第8話 嵐の予感 - Part 1
逃げ遅れたセミと鳥たちの声が聞こえる。他の仲間たちへと誇示するように。もしくは嵐が過ぎ去ることを願うように。
絶え間なく吹き抜ける風に、もしかしたら地球上には自分しかいないんじゃないのかと錯覚してしまう。何かしらの要因で荒廃した街のなか、物資を求めて一人彷徨う。そういうシチュエーション、結構憧れる。
きっと、最近一人を実感出来なかったからだ。水族館に出かけた日からずっと姫宮さんとメッセージを交わしている。夏休みの日々のどこか片隅に、姫宮さんが常に映っているような感じ。だから少しずつでも彼女のことを知れるのかな……なんて考えていたけど、結局あれ以降核心に迫れた日は無かった。
大丈夫。夏休みはまだ残っている。
……それより今は自分の心配をしないと。雨が本格的に降り出す前に買い物を済ませよう。
普段は人の往来が激しいはずなのに、ここまで誰一人としてすれ違わなかった。
やっぱり皆、ちゃんと予報を確認しているし、台風の日は外出しないということを守っているんだろう。
もちろん私だって、雨が降り出したら即帰宅する。ただ……
どうしてか嵐の前の静けさ、前兆の段階だと無性に散歩したくなる。
過ぎていく毎日に突然現れるイベントと似ているから。私にとっては体育祭、文化祭、修学旅行に近しい。
……去年の体育祭のことを急に思い出してしまった。競技が午前中の早い時間帯に終わって、あとはそれっきり。ずっと学校中をふらふらしていた。
行事に関しては学校側も甘いところがあるから、別に問題は無い。当然帰るのだけはダメだけど。
つるむ友達もいないし、かといって別にやることもない。
唯一の頼みだったスマホのバッテリー残量が10を切ったときは本当に焦った……
……気を取り直して。買うものは決まっているし、早いとこ買って早いとこ帰ろう。
店内は明らかに静かだった。閉店の時間を繰り上げる張り紙から読むに、店員さんもいつもより少ない。4時ぐらいなのにまるで閉店間際の空気があった。
えっと。まずは飲み物、飲み物……今日は紅茶の気分かな。いや、喉乾くしミネラルウォーター……それか炭酸入りのジュースで一人パーティーしてみたり?
家族の分も買っていこう。だから大きめの――でも持って帰るのが大変になりそう。お父さんとお母さんのお茶2本と、私とお姉ちゃんのジュース2本。
合計2リットル。どっちにしろ持って帰れないじゃん!
頼まれたわけではないし、私の分とお姉ちゃんの分の2本で良いか。
お姉ちゃんのは適当なジュース。自分の飲み物を決めるときと違って、別に迷いはしなかった。
次、お菓子。具体的にはクッキー。何かの片手間に食べるものとして優秀だから。好きな食べ物のお菓子部門第一位でもある。
クッキーは確かこの棚に……
抹茶、メープル、レモン。バター、ソルト、フルーツ。
セサミ、チーズ、シナモン。チョコチップ、ホワイトチョコ、いちごチョコ。
ブルーベリー、カシス、クランベリー。マルベリー、ラズベリー、ブラックベリー。
ん?
まぁ私は個人的に好きなシナモンクッキーを取りました。
いつもより5%ぐらいスピードを上げてセルフレジに直行する。
この際レジ袋に入れる順番なんて気にしていられない。
バーコード決済のためにスマホを取り出すと、誰かが数分前に通話をかけてきたようだった。
多分家族のうちの誰かだ。外に出ることは事前に伝えているし、頼まれ事もされてない。もしかしたらお姉ちゃんあたりが車で迎えに来てくれるかもしれない。
外に出たら折り返そう。
ありがとうございました、の一言に軽く会釈を返し自動ドアを抜ける。
空は灰に埋め尽くされて、霧に近しい雨が降りつけている。でも迷う時間はない、全速力で帰ろう。
だけど、まずは電話を返さないといけない。
細かな水の粒子をふき取りながら、ろくに相手のアカウント名も見ないでボタンを押す……
1コール目で繋がった。
「もしもし。悪いんだけどさ、迎えに来られたりする?」
『え、碧月さん今どこいるの?』
「……あれ」
繋がったは繋がったけど……聞こえてきたのは家族の誰とも違うタイプの声だった。
「どちら様です?」
『燈夏だよ。と、う、か。あなたの一番の親友』
「なるほど」
『反応うすっ』
正直に言って特段驚きはしなかった。電話がかかってきたときから予想はついていた――私の家族は私を含めて、やりとりするとき基本メッセージしか使わないから。
「ごめん。外にいるからあとで話そう」
『……こんなときに外出してるんだ。まいいや、気をつけて帰ってよ?』
「わかった」
『じゃあまた後でね』
姫宮さんの忠告を胸に、最大限の注意力と持久力を駆使して帰路についた……っていうのは大げさかもしれないけど。
途中、灰色どころか限りなく黒に近い雲が見えて来た時、夏の音が何も聞こえなくなった。セミも鳥もいなくなったようで、ただ無機質な風が鼓膜に届くだけ。
