第24話 連勝記録

 9月下旬。

 もうシーズンも終了間近で、通常、10月頭くらいにシーズンの全試合は終了となる。


 つまり、残り数試合という段階。


 そのはずなのに。

 ―ユニコーンズ、これで何と18連勝! 日本記録に並んだ!―

 ―奇跡だ! 俺たちは今、奇跡を見ている!―

 ―明日、勝てば日本記録。歴史の目撃者になれる―

 ―ユニコーンズ、エグいて―


 プロ野球ファンが集まるサイト、リアルタイムスコア更新サイト、短文投稿サイトなどを中心に、野球好きのネット民たちが大騒ぎしていた。


 シーズン開始前。下馬評では、プロ野球関係者の誰もが、千葉ユニコーンズの順位を、「4位以下」のBクラスとしていた。

 つまり、誰も3位以上を期待すらしていなかった上に、こんな連勝記録を生み出すとは思いもよらなかったはずだ。

 この連勝のおかげで、いつの間にか、首位の福岡パイレーツとのゲーム差が2.0まで縮まっていた。


(明日、勝てば19連勝の日本記録か)

 調べたところ、日本記録は、18連勝で1954年と1960年に達成されていた。

 しかも、1960年の時は、名前こそ違うが、この千葉ユニコーンズの前身であるチームが達成していた。


 それから半世紀以上が経っている。

 歴史を覆すか、それとも連勝記録タイで終わるか。


 その日の夜。

 不意に私に電話が入った。


 私に直接電話をしてくる人間は限られている。スマホの画面を見ると、棚町愛華という名前が浮かんでいた。


「愛華さん?」

「GM、いえ美優ちゃん。お願いがあります」

 珍しく、真剣な声を上げ、彼女は私に切り出した。


「明日、試合を見に来ませんか?」

「えっ」

 逆に、突然のことで、私の方がどぎまぎしていた。


 明日のスケジュールを確認する。明日は、対福岡パイレーツとの3連戦の最終日。場所は、本拠地の千葉幕張スタジアムだった。

 試合はナイターゲームで、試合開始は午後6時だから、普通にしていれば、放課後に行けば間に合う。

 ただし、もちろんチケットは取っていない。


「あなたが気にしているジンクスのことはわかっています。ただ、今回の試合は特別です。チームの連勝記録、いえ日本記録がかかっています」

「わかっています。ただ、やっぱり私が行くわけには……」

 事実、この連勝記録がスタートしてから、私は一度も球場に足を運んでいなかった。


 それどころか、以前、試しに見に行ったら、今回と同じ相手、福岡パイレーツに2-10とボロ負けしていたのだ。


 縁起をかつぐ、というかジンクスを気にして、私はやはり渋っていた。

 漠然とだが、「何かが起こるに違いない」という、不安な気持ちが先行するのだ。


 しかし、愛華はいつになく強引だった。

「明日の18時開始です。私は一足早く車で球場入りします。美優ちゃんは学校が終わってから、電車とバスで来て下さい。待ってます」

「あ、でもチケットが……」

 言おうとしたら、電話は切れていた。


(まったくもう強引なんだから)

 私は、迷った挙句、父の仏壇の前に腰かけた。


 観音開きの扉を開け、仏壇に線香を上げて、手を合わせる。

(パパ。ううん、お父さん。私、行った方がいいかな)

 それでもまだ私の決断は、揺れていた。結論が出ないまま、就寝しようと思って、リビングから自室へ行こうとしたら。


「美優」

 母の優佳に呼び止められた。


「何?」

「明日、私は用事で試合を見に行けないの。あなたは行くでしょ?」


「どうして行く前提なの?」

 そう尋ねる私に、母は珍しいくらいに真剣な眼差しを向け、決定的な一言を投げかけてきた。


「行くわよ、きっと。あなたなら」

 私は、複雑な気持ちのままベッドに入ったが、行くかどうかで迷い、考えがまとまらず、なかなか寝付けずにいた。


 翌日。

 天気は快晴。絶好の野球日和と言っていい「秋晴れ」の一日だった。


 私はいつも通り、学校に行き、午後3時半には下校。

 

 ところが、間が悪いというか、教師に呼ばれ、授業やGMでの仕事のことを色々と聞かれ、気が付けば午後5時を回っていた。


 試合開始までは残り1時間になっていた。


 さらに運が悪いことに、今度は仕事のことでオーナーから電話があって、立ち話。気が付けば、試合開始の午後6時を回っていた。


 ただ、私はそれが終わると、条件反射のように、バスに乗っていた。

 そして、気が付けば、自宅とは反対方向に行く電車に乗って、球場に向かっていたのだが。


「大変申し訳ありません。ただいま、人身事故が発生し、運転を見合わせております」

 電車に乗った瞬間、アナウンスが流れていた。


(やっぱりジンクスが)

 当然、そんな悪い予感を考えてしまう。


 私が球場に行くと、悪いことが起こる。そんなのただの錯覚に過ぎない、思い込みかもしれない。ただ、これまでの経験、そしてこの大事な時に人身事故で足止めされる、ということを考えると、やはり私は帰ろうと、自然に足を駅から遠ざけていた。

 

 そのまま、改札を出ようとして、すれ違った二人組の若い大学生くらいの男子の会話に足が止まっていた。


「おい、見ろよ、ユニコーンズ、また勝ってるぞ。すげえな」

「マジかよ。このまま19連勝じゃね。信じられねえ」


 私は思わずスマホを取り出し、ネットからいつも見ている、プロ野球のリアルタイムスコア更新を見た。


 1回裏、2-0。

 もちろん、まだ試合は始まったばかりだが、いきなり先制していたのだ。初回、2番の柏木選手が四球で塁に出て、3番の谷村選手がライトスタンドに2ランホームランを放っていた。


