吾ではなく、娘の花梨だった。

「美優ちゃん、久しぶり~」

 彼女の方から握手を求める、というより抱き着いてきた。


 相変わらず、小柄で可愛らしい容貌をしているが、どうも油断のならないところがある、「抜け目ない」彼女に、私は警戒していた。

 第一、本来なら、吉保大吾に呼ばれたと思っていたからだ。


「大吾さんは?」

「パパは、ちょっと球団関係の仕事で忙しくてね。代わりに私が来たの」


「で、何の用?」

 誘われた椅子に腰かけ、つっけんどんな態度をしたのが気に入らなかったのか。彼女は口先を尖らせて、


「あー。そんな態度するんだ、美優ちゃん。いいのかな? これは、美優ちゃんにとって、悪くない話なんだけど」

「だから何?」


 ようやく彼女は、私と向き合って、座席に着く。そして、おもむろに懐から一枚の紙を取り出して、差し出した。


 そこには、驚くべき数字が躍っていた。


―5年契約 20億円―


「何、これ?」

 薄々感づいていたが、一応、尋ねてみた。


「何って、決まってんじゃん。美優ちゃんの来年からのGMとしての額だよ」

「私に福岡パイレーツGMになれって言うの?」


「そう。あなたの実力をパパが評価したの。すごいよねー。17歳でこんな額。もう人生楽勝モード! いくらでも男作れるし、いくらでも高級な家に住めるよ! 人生勝ち組だね!」

「……」

 そこには、私を祝福する気持ちと、同時に自分が福岡のGMを下されるという、彼女の複雑な気持ちがにじみ出ていた。


 その証拠に、彼女の目が笑っていなかった。


「美優ちゃん?」

 私の反応が予想外だったのか、固まったように動かない私に、彼女が声をかけた。


「……ちょっと考えさせて」

「いいけど、こんな好条件、他にないよ。それに学校のことなら心配いらないよ。パパが手を回して私と同じ学校にしてくれるし、ちゃんと通いやすいところに高級な賃貸マンションも用意するって」


「そういうことじゃなくて」

「ふーん。まあ、いいけど。期限は1週間ね」


 私は、「福岡の観光案内をするよ」と本気か冗談かわからない彼女の誘いを、丁重に断り、その場を後にした。


 その日は、適当に昼食を福岡市内で摂り、適当に時間を潰して、夜の便で羽田へ戻り、自宅には深夜に帰宅した。


 その間、ずっと私は考えていた。

(そもそも私自身が、「そんなことまでして勝って面白いの?」って思ってたしなあ)

