出題編3-4
「人体ろうそく化は、衣服や髪に発生した炎が人の脂肪をろうのように溶かして吸い上げることで、遺体が炭化するまで燃やし続けることよ。別にタバコだったり、日光を金魚鉢で焦点を合わせたり衣服が発火することは珍しいことじゃないからね」
「それが、人体発火現象と何の関係があるんですか?」
「人体発火現象、通称SHCは周りに火の気がない状態、つまり人体が自ら発火したとしか思えない状況で遺体が見つかったことを、誰かがそう名付けたのよ。かなり昔からあったらしいけど、有名なのはメアリー・リーサーの事例ね」
「メアリー・リーサー? 海外の方ですか」
「日本では過去に一件しか報告されていないわ。ともかく、メアリー・リーサーの息子がメアリーの住むマンションを訪れると、メアリーはスリッパを履いた足など体の一部を残して焼け死んでいたの」
「別に、そこまでは珍しいことじゃないですよね?」
珍しいことであってほしいのだが。
「ええ、でもね。不思議なことはメアリーの座っていたと推測される椅子やカーペットなどがほとんど燃えていなかったの。もちろん、人も有機物だけどカーペットや椅子などよりはよっぽど燃えにくいわ」
「それが、人体ろうそく化現象ですか」
「もちろん、いろいろな推測がされているわ。体内にあるアルコール分に引火した可能性や、体内にある黄リンが発火した可能性みたいなね」
確かに、黄リンは体内に存在する物質で、常温で発火する代表格だがリンが体内で発火するなんて聞いたことがない。それに、これからパーティーもあるというのに、お酒を摂取しているとも考えづらい。
「そうよ。それにアルコール摂取をしない被害者もいたし、過去には二百件も人体自然発火現象と位置付けられた事件とも、事故とも言えない報告がされているから、その全てに共通することは現在も見つかっていないのよ。理解できた?」
「なんだか混乱してきました」
私の脳は、すでにショート寸前だった。
「いいのよ。考えるのは私の仕事。でも、あなたの言葉がヒントになっているのも事実よ。ここで大事なのは第一の殺人と第二の殺人では明らかに手の凝りようが違う。それに、もしも想像通りにファラリスの牡牛と同じようなものを作って、それで火野博士を殺害したのだとすれば相当な恨みを感じられるわ。そして、ここまで大がかりな殺害方法を行ったのなら、西野博士殺しとは違って火野博士を殺害した犯人を特定できれば、おのずと事件は解決するはず」
その言葉は、とても力強くて頼もしかった。確かに、説明されれば簡単だったが西野博士を殺害したトリックは私が自力で答えを導き出すことは私には不可能だっただろう。それをたった一晩で解き明かす人なら、必ず火野博士を殺害したトリックも暴いてくれるはず。
私は、そう強く確信した。 電話が切れた後、私は廊下を散歩していた。自分の考えをまとめるのと、熱くなった脳を休ませるためだ。窓から吹き込む風は、火照る脳を直接冷やしてくれる気がする。ふんわりと、潮風に揺れて髪がなびく。
『いいのよ。考えるのは私の仕事』
探偵さんのその言葉が、耳に残っている。
それは重々承知しているが、少しでもヒントになるようなことがないのかと考えた。果たして、残されたファラリスの牡牛を想起させるメッセージ、あれはいったい何を表しているのか。そして、そのメッセージが直接的に殺害方法を示すものならば、過去の拷問方法を持ち出してまで殺害手段に選んだという事はどれほどまでに強い恨みを抱いていたのだろうか。
私は、人に対してプラスだとしてもマイナスだとしてもそこまで大きな感情を抱いたことはないのかもしれない。その時だった。もしもひらめきの神様がいるのなら舞い降りたという表現が正しいほど唐突に、ある疑問とその答えが浮かんだ。なぜ、火野博士の体は皮膚が溶けるほど焼く必要があったのか? 私が直感で最も疑問に思ったのは、この点だった。ここまで狡猾な犯人が、自分の感情を優先するだろうか。私に殺人鬼の心理はわからないけれども、皮膚を焼いて殺害するには何らかの理由があると考えるほうが自然な気がする。
不知火の伝説になぞらえるなら、二人目の犠牲者である西野博士も同じように体を焼き切って殺害するはずだ。もちろん、警察は焼死をさせようとした途中で何らかの物質に引火して爆発した可能性も考慮に入れているが、少なくともスプリンクラーが正常に作動している時点で、人の体をこんなに広い部屋で皮膚が溶けるまで焼き切ることはできない。
なら……本当は伝承になぞらえることも意味はないんじゃないか?
私の頭は、探偵さんと別方向の推理へと傾いてきた。
どんどん、その方向に頭が働く。なぜ、不知火を見せる必要があったのか。火野博士が残したと思われるメッセージ。皮膚がどろどろに溶けた遺体。不可解な状況での殺人。研究室の前を通りかかった岩塚さん。
それぞれが点として、まるで星座のようにつながろうとしていたときだった。その瞬間だった。視界の端で大きな光が生まれた。私はあまりのまぶしさに思わず目を閉 じて、右腕で目を覆った。しかし、それすらも貫通してまぶたを通して赤く光る。
次の瞬間に、遅れて音がやってきた。私は衝撃のあまり、後ろにしりもちをついてしまう。姿勢が良かったのか、腰を打ち付けたのみで済んだ。そんな私を追い去るように、警官たちがぞろぞろと私の横を通り抜けて音のした方へと向かって走って行った。
「渡橋さん。大丈夫ですか?」
腰をついて呆然としている私に気づいた井野さんが手を差し伸べてくれた。私はその手をとり、体を起こしてもらう。そして立ち上がった勢いのままに警官たちが進んでいった方へ彼らを追いかけていった。私が到着した先には西野博士の部屋と同じように、ぼろぼろになった大庭博士の部屋があった。開いたドアの隙間から、部屋の内側から黒煙が立ち上っている。何が原因で黒煙が発生しているかわからないため、誰も部屋には近づけない。集まった警官たちと、客人たちでごったがえしている。
「とにかく、下がって。危ないですよ!」
先についていた警官たちが後から追いかけてきた私たちを発生源からなんとか遠ざけようと必死に私たちを押し戻す。そして、二階にある窓をどんどん開いていく。
そして、数分後に黒い煙が晴れると、それが視界に入った。
「もしかして、大庭博士?」
それは頭部が燃え尽きたして、見る影もなくなった大庭博士の遺体だった。周りにはおそらく大庭博士の物だった肉片が飛び散って、壁に貼りついている。その壁には火で焼けた跡がくっきりと残っていた。理系に進学して解剖の経験がなければ、卒倒していただろう。まるでこの世の地獄みたいな光景だった。
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