2章 2日目

出題編2‐1

 翌朝、私の目を覚まさせたのはいつものアラーム音ではなく、電話の呼び出し音だった。


 慌てて電話をとり通話ボタンを押す。ちらっと視界の端に見えたデジタルの時計は八時半と表示されていた。普段の私ならばとっくに起きて家を出ているはずの時間だが、今日は少し起きるのが遅れてしまった。体の中に疲れがたまっていたのだろうか。


「もしもし?」


 私は訝しみながら電話を取る。こんな急に電話をかけてくるなど何か急用だろうか。画面には不明な番号と表示されている。


「あ、ようやく繋がった。もしも~し」


 電話口から聞こえるのは、元気が良い女性の声だった。それは、副島さんのものではない。


 機械越しではあるが、私よりも若く聞こえる。ならば、大学で同じ研究室に所属する人物だろうか。自分よりも年下の女の子が不明な番号で電話をかけてくることなど、大学のこと以外には想像がつかない。しかし、その口調には聞き覚えがなかった。


「あれ、聴こえてるよね。聞こえてたら返事くださいな」


私が返事を忘れていると、その女性は続けて話す。


「はい、聴こえてますよ。どなたですか?」


 私は寝起きの声で恥ずかしい気持ちを抑えながら応答する。喉の奥からなんとか向こうに聞こえるように声を出した。声を出すたびに、喉が震えるのがわかる。


「いや~警察さんから教えてもらったのが間違ってたのかなとか、もしかして番号を押し間違えてるかな、とかいろいろ考えたんだからね。これからはできるだけ早く電話に出られるようにしておいてね」


 しかし、彼女は私の言葉などまるで聞く気がないように自由なペースで会話を進める。


「それは申し訳ないですけど、いったいどなたですか?」


「ん? ああ、まだ名乗ってなかったね。こちらは小伏探偵事務所の小伏凪沙です」


「探偵?」


 私はあまりにも予想外な単語の登場に、どうしても聞き返してしまう。


「そう、探偵。シャーロックホームズくらいはわかるでしょ? それと一緒」


 私はその言葉になんて返せばいいのかわからず、黙っていた。シャーロックホームズはわかるけど、素直にその説明を飲み込めるかと言われればそうではない。寝起きの頭で理解するには、少し難しすぎる。


「で、さっそくなんだけど」


 彼女はこちらが黙ったのを、会話のターンを放棄したととって話を進める。あまりにも速いスピードで、覚醒したばかりの脳では会話から単語を拾うのが限界だ。頭の中で、話したいことがうまく纏まらない。


「ちょ、ちょっと待ってください」


「何? 私、何かおかしなこと言った?」


「おかしいことばっかりですよ。とにかく、今から私の質問に答えてください」


 私はまくしたてるように話し続ける相手から、なんとか会話のペースを掴もうとする。


「え~私が一気にぶわーっと喋っちゃったほうが早くない?」


 しかし、彼女にはその提案は不服そうだ。まるで子供のような口調であきれたように話す。


「それで私が理解できるならいいですけど、少なくとも私はあなたの自己紹介だけでもいくつか質問があります。落ち着いてちゃんと順序だてて話をしましょう」


 頭がこんがらがって、とてもじゃないが彼女の話を真面目に聞いていられる状態じゃない。一つ一つを的確に処理しなければ私の頭がパンクしそうだ。すでに、寝起きの脳はフル回転で話に遅れないように動いている。


「わかったわよ。質問はなに?」


 電話の先にいる彼女は、両手の平を上に向けてやれやれと言いたげなんだろう。いや、寝不足なのにたたき起こされてそう言いたいのはこちらなのだが、とにかくかなりマイペースな人だ。


「まず、どうやって私の電話番号を知ったんですか?」


 まずはそこだった。ネットワークのサービスがここまで発展した現代において、たとえ友人や恋人同士であっても電話番号を知らないことは珍しくない。


 事実、私の電話帳に登録されているのは両親と祖父母くらいだ。探偵なら素行調査とかもできるだろうけど、探偵がわざわざ私の電話番号を調べることなんて、昨日の殺人事件しか考えられない。火野博士が死亡したニュースはまだ報道されてもいないはずなのにどうやって私の電話番号を調べたのだろう。