(仕方がない。待つか)

 結局、その駅で足止めを食らい、電車が動き出すのを待ちながら、私は電車の座席に座って、スマホからリアルタイムスコア更新をチェックすることになる。


 電車は1時間経っても動かなかったが。


 その間。

―サンタナの満塁ホームランで逆転される―

―マジか。サンタナ、エグい―

 3回表にあっさり逆転されていた。しかも満塁ホームランを打たれていた。2-4となる。


 さらに、

―大友と殿村にもタイムリー打たれた―

―気が付けば、2-8。絶望的―

 イニングが6回まで進み、その間に打たれた先発に代わった2番手投手が、またも福岡打線に捕まり、気が付けば終盤を前にして、6点差という状況。


(やっぱり私が行動を起こしたからか。これは19連勝は無理かな)

 と、絶望的な思いに浸っているうちに、電車はようやく動き出していた。


 ここから千葉幕張スタジアムがある、最寄り駅の海浜幕張駅まで1時間近くはかかる上に、そこから球場までの移動を考えると1時間半近くはかかる。


 その間、なんだかんだで私はスマホから常にスコアをチェックし、コメントを拾っていた。


 1時間半後。

 やっと球場に着いて見ると。


「うわぁああ!」

 物凄い歓声に包まれていた。


 私は当然ながら、チケットすら取れていないので、かろうじて入れた、外野自由席のチケットを買って、球場の外から外野席に向かった。


 そこには、球場全体を包む、まるで嵐のような歓声と大きな球団旗、そしてお揃いの縦縞のユニフォームを着た、千葉ユニコーンズファンの大勢の観客がひしめいていた。


 しかも、

「すげえ! ここに来てロペス、3ランホームランとか!」

「これは行ける! 行けるぞ!」

 スコアを見ると、9回裏、1アウト1塁。


 得点は7-8。福岡パイレーツがわずかに1点リード。

 どうやら、この最終回の攻撃で、ユニコーンズは先頭打者の足利がチャンスを作り、盗塁して足でかき回し、2番柏木が四球で出塁。3番谷村、4番桜庭が連続タイムリーで4-8。


 さらに、5番ロペスが3ランホームラン、6番蒲生がライト前ヒットを放っていた。

 7番大道寺は倒れたが、気が付けば7-8と1点差に迫っていた。


 そこには、「何としても勝つ」という執念のような物が感じられた。

 選手が、意地でも勝ちたいという気持ちが伝わってくる試合だった。


 そして、ランナー1塁から8番長野がレフト前ヒットを放ち、1アウト1、2塁となる。

「おおおっ!」

 球場が大歓声と、派手なブラスバンドの応援に揺れる中、9番一条は惜しくも三振。


 2アウト1、2塁で、1番足利を迎える。

 私は、正直、足利選手は、「足」が魅力だが、それ以外はあまり評価していなかったが。


 快音が響き、ボールが一塁線を抜けて、レフトのポール際まで転がっていた。1塁ランナーの長野は無理をせず、3塁でストップ。


「カウント2-2から、足利、左中間を破るタイムリー! ユニコーンズ、ついに追いついた!」

 実況の声が響き渡り、球場全体が揺れるように、轟音のような歓声に包まれる。

 私は思わず、鳥肌が立つくらい感動していた。


 9回裏2アウトの、まさに土壇場からユニコーンズは、6点差を追いついたことになる。9回裏2アウト3塁。


(野球は、9回2アウトから、か)

 私は、昔、父に言われたことを思い出していた。


「いいか、美優。野球というのは9回2アウトからが一番面白いんだ。野球はサッカーと違って、時間制限がない。最後まで諦めなければ、きっと奇跡は起こる」

 生前、父がそんなことを言っていた。それが彼自身の体験から来る物か、ただの理想なのかはわからなかったが。


 そして、この数万人を超える大観衆が見守る中、誰もが信じられない結末を見る。

「打席は今日、マルチヒットと調子がいい、2番柏木」

 2番の柏木は、この日、4打数2安打。当たっていた。


 相手投手は焦っているのか、割と早いカウントからストライクを取りに来た。カウントは0-2と一気に追い込まれており、観客の誰もが不安というより、漠然とした「終わり」を予感していた。


 そして、

「第3球、投げました」

「打った!」

 打球は、ライトの頭上を襲う。パイレーツのライトは懸命に手を伸ばし、ボールがグラブに当たったかに見えた。


 しかし、ボールはグラブに当たらず、フィールドに落ちたのだ。

「抜けた! 俊足の足利が本塁に走る。ライトから返球されるが、間に合わない!」

「サヨナラ! サヨナラだ! 何とユニコーンズ、6点差をひっくり返して、サヨナラ勝利! そして、これで日本プロ野球記録更新の19連勝だ!」


「うぉおおおおっ!」

「すっげえ!」

「マジで歴史的瞬間だ!」

「ユニコーンズ!」

 観客席からはもはや制御しきれない、ユニコーンズコールと、球団公式応援歌が唄われ、私は近くにいた見知らぬ人から、ハイタッチを求められる始末だった。


 自然と、私は笑顔でハイタッチを交わしていた。鳥肌が立つほどの感動と共に、恐らく人生でそうそう見られない奇跡的な場面に遭遇したことを、一生忘れられないだろうと思うのだった。


 おまけに勝負を決めた、柏木選手は私が指名して獲得した選手だから、余計に嬉しかったのだ。


 この日、千葉ユニコーンズは、100年を超える日本プロ野球の歴史を塗り替える、19連勝という、前人未到の偉業を達成。


 私が思った、ジンクスは破られたのだった。

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