出題編2‐7

 ちょうど、ベッドに腰かけたところだった。お尻のポケットに振動が走る。


「不明な番号……あっ、探偵さんだ」


 電話を終わった後に、電話帳に登録するのを忘れていた。


 通話開始のボタンを押すと、元気な探偵さんの声がスピーカーから聞こえてくる。


「もしもし、そっちはどうかしら? 何か新しいことがわかったり、面白いアイデアを思いついた?」


 何だかいつも通りの探偵さんのテンションで、ちょっとだけほっとする。


 いつもと言ったが、話すのはこれで三度目だ。しかし、回数以上に自分の中に探偵さんの存在が馴染んでいる。閉鎖的な空間で、あまり年齢の近い人と関わっていないからだろうか。大学の友人には、何事もなかったかのように返事をしているので火野博士が死亡したという背景を踏まえて話をできるのはここにいる人たちと前島教授、探偵さんだけだった。


「いや、すいません。まだ何も詳しいことはわからなくて。ちょうど警察さんも到着したので、あまり私が目立って動くこともできませんし。とりあえず、建物内の情報を自分なりに整理してみたんですけど……」


 そう言って私は見取り図を描いたメモを取り出して懇切丁寧に説明した。


「なるほどありがとう。警察の動きはどう?」


 警察の動き……普段がどうかを知らないのだが、上手くいっているとは思えない。至って、順当な動きをしている気がする。


「まあ、とりあえずいつもの捜査、その流れを追っているくらいですかね。ただ、化学のプロである私たち研究者でも思いつかないので、火野博士が殺害された件はなかなか解決は難しそうですね」


「それはそうね、仕方ないことだわ。こっちは捜査方針を決めて、いろいろと考えていたところ。どうせ、そっちでやることもないでしょ?」


 確かに、普段から携帯ゲームをするわけでもないし、頻繁にメッセージのやりとりをするタイプではない私は退屈していた。正直、話し相手も基本的には年齢も立場も上の人だらけで、新見博士との会話も気を使ってもらった割に疲弊したのは否定できない。ここにいつまで閉じ込められるのかはわからないが、普段は読まない文庫本でも、今なら手に取るかもしれない。それくらいには暇だった。


「そうでしょそうでしょ。だから、暇なら電話でもしてあげようと思って。それで、まずは優先順位を決めたんだけども」


 電話越しの探偵さんは、私にはすべてお見通しだとでも言いたいように得意げだ。


「優先順位ですか。じゃあ、優先順位が高い方から情報を集めればいいんですね」


「そうそう、だんだんとわかってきたんじゃない? いいワトソンになりそう」


 ワトソンがホームズの助手だということは知っている。私も、このころにはかなり乗り気だった。きっと、こんな経験は二度とない。


「それで、何から調べればいいですか?」


 私が意気揚々と聞くと、探偵さんも嬉しそうに話し始めた。


「まずは、不知火の状況を詳しく探るわ。さすがに肉眼ではっきりと見えるほどに強力な不知火が自然に発生するとは考えにくい。さらには、殺人が発生したその直後。子供でも何者かが意図的に不知火現象を発生させているとしか思う。犯人の狙いもそう」


 それは探偵さんの言う通りだった。私はこの目で本物の不知火現象を目撃したことはないが、そんなにはっきりと見えるものだろうかという疑念は常に抱いていたうえで、こうもしっかりと断言されるとその疑念は確信へと変わった。


 しかし、何の為かと聞かれると想像もつかない。


「まあ、いろいろとあるけれども基本的には伝承になぞらえることかしら」


「でも、それって漫画や小説をより盛り上げるためじゃないんですか?」


「フィクションの世界ではね。ただ、意外とその中にも役に立つ場合がある。一つは、注意を逸らす効果。実際に、不知火が全く事件と関係がないことだってあり得る。それなら、私たちの脳のリソースを無駄に消費させていることで犯人の目論見は成功しているわ」


