解決編1-4

「でも、仮にそのファラリスの牡牛とやらを使って火野博士が殺害されたのならば、牛の鳴き声みたいなものが聞こえてくるんですよね。ですが、牛の鳴き声どころか人の叫び声すらもしませんでしたよ?」


 部屋の前を通りかかった岩塚さんの疑問はもっともだった。しかし、それが問題にならないように、犯人はさらなる仕掛けを用意していた。


「まず、前提としてこの一連の事件で焼死した人物はいません。例えば、西野博士は状況から考えて爆死と言うのが正しいですし、大庭博士も焼死とはいいがたい。そして、最も大きな誤認は火野博士が焼死ではなくて、おそらく絞殺されたんでしょう」


 ここが火野博士を殺害したトリックで最も重要なポイントだった。探偵さんも、どうやらこの点が引っかかっていたらしい。


「私はファラリスの牡牛と不知火の伝承によって、火野博士が生きたまま焼かれて亡くなったと思っていたんです。すると、火野博士が助けを求めなかったのかという問題が浮上しました。ですが、火野博士を絞殺してから焼けば叫び声も想定外の事態も発生しません」


 しかも、絞殺されたときに残る策条痕は皮膚がどろどろに溶けるせいで残らないし、死亡推定時刻も正確にはでないことで西野博士や大庭博士を殺害するトリックとは違ってヒントになるようなものがかなり少ない。


「でも、一時間半やそれくらいの時間で人の体をあそこまで焼き切ることができるんですか?」


 登松刑事の疑問は最もだろう。しかし、それは難しいことではない。


「ここで、ファラリスの牡牛についてです。ファラリスの牡牛は真鍮で作られていたと言われています。そして、その真鍮は銅の比率にもよりますけどおおよそ八百から千度。では、これ以上の温度を出すにはどうすればいいかなんて簡単です」


 そう言って私はライターを取り出す。そして、歯車のようになっている部分を勢いよく回すと小さな火が生まれた。みな、火に対して無意識下で恐怖を抱いているのか少し後ずさる。


「安心してください。この部屋が安全なことはすでに確かめてあります。そして、ライターのこの小さな火が持っている温度は千度くらいだと言われています。もちろん、様々な要因が重なった最高の温度ではありますが、この程度の作業で簡単に千度を超える日を発生させることができるんです」


 実際に、千五百度くらいまでなら家電で十分に用意できる温度だ。


「しかし、ただ遺体にライターをずっと近づけていても効率が悪い。基本的に物を温めるときには何かしら熱伝導性の高い容器に入れて外から火を近づけることが普通でしょう。それが、もっとも手軽にできる場所はどこですか?」


 急にそんなことを言われても困惑するばかりだ。誰も答えにたどり着かない。犯人以外は。


「簡単なことですよ。千度以上の温度で何かを温めるなんて生活の中でそうそうありません。ましてや今日も含めて私たちが滞在している期間は夏真っ盛り。ガスストーブなどは倉庫の奥に眠っているでしょう。なら、ここです」


 私はそう言って、壁を叩く。コンコンと小気味のいい音が鳴った。


「この先には何がありますか? 岩塚さん」


「この先は……調理場」


 先に気が付いた岩塚さんと井野さんは、真っ先に犯人の方を見た。二人の表情からしてただごとではないと理解したのだろう。他の人たちも犯人の方を見る。犯人は表情を崩さない。


「この研究室には当たり前ですが人を閉じ込めることができるほどの大きさを持った金属製の容器はありません。そういった大きなものはたとえ実験に使うとしても倉庫にしまっておくでしょう。しかし、もう一つ近い場所に同じ役割を果たすことができるものがある。それこそ、これだけの人数が来てスープでも作るなら一度に調理できるようにかなり大きな容量の鍋が必要になるはずです。鍋ならばコンロにかけて火をかけるだけ、あとはそれをどうにかして運び出して部屋に放置する。これだけで床などには跡が残っていないのに、焼けた火野博士の遺体が転がっているという不自然な光景が作り出せます」