 かつて、吉保花梨が福岡パイレーツのGMになると聞いた時、真っ先に思ったことだった。


 常勝軍団。実績も金銭的余裕もあり、トレードやFAでいくらでも補強できる金満球団、それが福岡パイレーツのイメージだった。


 確かに強いチームだろう。強ければ補強も簡単に出来るし、それこそGMは「お飾り」でも勝手に勝つくらいだろう。苦労もせずに大金が入る可能性がある。


 しかし、それは果たして野球として本当に「面白い」と言えるのか。

 野球というのは、「バランス」が大事と常々思っている私にとって、今の福岡パイレーツは「いびつ」にすら見えていた。


 自前の選手を育てず、毎年のように他の球団から高額の年俸で実力者を引っ張ってくる。

 それは、確かにチーム力としては、一時的には強くなるだろう。


 しかし、長い目で見れば、周囲から「金の力」で選手を取ってくれば、それだけ自前の選手、若手は育たなくなる。

 今はいいが、やがてベテランだらけになり、行き詰る可能性がある。


 何より、私にとって「父の教え」に背くような気がしていたのだ。


 父は生前、常々言っていた。

―美優。本当に強いチームというのは、若手とベテランが歯車のように、上手く噛み合っているチームだ―

 父の言葉が頭の中で、反芻はんすうされていた。


 帰宅後、私は疲れてすぐに寝てしまったが。


 翌日。母にこのことを明かし、聞いてみた。

 さすがに、その金額の大きさに、母は目を丸くしていたが。


「美優の好きなようにすればいいと思うよ」

 母は、やはり優しい人で、私の自主性を尊重してくれるのだった。

 それはそれでありがたいが、決め手には欠けていた。


 そこで、私は次に信頼できる存在に電話をかけた。

「はい」

「愛華さん。相談があります」

 もちろん、棚町愛華だった。

 兄弟も姉妹がいない私にとって、年が離れた姉のような存在になっていた、彼女。


 話すと、すぐに会ってくれることになった。

 近くの駅前の喫茶店で待ち合わせをする。


 早速、やって来た彼女に、福岡から持参した紙を見せる。

 さすがに、母同様に、驚きを隠せない彼女。咄嗟に計算していた。


「5年20億。単純計算で、千葉の8倍ですね」

 千葉が提示した金額が3年で1億5000万円。1年当たり5000万円。福岡が提示した金額が5年で20億円。1年当たり4億円。


 金に目がくらむ奴なら、何の疑いも迷いもせずに、「高い」方を取るだろう。しかし、私はまだ揺れていた。


 そもそもGMの年俸の相場なんてわからないのだが。


「私は、ご存じのように福岡出身です。ですから、美優ちゃんが福岡に来てくれれば喜んでついて行きますし、ばり嬉しかです」

 何故か、そこだけ博多弁で彼女は告げて、笑顔を見せていた。


「愛華さん」

 呟いて、私は言葉を濁していた。

「でも……」


「でも? 何ですか?」

 問いかけられて、尚も言葉に詰まる私に彼女は見透かすように続けた。

「あなたは明らかに迷ってますね」


「お見通しですか」

「ええ。美優ちゃんは、正直ですからね。顔に出やすいです」


「確かに、この金額は魅力的ですし、私なんかを評価してくれたのは、すごく嬉しいのです。でも、なんか引っ掛かるんですよね」

「引っ掛かるとは?」


「それはですね……」

 そこで、私が告げたのは、生前の父の教えだった。

 常勝球団、金のあるチーム、自前の選手が育たないチーム、つまりは「バランスが悪いチーム」のことについて。


 すると、彼女は賛成も反対もせずに、微笑むのだった。

「でしたら、美優ちゃんの好きなようにやればいいと思いますよ。私は美優ちゃんについて行きます」

 結局は、母と同じようなことを彼女は言ってきた。


 だが、これはこれでありがたいのだ。

 あとは私の結論次第だった。


 数日後。

 私は、LIMEで、メッセージではなく、あえて音声通話を使って、彼女に伝えた。


「お断りするわ」

 と。


「ええっ! マジで! 何で!」

 さすがに、予想外だったのか、彼女、吉保花梨は大きな声で驚いていたが。


 私は、自信を持って、こう告げるのだった。

「私は千葉ユニコーンズというチームが好きだから。父が愛した、このチームを日本一にしたい」

 それが私が最終的に出した結論だった。


 GM1年目。

 千葉ユニコーンズを2位に導き、ファイナルシリーズを勝ち抜いてリーグ優勝を達成し、ジャパンシリーズで敗れるも、思った以上に好成績を残すことが出来た。


 だが、まだまだこれからだ。

 私にとって、GMとしての仕事は始まったばかりなのだ。


 父が愛し、私も好きになった千葉ユニコーンズを、日本一に導くために。私は来年もこのチームで戦い続けることを誓うのだった。


 かつて、偉大な成績を残した、球界一の名捕手がこんな言葉を残した。


 ―負けに不思議の負けなし―


 ―勝ちに不思議の勝ちあり―


 野球というスポーツは、常に「考える」ことで、結果が大きく変わる、魅力的なスポーツなのである。


                 (完)

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