 それはそうだけど、それならもっといいやり方があるような気もする。


「もう一つは、刷り込み。例えば、調理場のナイフが一本、どこかに消えた状態で刺殺体が、見つかればあなたはどう思う?」


「そのナイフで殺害されたんじゃないかと思います」


「そう。すると、ナイフがいつ無くなったのかという風に考えてしまい殺害時刻を制限してしまう。ただ、実は別の刃物で既に殺害されているとその推理はすべてが無駄になるどころか、正解から遠ざかる」


 なるほど、そんなことが可能なのか。確かに言われてみればそうだと納得できる。なら、この不知火はどういう意味があるのだろうか。


「もちろん、火野博士殺害に対する何らかの刷り込みであることも考慮しなきゃいけないけれども、もっと警戒する必要があるわ」


「え、なんですか?」


「この殺人が別に火野博士の一件で済むとは確定していない。これ以降の殺人のため

に仕組まれた不知火かもしれない」


 その言葉が耳の穴から体に吸い込まれて、脳が理解した瞬間に体がさあっと凍る気がした。その言い方、断定の口調では無かったけれども探偵さんの声には、確かに確信の色が見えた。


「それで、登松刑事はこの不知火に対してはどんなふうに操作を進めているの?」


「それが……登松刑事がいうにはそんなものは事件には関係ないって言われてしまいまして。一応、余裕があれば調べておくとは言っていたんですけど」


 あの態度では、きっと調べないだろうなあという事もくみ取り、少し誇張して探偵さんに伝えた。登松刑事も長岡博士と同じように現実主義者の側面がある。まあ、刑事としては正しい姿勢だとは思うけれども。


「はぁ!?」


 探偵さんの声はあまりにも大きく、電話を耳に近づけていた私はあわてて遠ざける。


「どう考えても犯人が目的をもってやっているに決まっているじゃない。そういう変なプライドがあるから出世がうまくいかないのよ」


 探偵さんはぷりぷりと怒っている。おそらく登松刑事は私が伝承を信じて不知火について調べることを要望していると思っているんだろうけど、少しは捜査をしてくれてもいいのにとは私も思う。探偵さんの存在は明かせないのだが、根拠もあるのだ。登松刑事は刑事ドラマでいうところの、頭でっかちな背広組といったタイプであることは一目でわかる。


「まあ、仕方ないわ。それで、あなたの話を聞いた限りで想像できる可能性を色々と考えてみたの。ちょっと待っててね」


 電話口から、ファイルのようなものをめくる音が聞こえた。情報をまとめていたのだろうか。この人ならば脳みそで全てを記憶して論理を構築してもおかしくないけど、流石にそれは漫画の世界だけだろうか。


「まず考えられるのが、本物の不知火現象と同じように光を屈折させて海の上になら出現させることね。これが最も手軽だとは思うけど、その可能性は薄いと言わざるを得ないわね。。その夜は晴れか曇りかくらいは誰でも調べればわかる情報だけど、どれくらい明るいかはある程度しかわからない。別に犯行から目をそらす程度のものだと犯人が思っていればそれでもいいけど、もしも殺害方法に関わるような重大事項なら不知火を発生させるということに何かしら確実な方法を用いるでしょ」


「そうですよね。蜃気楼程度のもやもやしたものならともかく、私が見たものは確かに炎だったと思います」


 いや、正確に炎とは言い切れないけども光の反射や屈折で発生した現象と言われれば疑問符が浮かぶ。昨日の不知火にはそれくらいの勢いを感じた。


「五感に関しては、あなたのいう事をすべて信じるしかないからね。あなたがそういうならその可能性は消してもいいわ。なら次にくるのはプラズマね」


「プラズマ?」


 聞き覚えのある単語に、なんだか安心した。すんなりイメージが湧いた。


「そう、あのプラズマ。わかるでしょ? これが意外と怪火現象の原因となっていたりするのよ。激しい光がそうさせるのかしらね。現在、観測されている怪火現象のほとんどはプラズマが原因であると考えられているのも事実よ」


 プラズマとは物質の三態と呼ばれる状態の四つ目である。私は最初にこう説明をされたときに矛盾しているだろうと思ったが、最もわかりやすい説明ではあった。より詳しく言えば気体を構成する分子が電離し陽イオンと電子に分かれて運動している状態。自然界で言えば、雷やオーロラが該当する。

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