第4話 空から溢れて - Part 1
緩んだ騒々しさの中、担任の先生が口火を切る。
「夏休みだからって羽目を外しすぎないように。課題と休み明けの確認テストの存在を忘れてくれるな」
毎回毎回、もしかすると毎年毎年同じような締めくくりをして飽きないんだろうか。少なくとも聞かされる側の私はとっくに飽きている。
「つまりだ。せいぜい楽しんでくれ」
先生がこんなことを言うだなんて予想外だった。いつも悪役みたいな言動を繰り返している姿からはどうしても想像がつかない。
呼応するように、教室中から合いの手が響く。皆、歓喜しているけど――ちょっと待った。
これってもしかしなくても皮肉だよね? 遠回しに私達をけなすっていう、新しい技を覚えてしまったらしい。普通1学期最後の日にこんな変なことする?
単に私がひねくれているだけであって欲しい……どっちにしろ、皮肉の張本人もまんざらではなさそうだし、別にどうでもいっか。
これから始まる壮大な旅と比べれば。私の周囲で起こること全ては些細な事でしかない。
「では、また2学期に」
その言葉を発端として、次々に教室を出て行く同級生たち。一番早く退室したのは――他ならぬこの私。
帰宅の先に待ち受けるは、夏休みという素晴らしき日々。そう考えれば、誰だって猛き獣のような俊敏さを我が物に出来るはず!
今の私は帰宅と名のつく競技におけるスペシャリストだ。最小限の歩幅で最大限の効率的な移動。極限まで研ぎ澄まされた足運び。下駄箱での操作すら、あらゆる後続を凌駕する。
昇降口を脇目に、校門をひとたび抜ければ、もう誰にも止められはしない――煥然たる日々の訪れを。
さぁみんな……共に、夏へ帰ろう!
朽ちた城塞を一歩また一歩と進む。あるときは正面から叩き、またあるときは背後からの一刺しで確実に仕留めた。遠距離からでも問題ない。偉大なる祖たちが残した魔法。青色の輝きが敵を瞬く間に貫く。右手の剣と左手の杖。この2つさえあれば、いずれきっとこの地の王になれる。
けれど分かっている。命を賭した戦いの中、時に己の命をも差し出さなければいけないことは。
黒鉄の鎧を纏った大柄の騎士が立ちはだかる。今まで何回も相対した敵だ。最後まで冷静に動きを見極めれば、絶対に勝てる。
後の先を狙わなければいけない。いかなる攻撃でも、被弾すれば致命傷を免れないから。だからまず初太刀を全力で回避した後、即座に背中へ回る。そして、鋭利な刺突を君にあげよう。
かの騎士は大槌を振りかぶる。これは単純な叩き潰しの予備動作。
大丈夫、前に回避すれば余裕で――
その時。
背後より飛来した炎が私を穿つ。画面いっぱいに橙と赤のエフェクトが広がった。
「っ!?」
あまりに予想外な攻撃に、思わず声が漏れる。
死角からの攻撃を受け、怯まない生物なんているだろうか? ゲーム内のキャラクターにも、プレイヤーである自分自身にも言える。
怯み、判断の鈍り、冷静さの欠如。数々の要因から生まれたわずかな隙は、あまりに重すぎる被弾を許すのに十分だった。
二重の衝撃により、命は一瞬にして潰えた。
ボタンを愚かに連打する私をさておき、画面には無慈悲なゲームオーバーが広がる。
180度視点を動かすと、そこには炎の投擲物を携えた一体の雑兵がいた。道中の敵は全部片づけたつもりだったけど、まさかの漏らしがあったなんて。ちゃんと確認するべきだったのに!