 あの光景、まるで牛の剥製がこちらを向いて笑うようにしていた光景を完成させてからは犯人は食事会の準備に徹する。


「犯人は料理をすると見せかけてコンロで火野博士の遺体を焼いていた。しかも、ガスコンロの上には基本的に換気扇が備わっているから、匂いでばれることもない」


 私は大きく息をつくと、もう一度だけ犯人に視線でに問いかけた。ここで、自白して欲しいと、降参して欲しいと思ったがそれをする様子はない。


 もうこれ以上話すことはない、後はたった一言。せめて、私の言葉で宣告してあげる事しか、今の私にできることは無い。


 私はもう一度深く息を吸って、犯人を指さした。


「以上のことから、犯人はあなた以外にありえないんですよ。副島さん!」



 その言葉を聞いてもなお、副島さんの表情に動揺の色は見られなかった。


 しかし、ふっと息を吐いて笑顔を浮かべる。その笑顔に、私は恐怖を感じた。


「お見事よ。まるで、映画の中にいる名探偵みたいだわ」


「そ、そんなわけないですよね」


 井野さんは、いまだに信じられないと言った顔をしている。当然だろう。ここまで何年もの間を同じ屋根の下で暮らしてきたのだ。そんな人が殺人犯だなんて信じろというのも無理がある。


「ずっと説明してくれたでしょう。犯人は私以外があり得ない状況なのよ」

副島さんの自供にもとれる発言にも井野さんは必死に頭を振り絞って反論を考える。


「でも……そうだ。副島さんは真犯人にはめられたんだ。犯人はどこかのタイミングでスープと火野博士の遺体が入った鍋をすり替えて副島さんを間接的に死体遺棄に協力させた。そうですよね?」


 その言い分は、あまりにも苦しかった。きっと、普段の井野さんならばこんな荒唐無稽な推論は口に出さないだろう。それをわかっているから、誰もその推理を否定しなかった。


「いいえ、それは無いわね。悪いけど、代わりに説明してくれる?」


 副島さんは、私を見てそういった。その目は悲しそうだった。


「普段から料理をしない人にはわからないかもしれませんが、動物の皮が焼ける匂いは他の部位と違う強烈な匂いを発します。いくら料理中だったとは言え、その匂いに違和感を覚えないのはあり得ないはずなんですよ」


「そ、そんな」


 井野さんは頭を抱えながら膝から崩れ落ちた。髪が禿げるんじゃないかという勢いで頭を搔いている。副島さんよりも彼のほうが、この結果に悲しんでいるようだった。


「念のために確認します。副島さん、私の話した推理はあなたの行ったことと違う点はありましたか?」


「いいえ。本当に素晴らしい頭脳の持ち主ね。完璧だと思ったんだけどね」


 彼女の言う通り、このトリックはほとんど完璧というに近かった。


 きっと探偵さんがいなければ、事件の全容が明らかになることは無かった。しかも、こちらはあくまで状況証拠のみで、物的証拠を何一つとして押さえることができ

ていない。


「ま、私にとっての不運はあなたがここにいたことね」


 その言葉はおそらく私に向けられたものだったけれど、それに返す言葉を私は持ち合わせていなかった。代わりに甲斐博士が話しかける。


「ねえ、どうしてこんなことをしたの?」


 そうだ。私が展開した推理は状況証拠から求められる犯人を示しただけで、その動機などには言及していない。副島さんの立場からすれば、そこを起点に言い逃れをできる可能性もあった。彼女がそれに気づいていないとは思わない。


「それも証拠は無いんですけども、聞きたいのならお話ししますよ」


 そう言って副島さんは体を翻す。それに対して警官たちは構える姿勢をとったが、副島さんは抵抗をしない。彼女の笑顔には諦めが色濃く表れていた。


 彼女が歩き出すのに、私たちはついていった。 私たちが向かったのは、副島さんの自室だった。

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