解決編1-5
「ここにすべてのことが書いてあります。もちろん、警察には提出しますよ」
そう言って副島さんが机から取り出したのは、日記帳だった。私は周りに目で確認してその日記帳を開く。そこには、副島さんが書いたとは到底思えないような字がびっしりと書かれていた。その字は、子供が五本指を全てそろえてクレヨンで殴り書きしたようなものだった。なんだか、字がとげとげとしている。
私は黙ってそれを読んでいた。すると、だんだんと吐き気がしてきた。なんだか、私の体がそれ以上を読むことを拒んでいるような感じさえもした。でも、私はそれをこらえてなんとか最後まで読み終えた。それが、私の責任だと感じたからだ。最後のページをめくったことを確認した副島さんは、ゆっくりと話し始めた。
「実は火野、西野、大庭は三人で共謀して自身の立場を生かした脱税、売春などの違法行為を行っていたんです」
「な、なんだって!」
長岡博士が大きな声をあげる。他の人たちも信じられないと言いたげな顔をしていた。ここにいるほとんどの人は、西野博士に対して尊敬の念を抱いていたのだから当然だ。
だけど、私は副島さんがここにきて嘘を言うとは思えなかった。
「内容としてはひどいものだった。基本的には西野の権力を中心に話が薦められていたわ。脱税ももちろんだけど、特に許せなかったのが売春行為。と言っても、売春でさえもまだいいと思えるような内容だったわ。彼らは自身の権威を使い、大学や研究所などに圧をかけて女子学生たちを意見交換会など称としてホテルに数人を呼び出しては部屋に連れ込んでいたらしいわ。しかも、それを動画にして残して脅迫までしていたの」
その言葉を聞いて、全員ショックを隠し切れなかった。まさか、自分の尊敬する人がそんなことをしているなんて信じられないだろう。特に、甲斐博士はショックが大きそうだった。女性として被害者のその辛さはよくわかるのだろう。
「私はそれを、火野が電話をしていた時にそのことをたまたま聞いてしまった。だから、私はその女性たちに申し訳ないと思いながらも火野のオンラインストレージを確認すると汚らしい動画が山のように出てきた。私は思わず戻してしまったわ。画面がほとんど肌色で埋め尽くされて、女性はみんな恐怖に怯えていた。私はとにかくなんとかしないといけないと思って、火野にすぐ話をしたわ。でも、そんなことで説得されるならこんなことはそもそもしてないわよね。私が馬鹿だった」
そう言って、副島さんは顔色を青くしてまるで体を抱きかかえるように手を回した。
その仕草が何を意味するのか、私にはわかってしまった。
「私は必死に説得した。こんなことはもうやめるべきだ。今までの被害者にしっかりと誠意をもって謝罪して、なんとか示談にしてもらうべきだと。でも、火野には私のいう事は届かなかった。それどころか……」
もう、それを話す副島さんの足には力が入らなかったようだ。足がぐらっとゆがむと、そのまま床へと崩れ落ちる。
「大丈夫ですか! しっかりしてください」
私はあわてて、彼女の体を支える。彼女は、ただそれを話すことが贖罪になるかのように話をやめない。しかし、顔はかなり苦しそうだった。
「考えればわかることだった。こんな場所で成人した男女が一人ずつ。そんな状況で暴力を振るわれれば私に勝ち目はなかった。そのまま無理やりさせられて、写真も撮られた。このことを漏らせば写真を拡散すると脅された」
その言葉を聞いた途端、私の中で張り詰めていた緊張の糸がほどけた。
そして、その代わりに恐怖が心を支配した。なんて酷い事を……
「さらにはその写真で脅して、西野や大庭ともさせられた。本当に気持ち悪かったけど、その時の私にできることは無かった。そのおかげで、他の人が被害にあっていないというのは良かったことかもしれない」
「も、もういいんです。話さなくても」
そう言って私は彼女を抱きしめる。自然と、涙が流れていた。研究室の床に涙が落ちる。彼女の体は大きく震えていた。私はそれをおさえようと、より強く抱きしめる。
「ねえ、渡橋さん。あなたならわかってくれるでしょ。女性としての尊厳を踏みにじられて、暴力を振るわれて半ば監禁状態にまでされた。そんなときに私が考えていたことは一つだった」
あまりの気迫に、私たちどころか数々の修羅場をくぐってきた登松刑事たちも、たじろいでいた。副島さんの目には、間違いなく炎が宿っていた。
「こいつらを殺してやる。地獄の炎で焼き殺してやるってね」
「そんなときに見つけたのが、ギリシア火薬に関する研究だった。そこから、私の頭は復讐と制裁を行う事しか考えられなかった。被害者に代わって、私があの三人に対して裁きを行う。そのために、井野君や岩塚君の前では平静を装いながらトリックを考えていたわ。あとは渡橋さんの推理した通りよ。こんなにすぐ暴かれるとは思っていなかったけれど」
副島さんはうなだれることなく、最後まで堂々としていた。
「副島和葉さん。あなたを殺人の容疑で現行犯逮捕します。あなたには黙秘権があり……」
登松刑事が手錠をかけるときも、まったく動じることも無く、警察に連れられて淡々と歩いて行った。その姿は少し悲しげだった。
これで、彼女が抱える怒りの炎はおさまったのだろうか……
それは私にはわからなかった。
彼女が行ったことは、決して許されることじゃない。
でも、少しでも安らかな気持ちでいて欲しい。私はそう願った。
「ごめんね。井野君と岩塚君には迷惑をかけてしまった。でも、君たちなら大丈夫。きっとまた研究に打ち込むことができる場所があるわ」
そう言って、副島さんは笑った。そして、警官たちに囲まれて部屋を出ていこうとドアの方へと向き直る。副島さんが右足を踏み出したその時だった。
「待ってください!」
私は最初、その声を出したのが誰かわからなかった。声は大きく、半分裏返っていた。
その声の主は、井野さんだった。
「そんなに自分を責めないでください。少なくとも僕は、副島さんのおかげでこんな辺鄙な場所でも快適に生活をして研究へと打ち込むことができました。だから……だから……」
「だから?」
「す、好きです。こんな時に言う事じゃないかもしれませんけど」
その言葉を聞いた副島さんは驚いていた。その表情は、この研究室に来てから初めて見せた自然な表情に見えた。
そして、そのまま自然な笑顔を浮かべる。
「ありがとう。私も、ここで過ごせた時間は楽しかったわ」
そう言って再びドアの方を向くと、もう誰も声を発することなく警察に連行されていった。彼女を支配していた怒りの炎は、もう消えていた。
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