出題編2‐8
「怪火現象として有名な球電などはプラズマ説が唱えられているものも多いわ。不知火もそうだけど、昔の人が遠くから電気を見れば炎だと勘違いするのはいたって自然なことではあるしね」
探偵さんの言うことは、もっともだった。日本で電灯が初めて設置されたのはまだ百年と少し前。元号で言えば明治時代のころだ。それまでの光と言えば基本は火を灯すものだったため、光=火という等式に、特に違和感はなかった。
「でも、プラズマってことは何か発生する原因がありそうですよね。昨日の天気は、プラズマが頻発するような感じではなかったと思うんですけど」
「そうね。球電現象が起こる場合にはかなりの確率でその地域、もしくは周囲で雷が落ちたりしているからね。でも、ちゃんと気象情報を確認したんだけど昨日は日本中で快晴だったからね。それこそ、あなたたちが揃って炎と見間違えるレベルの大きさになることは考えづらいかも」
そこから、いくつか探偵さんが不知火現象の原因になりそうなものを挙げていった。それは私に説明するのと同時に、探偵さん自身が説明をすることによって頭の中を整理しているのだろう。結局、どれも確信に至るほどではない。そもそも、怪火現象自体がまだまだ謎の多いものなので一朝一夕で原因が判明することはないだろう。なら、別の線しかない。
「なら、人為的なやり方で海上に炎を出現させるのにもっとも適したのはなんですか?」
私の問いかけに、探偵さんはファイルを数回めくった後で力強く言った。
「ギリシア火薬ね。これなら百人中百人が炎と言っても不思議じゃない。なにせ、本物の炎なんだから」
ギリシア火薬? 私はそもそも火薬という字を当てはめるのに時間がかかった。
「ギリシア火薬というのは、東ローマ帝国で使用された焼夷兵器の名称よ。海上に撒くと海水と反応して発火する液体らしいわ」
「それって、禁水性物質が含まれた液体ってことですか?」
禁水性物質とは、水と接触することで発火、発熱する物質の事だ。代表的な物質ではアルカリ金属類のカリウムやナトリウムである。
「おそらくそうでしょうね。でも、アルカリ金属類だと燃えるよりは爆発するみたいなイメージだから少し違うんじゃない? あなたたちが見た炎は少しの時間ではあっても燃え続けていたんでしょう?」
「そうですね。瞬間的な爆発ではなかったと思います。周りに燃焼物もないでしょうから、アルカリ金属類ではなさそうですね。それを考えると、生石灰も違いそうですね」
生石灰、酸化カルシウムの事だ。これも禁水性物質である。しかし、生石灰は熱を発するだけで火を発生させるには何か媒介となる物質が必要だ。
「そう。だから、私は二リン化三カルシウムと石油の混合物じゃないかと思っているわ」
二リン化三カルシウムという言葉を聞いて、私はあわてて脳内のタンスを次から次へと引っ張り出した。アルカリ金属とかプラズマならすぐに取り出せる場所に置いてあるが、二リン化三カルシウムはなかなか奥にしまっているようで思い出すまでかなり時間がかかってしまった。
しかし、その物質の特性。さらには化学反応によって発生する物質の特性まで思い出したところで私ははっとした。確かに、二リン化三カルシウムによるものならばあの光景もすんなり飲み込める。
「あなたも知っていると思うけれど、二リン化三カルシウムは水と反応してホスフィンを発生させる。そのホスフィンは空気中の酸素と反応して発火する。それが、もっともギリシア火薬の特徴にあうんじゃないかしら」
それは探偵さんの言う通りだ。実際に私が見た光景も二リン化三カルシウムからホスフィンが生成されて、ホスフィンが海の水と反応したものなら納得できる。しかし、ホスフィン単体の反応では火力が不足するのでそれに石油を混ぜ合わせたのだろう。
「私もそれは賛成です。少なくとも、私があの光景を再現しろと言われれば私も二リン化三カルシウムと石油の混合物を作ろうと考えます」
「まあ、ギリシア火薬っぽいものが作れるだけなんだけども今回はそれで充分よね」