ま、まぁいっか。別に。
少なくともまだ納得感のある死に方で良かった……これよりひどいのを多く経験してきたからこそ言える。
今回は君たちを許す。でも次やったらどうなるか分かるよね? そう、こっちが死んじゃう。だからやめてね。お願いだから。
……とりあえず一旦休憩しよう。なんだかすごい疲れた。5,6時間目の授業を通しで受けたような気分。
でも1時間もすれば、懲りずにまたプレイするんだろう。あいにく、時間だけはたっぷりあるんだから。カレンダーが白に塗りつぶされている限り、次元を跨ぐこの壮大な旅は終わらない。
長時間の集中により重圧が蓄積された身体を、思いっきり伸ばす。時計代わりに外を見やると、もう既に太陽は沈みかけて、紫と橙のグラデーションで空が染まっていた。我ながら恐ろしい。通学と課題という鎖から放たれた途端、こんなにも時間が短く感じるなんて。
飲み物を持ってこようと立ち上がったとき、私はドアを繰り返しノックするそのまばらな音に気づいた。
イヤホンを着けているせいで聞こえなかった。もしかすれば、ずっと無視していたことになってしまうかもしれない。そのときはちゃんと謝ればいっか。
……同時に違和感を抱いた。私の家族にとってノックは形だけのもので、特にお姉ちゃんに限っては返事を待つことなく、勝手に部屋に入ってくる。
家族の内だとしてもノックは絶対に必要だと思っているし、私は構わないんだけど……普段なら誰も見せない変な真面目さに対して、ちょっとだけ違和感が生まれた。
気にしすぎ、なのかな。
「待って、今開けるから!」
隔たれた向こう側に聞こえるよう、腹の底から声を上げる。
暖かく多量の水を含んだ空気が鼻腔をつく。熱帯の匂いに身体が引き返せと言っている。だけど結局、それは未達に終わった。なぜなら……
「ふぅ〜ん、家の中だとそんな声出すんだね」
目の前に立っていたのは家族ではなかったから。
「えぇ、またこのパターン!? ていうか親はなんでなんにも言ってくれないの!?」
「またとはなんだー、せっかく帰り道に寄ってあげたのに」
姫宮さんは施しを与える聖母のように、でも施しを欲する民のように、慈悲と強情の眼差しを見せた。正に壊れることのない魅了の眼差しと言える。
うん、つまり……これ以上こっちからは何を言う気にもなれない、ってこと。
「ほんとはわざわざ来なくてもよかったんだよね、でもせっかくだし直接会っちゃってもいいよなーって。この前も部屋に上がらせてもらったし」
「すごい行動力……」
「あはっ、それがわたしの唯一の持ち味だから」
他にもたくさんあるでしょ、とはあえて言わなかった。話題が迷子になるのを恐れたからに他ならない。つまり発するべきはもっと別なこと。
立ったまま会話をすることはどうしても慣れない。だから渋々部屋の中へ招き、座らせた。もちろん、モニターの電源を消したあとで。過激なゲームをやっていると勘違いされるのも嫌だし。もちろん私は1ミリもそんなこと思ってないけど。どうか彼女もそうあってほしい。
「とにかく、どうしてわざわざ会いに来てくれたの? 何かしら理由があるのは察してるんだけど……」
「そうだ。夏休みどこにいくか話そうとしたんだった。どこか行きたいとこある?」
「うーん……特にないかな。姫宮さんはある?」
彼女は口に人差し指を当てがい、上の空寸前の表情を見せる。思うに、近辺の遊ぶ場所を懸命に探しているんだろう。
私もつられ、街中から一駅、二駅先と俯瞰して探し回る。普段家からあんまり出ないことが災いし、すぐには見つけられなかった。でも……
「いや、一つ思いついた。姫宮さんと行きたいところ」
素直に伝えると、呼応するように彼女も熟考から放たれ口を開く。同じようにアイデアが浮かんだのだろうか。
「ほんと? ちなみにわたしも一つ思いついたよ」
どちらが先に提案するかということについて、私達は束の間腹を探りあっていた。折衷案が見出されるまで。
「じゃ、せーので言い合わない? そうすれば公平でしょ」
「わかった、わかった……」
「うん、いくよ。いいね?」
呼びかけに対し多少大げさに頷く。不平を暗に表す最後のあがきだった。でも伝わっているようにはどうしても見えない。こうなったら気にしても仕方ない、今こそ覚悟を決めないと!
「せーのっ」
「「水族館」!」
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