「あなたたちって、昨日の夜に警察に火野博士が亡くなっていると連絡したわよね?」


 確かに、全員がいる場で副島さんが責任者として警察に通報した。相手の声は聞こえなかったが、間違いなく警察だっただろう。


「確かにしましたけど」


「日本の警察は無能だなんて作り物ではよく書かれているけれど、さすがに一晩もあれば一般人の携帯電話番号くらいは突き止められるわよ」


 彼女はさも当然のように言う。確かに、警察ならば私の携帯番号なんて大学とか携帯ショップに問い合わせればすぐに教えてもらえるだろうけど、そこが問題なのではない。私はどこか電話の向こうにいる彼女と話がかみ合わずにいた。


「そうじゃないです。どうして火野博士の事と無関係なあなたが私の電話番号を知ってるんですか? 調べたんですか?」


「別に無関係じゃないわよ。あなたの電話番号を教えてくれた詳しい筋を話したら警察内部で問題になるから言わないけども、ちゃんと許可は貰ってるんだから大丈夫よ」 


 詳しい筋を明かしたら問題になるという事は、大丈夫ではないのでは? 

私はつっこむ気力もなかったので、それについては何も言わなかった。


「じゃあ、それはそれでいいとしても、私に電話をかけてきた理由は何ですか?」


 本当は良くないのだが、どうせ私の責任じゃない。警察内部のことは警察内部の人が考えればいいのだ。それより、警察から情報が流れているなら私以外でここに滞在している人たちも電話番号がわかるだろう。それなら、私は副島さんか少なくとも研究所の所員に電話をかける。火野博士がなぜ亡くなったのかを考えるのにおいて情報が必要で、昨日の昼にここへ来たばかりの私にわかることなんてごくわずかだ。まだ、一階のどこにトイレがあるのかも知らないのに。


「理由は二つ。まず一つ、私はあくまで個人的な捜査として動いているから現地警察との連携はできないわ。ドラマとかだと警察の人がなんでも教えてくれるから、そんな風なら捜査もしやすいんだけど、それがフィクションだってことはわかるでしょ?」


 それはその通りだった。さすがに分別はついている。


「でも、それなら副島さんに電話した方がいいんじゃ?」

現時点で、警察の次に情報を持っていると思われるのは副島さんだ。


 しかし、私の言葉を聞いた探偵さんはあきれたように言う。


「あなたって馬鹿なの。犯人に電話をかけて探偵だなんて名乗ったら、まともな情報を出してくれるわけないじゃない。そもそも、通話すらできないわよ」


「どういうことですか! 副島さんが犯人ってことですか?」


 私はつい声が大きくなってしまい。慌てて口をおさえる。部屋はしっかりとしたつくりになっていて、外部からの音は聞こえないから防音性も高いだろうけど、ピリついた研究所内の空気を乱しかねない発言は気を付けなければいけない。


「この時点で犯人がわかっているなら苦労しないわよ。私が持っている情報はあなたたちの名前と職業と年齢に電話番号、あとは被害者である火野博士とのおおまかな関係かしら。押部さんがもうすぐ顔写真を持ってくるらしいけど、顔なんてそこまで大事じゃないわよね。お見合いでもないんだし」


「おしべさん?」


 私は新しい登場人物の名前を聞き返す。どんどん、情報が頭に流し込まれていくようだ。


「押部さんは私の友達みたいなもの。今回も押部さんからあなたたち全員の電話番号をききだして、わざわざ電話したんだから」


 さっきそれを言うと問題になると言っていたんじゃなかったんじゃないか? 説明は筋が通っていて簡潔でわかりやすいことから彼女がかなり賢いことは想像がつくけれど、どこか抜けている。


「とにかく、私から見て犯人の可能性が最も薄いのがあなたなの。火野博士との関係もそうだし、学生だから色々なことに融通も効きづらいでしょ。もちろん、副島っていう人にも警察から情報が聞き出されるからあなたが嘘をついていればすぐにわかるわよ」


 確かに、私は他の招待客とは違って火野博士とは面識すらない。


「探偵さんは、火野博士が殺されたと思っているんですか?」


 私は、まるで他殺が既定路線であるかのように話すことに違和感を持って会話の流れを切ってでも質問した。

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