「ギリシア火薬っぽいってどういうことですか?」
製法で言えば、それしか考えられないほどに条件は合致している。
「実際のギリシア火薬かどうかはわからないのよ」
それから探偵さんは、まずギリシア火薬とは何かという事について説明してくれた。私は歴史にはまったく自信がないので、おとなしく聞いているだけだった。そもそも東ローマ帝国という過去の国に対するイメージすらわかない。
ギリシア火薬は水に反応して燃える以外にも、水をかけて消火はできないので砂や尿をかけることや、海上以外の白兵戦でも使われたというらしい。それなら、二リン化三カルシウムと石油の混合物だとは断定できない。
「ただ、この時の製法はきちんとした文献には全く残っていないのよ。しかも、数々の戦争を記した伝記ではその使われ方が出ているだけだから、その伝記の記述に合わないという理由で数々の科学者が再現に失敗してきたの」
「そんな歴史があったんですね」
私の研究分野とは違うので知らなくて当然だが、研究所の人たちはちょうど炎に関する研究をしているならギリシア火薬について知っていてもおかしくない。それに興味を持って独自に再現すれば、意図的に不知火を発生させることができるかもしれない。
「まあ、正確な再現なんて不可能なんじゃないかしら」
「それはどうしてですか?」
少なくともその当時にできた事であれば、その資源が全て失われてでもいない限りはいずれ誰かが再現できるのではないだろうかと思う。。
「もちろん、そうなんだけどね。ただ、その当時と言えば現代の科学どころか周期表という考えすらも生まれていないのよ。ただ、現在を生きる科学者に周期表を知らない人なんていないはずだから、そもそもの考え方に違いがあるわけ。正確に物を知ることは、それだけの可能性を失うことになるのよ」
その言葉は探偵さんの推理に対する考えにも似ていた。
何かが決まれば、それ以外の可能性は消滅する。
例えば、自分にとって大事な人が犯人だった場合には、まるで相手を追い詰めるようにどんどんその他の可能性をつぶしていく必要がある。もちろん、更生を促すことが正しいのはわかるがそこまで割り切ることができるだろうか。
その時だった。ドアをノックする音が聞こえたのだ。
ちょうど、探偵さんも私も話していない空白の時間に突然、意識に飛び込んできたその音に私は警戒心を強める。
「とにかく、話はあとね。気を付けて。それと、私と話していたことは悟られないでね。電話帳も不明な番号か適当な名前を入れておくこと。じゃ」
素早くそう言い切ってから、探偵さんはすぐに電話を切った。私は言われたとおりに電話画面を隠してベッドの上に置いた。少し驚いた後は冷静になって、ドアスコープを覗く。
そこには、荷物を抱えた副島さんが立っていた。それを見て無意識のうちに安心したのか、ドアスコープを覗くために背伸びしていた足が緩んだ。そのまま私は前に倒れて、ドアに勢い良くぶつかる。ゴンと大きな音がする。
「渡橋様! 大丈夫ですか?」
ドアと私のぶつかった音を聞いた副島さんは、慌ててドアを激しくノックする。
「だ、大丈夫です。すぐに開けます」
私はドアノブに手をかけて、つまみをひねった。後から考えれば、ドアが内開きでなければ私はそのまま倒れていただろう。
「し、失礼します」
ドアのつまみを捻った音を聞いた副島さんは、私ごとドアを押して部屋の中に入ってきた。再び、私は倒れそうになる。副島さんが警戒してドアを半分ほどしか開かなかったのが幸運だった。
「渡橋様? そこで何をされてるんですか?」
ちょうどドアと下駄箱の間に挟まれるように立っている私を、副島さんはまるで変なものを見るような目で伺っている。まあ、変なのは間違いないので否定しない。
「な、なんでもないです」
そういうだけで精いっぱいだった。副島さんは少し納得のいかない表情をしている。
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