必然、私の歩調は焦りを刻んだ。
怖かった……今度からはもっと考えて外出しないと。
でもこれで痛い目を見ても私に“そもそも外出をしない”っていう選択肢は多分生まれないと思う。
家に帰ってきてから結構な時間が経ったあと。21時を回り、本降りの雨と風が響き始める。
本来帰った直後に電話するべきなんだろうけど。夕飯食べたりお風呂に入ってからしよう、と提案したらその通りにしてくれた。電話一本に準備かけすぎな気もする。仕方ないよね、あらゆる連絡をメッセージだけで済ませてきた人生だったんだから。
お姉ちゃんに買ってきたジュースを渡したら『もっといいの無かった?』なんて文句たらたらだった話は――どうでもいいか。そんなことよりずっと重要な事があるから。
椅子に深く腰掛けて、姫宮さんからの着信を待つ。雨風は猛烈な域に達して、家のどこにいても耳を塞いでいても轟音が届く。いずれ雷も伴うはず。
予報では台風の影響は一夜限りで、明日からしばらく快晴が続くらしい。でも窓の外を見ると疑いたくなる。
部屋の照明を消して、代わりに卓上の明かりを。そしてぬるくなった飲み物とクッキー。
背景には軋む窓と止めどなく揺らされる木々の音。雰囲気は最高に近い。
子供のとき、今日みたいな台風とか雷の日にはよくお姉ちゃんの部屋に行ってたっけ。『一緒に寝よう』ってお願いしたときのお姉ちゃんの嫌そうな顔は今でも覚えている。
あの時は私達の関係が少し違っていた。
もっとも、変わらない関係なんてありはしないんだけど。
ぼんやりと上の空を見つめていると、机に置かれたスマホが騒がしく鳴動する。すぐさま手に取ると、見慣れた名前。
「どなたですか?」
『どなたって……分かるでしょ。またさっきと同じやりとりするの?』
「ごめんごめん」
スマホ越しに、呆れたような感嘆が漏れでた。人と話すときは面と向かうのが基本だから、相手の表情が分からないことに不自然さを感じる。でもこの不自然をいずれ自然に変えないといけない。将来どこかでつまづくだろうから。
「で、なんで電話かけてきたの?」
『ん? 理由なんている?』
「え」
『確かに考えたことなかったなぁ』
「強キャラ……?」
『とにかく。いつもみたいに色々おしゃべりしようよ』
まさか通話で取り留めもない会話をしてもいいだなんて……
……いつも何話してるんだっけ、と懸命に日常を想起する。経験の浅さ故にいちいち考えないと会話のきっかけが作れない。
ただ、そのきっかけを作る役割は姫宮さんが担ってくれることになりそう。
『そうそう、夏休み明けすぐに体育祭あるよね。碧月さんなんの競技に出るの?』
「ん、ちょっと待った。体育祭ってなに?」
『体育祭ってなに、ってなに? どのクラスも盛り上がってるはずなのに……嘘……』
「さすがに分かってはいるよ。ちょっと嫌な記憶が」
私達の知り合った日が夏休み直前なせいで実感できないけど、私達は別のクラスなんだよね。
もし同じクラスなら体育祭に対してここまで億劫になることも無かっただろうに。
いや。体育祭だけじゃなくて、他の行事についても。ソロプレイに厳しすぎる……
『去年の話? ま、大丈夫だよ。なんたって今年はわたしがいるから!』
「心強いね、助かる。私ドッジボールに出るんだけどそっちは?」
『ドッジボール? あぁなるほど、なるほどね……ふっふっふ』
不敵な笑いが聞こえる。まるでゲームのキャラクターが好敵手を相手取ったときのような。
先に言うと、確か私のクラスと姫宮さんのクラスはトーナメントの一回戦目の敵同士だったはず。勝った方が次の試合へと進んで、負けた方は敗者復活の余地なく即脱落。つまり負けたら暇を持て余すことを強制される。
そう、負けたら暇になれる!
あとは校内をぶらつくなり、こっそり持ってきた本を読むなり自由にできる。だから実力がはっきり表れて、上手くやればいい感じに手を抜けるドッジボールを選んだ。
残念なことに、私のクラスに体育祭へ時間を捧げるような同級生はいないし。
『安心してよ。優しくしてあげるからさ……』
「ずいぶんと余裕だね? 手心加えて勝てるほど軟弱なチームじゃないよ、こっちのクラスは」
『むむ、じゃあ本気5割で』
「手加減なんていらない。むしろ全開でかかってきてよ」
『ふーん、そんなに自信あるんだ』
「いいえ?」
『えー……どういうこと?』
体育祭の話題がひとしきり終わったあと、今度は文化祭、修学旅行……と行事について色々話し合った。
正直、明日になっても覚えていられる話題は無い。でもそんな温度感が丁度良かった。
暗く吹き荒れる空には雷鳴が付け足されて。とにかく恐怖と寂寞を埋める必要があったから。
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