出題編2‐6

「わかりました。じゃあ、これからどうすればいいですか?」


「とりあえず、体と心を休めて。捜査は足で稼ぐなんて言うけども、何を調べてもらえばいいのかが見当がついていない状態で現場を調べても意味がないわ。少し時間をもらえれば頭の中で状況を整理するから、それが終われば連絡する」


「わかりました。それじゃあ」


「ええ、それじゃあ」


 私が通話終了のボタンを押すのと、向こうから通話が切れたのは同時だった。


 それから私は、シャワーを浴び、テレビを見てしてだらだらと過ごした。一応、リュックに参考書は詰めてきたが、それを見る気にはならなかった。


 しかし、ただだらだらとしているのは私の性に合わない。だから、せっかくの場所を探検したいという思いが湧いてくる。そう思い立つと、私は部屋を出た。


「あれ、どうしたんだろう?」


 私が部屋を出ると、ちょうど廊下の先に大庭博士がいた。大庭博士の部屋は向かい側の廊下に続いている。距離があるから、声はかけられない。何をしているのだろうと、不思議に思っていると、どうやら大庭博士はこちらに気づいたらしく居心地が悪そうに向かい側の廊下へ帰っていった。


 私は不審に思ったけれど、こちらの廊下にはムーシェ博士や甲斐博士の部屋もある。念のために私は、大庭博士のいた場所へと向かった。しかし、そこには何も不審な点は無い。


 私はとりあえず探偵さんに報告することを脳内にメモをした。 それから、私はまず二階から見て回る。この建物は非常にコンパクトなつくりになっていて、地上には二階までしかない。基本的に二階が客間で、それぞれ左端と右端、中央に階段があり、階段に挟まれる形で三つずつ部屋が用意されている。私の隣には甲斐博士、もう片方の隣は無人だ。廊下を挟んだところにムーシェ博士の部屋があり、隣は長岡博士らしい。


 中央階段の向こう側に西野博士、新見博士、大庭博士、片山博士が泊っていることになる。


「とりあえず、こんな感じのメモでいいかな」


 ざっと手帳に地図を書き写して、次は一階へと降りる。しかし、一階はどうやら食事会場は警察が使用しているため、なかなか動きづらい。ホールのような建物が四つ、それぞれ階段に挟まれている。 副島さんに聞いたところ、地下には実験室と所員の部屋があるらしい、どの階も似た作りとなっている。再び二階に戻って、吹き抜けから見下ろしながら考えを纏めていた時だった。


「あれ? どうかしたんですか」


 そう言って観察していた私は、誰かに後ろから声をかけられた。私が振り返ると、新見博士がそこにいた。新見博士は柔らかな口調と物腰だから、すごく話しやすい。


「いや、すごく素敵な建物なのでつい見入ってしまって」


 私が怪しまれないようにそう言うと、新見博士もどうやら納得してくれたようだ。


「そうですよね。こんな綺麗で華美な場所は初めて来ましたよ。ロマンチックですよね」


「はは、そうですよね。新見博士は大丈夫ですか?」


 新見博士は、私の質問に少し驚いた後に苦笑していた。


「確かに僕は色白の細身なので頼りないですけど、心配は無用で

すよ。それより、渡橋さんは大丈夫ですか? 知らないうちにストレスや体の疲れは溜まっていきますからね」


「そ、そうですよね。心配していただいてありがとうございます」


「良ければ、お茶でもどうですか?」


「お茶?」


「ええ、実は前島君のことで聞きたいこともありまして」


 びっくりした。まさか、ナンパとかそういうことかと思ったけれども、さすがにそういうことではないらしい。少し怖かったけれども、私が狙われる理由はないという探偵さんの言葉を信じて、部屋へを招かれた。



「どうぞ」


 私は部屋にあった椅子に腰かけ、新見博士と向かい合うように座る。


「ありがとうございます」


 湯気を立てる紅茶の香りが、鼻の奥まで広がっていった。お茶を淹れる時に曇ってしまった眼鏡を拭きながら、新見博士も腰かけた。


「あの、一つだけ聞いてもいいですか?」


「ん?」


 ふうふうと息を吹き替えて紅茶を冷ましながら、博士は答える。


「前島教授とは、どういう関係なんですか?」


「ああ、実は僕と彼は同級生なんですよ」


 そういいながら、博士は名刺を取り出した。そこには、メールアドレスが記されている。アルファベットと数字の羅列を見ると、前半は新見博士のローマ字読み、後半は八桁の数字で構成されている。


「ここが生年月日ですね。教授と同じでしょう? これは、どうぞ」


「ありがとうございます」


 私はその名刺を大事に手帳に挟んだ。代わりに、自分のものを一枚取り出して、両手で差し出す。


「それで、聞きたかったことはなんですか?」


「ええ。最近、彼はどうしているのかなと。ご存じの通り、彼はあまり人付き合いというものに興味がない。せっかく、こちらが休みをとって話をしたいと思っていても、なかなか連絡すらできないですからね。せめて、彼の好きな研究はしっかりとできているのかなと」


「もちろん、講義以外の時間はずっと部屋にこもって好きなだけ研究していますよ」


 私は、そういって前島教授の普段の生活の様子を伝えた。


「そうですよね。彼らしい」


 新見博士は小さく笑った。しかし、その笑いは懐かしむようだった。


「なら良かった。また、彼に連絡をするように言っておいてもらえますか。もちろん、ここから無事に帰ることができればですが」


 最後の言葉には、明らかに含みを持たせるように言ったのがわかった。おそらく、火野博士の一件を言っているのだろう。


「それについてなんですが、新見博士はどんな現象で火野博士が殺害されたと思っていますか?」


「殺害? 渡橋さんは、殺人事件だとお考えですか?」


「いや、確定ではないですけれども。警察の方もそう言っているので、その可能性は高いのかなと」


 私がそういうと、新見博士は顎に手を当てて思考を巡らせる。


「確かに、その可能性は高いです。ですが、現実的にその方法を説明できない。ここの研究所にあるどんな薬品を使用しても、あそこまでの短時間で火野博士の体を焼き切ることは難しい。事実、火野博士が亡くなった時間は不明ですが、岩塚君が部屋の前を通りかかった時点では生きていたでしょうし」


 そうだ。この問題の難点として、岩塚さんが部屋の前を通ったこと。岩塚さんが犯人でもない限り、匂いに気が付いて誰かに報告しているはずだ。しかし、その証言を信じるならば少なくとも研究室で火野博士が焼かれていたという可能性はかなり低くなる。


「密閉しながら、いや、それでも膨張した空気の処理をするために喚起をしないといけない。地下だから窓もないし、換気扇も回っていなかったらしいしね」


「それに、換気扇で流していればその換気扇の近くにある人が気が付くはずですもんね。換気扇がどこに続いていても、客間の下に続いていれば誰かが気が付くはずですよね」


 そこまで言うと、二人とも思考が行き詰ってしまった。


「なら、新見博士は誰か火野博士を恨んでいた人に心当たりはありませんか?」


 状況から考えると、なかなか難しい。そもそも、その仕事は探偵さんのほうが慣れもあって得意な気がする。ただ、動機に踏み込むのは私のほうが得意なはずだ。


「そうだね。君は、というより一般の人たちは知らないだろうけど、火野博士はあまり知られていないかもしれないけれども、かなり女癖やギャンブル癖が悪かったんだよ」


 それは意外な事実だった。もちろん、会ったこともない相手だからわからないけれども、不真面目なタイプだったのだろうか。しかし、私はそれに違和感を覚えた。


「まあ、それは別に火野博士の自由ですけど。なら、言い方は悪いですけれどもこんな辺鄙な場所に籠るのは不便じゃないですか?」


 こんな山奥にわざわざ電気を持ってきて、研究所を立てると、どうしても不便だ。ギャンブルができるような場所は近くには無かったし、女性も普段は副島さんしかいないだろう。女癖が悪いということは、複数の女性を抱くことを目的にしている人が多いから、なんだか腑に落ちない。


「うん、それに関しては僕たちの中でもかなり話題になっていたからね」


 なら、どうしてこんな場所に研究所を立てたのだろう。もともと、火野博士は東京で研究できる環境があったのだから、そこならば女性遊びもギャンブルもできそうなものなのに。


「まあ、つまりはあまり万人に好かれるタイプではないってことだね。噂によると、火野博士は甲斐博士と交際していたらしいけれども、そこは本人たちに聞いてみないとわからないよ」


「あの二人が……」


 まあ、私も男の人なら甲斐博士とお付き合いしたいけれども、それは動機になりそうな要因ではあった。男女の関係なんて、どうとでも解釈できる。


「すいません、なんだかブルーになるような話ばっかり聞いてしまって」


「いや、いいんだよ。なんだか、探偵みたいだね。でも、これ以上のことは僕から出てこないからね」


「わかりました、ありがとうございました!」


 私は深々と頭を下げて、新見博士の部屋から出てきた。なんだか、言葉の一つも逃して忘れないように頭を使っていたから、疲れてしまった。とりあえず、部屋に戻って探偵さんに連絡することにした。

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