出題編1-10
「そういえば、なぜか他殺みたいな雰囲気になっていますけど、事故や自殺の可能性はありませんか?」
私がそう言ったら、いたたまれない様子の井野さんがこちらをまるで救世主でも見るような目を向けるものだから、なんとリアクションしていいのかわからなかった。
しかし、それ以外の視線はほとんどが井野さんに向けられていたままの冷ややかな視線だった。ここで、事故や自殺説を持ち出すことは犯人をかばうことに他ならない。
「あんまり一つの考えばかりに固執すると良くないですし……」
「まあ、そうよね」
甲斐博士は私の意見に納得はできないでいたが、同意するような言葉を口にした。おそらく、私を少しでも擁護しようとしてくれたのだろう。
そのため、私はここで説を持ち上げるだけなどできるわけもない。私の立場が不利になるし、科学者としても自身の論を発表するには、まずそれを思いついた経緯などを話してから、結果を言う必要がある。これは社会に出ても通じる話だ。私はそれを持たない。ただ、思いつく限りの言葉を紡ぐしかなかった。
「すべてが仮定の話で申し訳ないんですが、そもそも人を殺害するときに焼き殺すなんて方法を使いますかね?」
まず、私が思いついたのはここだった。こんなことを言うとサイコパスかもしれないが、人なんてナイフを心臓や首に突き立てるだけで簡単に死に至るもの。
しかも、棚に並んでいた瓶に書いてある薬品の名前も、私がぱっと見るだけでも人を殺害するのに十分、有害なものばかりだった。私なら、それを飲ませる。それなら、薬品を誰が準備したのかもわからない。
逆に、焼くなんて面倒な方法をとるのなら、それなりに理由が必要だ。
「確かに……その通りだな」
こう言ったときに、頭の良い人はこちらの主張が筋の通ってあるものであればあるほど理解が早くて助かる。
「じゃあ、事故の可能性は?」
誰かがそう声をあげた。確かに、他殺でない限りは次に考えるべき可能性は事故だ。研究所なのだから、それこそ事故なんて起こってもおかしくない。しかし、これはすぐに否定された。
「人が燃えるほどの事故なら、誰かが気づくでしょう。確かにその時間にはあまりその近くには人がいなかったけれど、それでも火野博士が助けを求めるでしょうし、事故の可能性も薄いわね」
甲斐博士がそう言って事故の線を断じた。それに反論するものは、いない。
なら、次に考えるべきは……自殺説だ。
「しかし……自殺って線が最も考えづらいのも確かよね。副島さんは何か、火野博士が自殺をするような素振りは見えなかった?」
甲斐博士は副島さんに向かって問いかけるが、副島さんは首を横に振るばかりだ。
なにせ、パーティーとしてこんな場所に化学界の著名人を集めたところで自殺をするなど考えづらい。あるとすれば、西野博士たちを集めて自殺をすることで話題性を呼ぶことくらいしかない。その説はあまりにも苦しかったけど、逆に言えばそれくらいしか思いつかないほどに自殺をする可能性が思い当たらない。
そこで、議論が停滞する。もう、誰も新たな説を唱えることができないでいた。最も可能性が高い他殺は、焼死という殺し方に不可思議な点がある。
なら事故や自殺という線を考えても、それもおかしい。誰も言葉を発さなくなった時だった。副島さんがポケットに入れていた電話が、けたたましい音を立てて着信を知らせた。副島さんは落ち着いた態度でこちらに視線を向けて確認を取り、電話をとった。
「もしもし、火野研究所の副島です。警察の方ですか?」
副島さんの言う、火野研究所という言葉の響きが妙に耳に残った。
「えっ! は、はい。わかりました。でも、私たちはどうすれば……」
電話口で応対する副島さんの様子は、明らかに動揺しているのがわかる。火野博士の遺体を見た時ですらも毅然とした態度を崩さなかった彼女が、あからさまな動揺を見せることに私は恐怖を覚えた。何か、良くないことがあったんじゃないか。
その恐怖は、電話が終わるまで晴れなかった。 それから数分後、じっくりと話して副島さんが電話を終えた。それと同時に、全員が警察に何を言われたかを聞こうとするが、それよりも先に副島さんが言葉を発した。
「警察がとりあえず今夜には、こっちへ来られないようです」
副島さんのその言葉は、そこにいる全員を絶望に叩き落すには十分な効果があった。
「ど、どういうことですか? 警察が来られないとは」
新見博士は冷静をよそっているが、額には汗がにじんでいる。冷房が効いたこの部屋だから、その汗は暑さによるものではないだろう。
「警察の皆さんは、通報があってからすぐに近くの交番から警官を向かわせてくれたそうです。ですが……皆さんも通ってきた山道の途中にある吊り橋が焼け落ちているとその警官から報告があったということを教えていただきました」
副島さんの言葉に合わせて、私の想像は働く。吊り橋が焼けて落ちるシーンがまるで映画のように脳内で再生された。その炎はうなるように橋を飲み込んで、そのまま谷底へと落ちていく。
しかし、なぜここまで炎の映像が鮮明に再生できるのだろう……そう考えた私は、海の上で燃える炎を思い出した。とりあえずは副島さんの話が終わるまでは口を塞いでおく。
副島さんは一息をついて、再び電話の内容について話し始めた。
「とにかく、橋が通れない以上は今夜中の到着は無理だそうです。できれば、全員が固まって夜を明かすか、鍵のかかる部屋で眠る方がいいと言われました。それぞれ、研究所の職員にも一人ずつしっかりとした鍵のかかる部屋はあります。心配であれば南京錠などもお貸しします。もちろん、誰かと一緒に夜を過ごされることをこちらからやめさせることはいたしません。どうされるかは、ご自身でご決断ください」
副島さんは、きっぱりとそういった。確かに部屋には鍵がかかるし、全員で集まって眠るのとどちらが怖いかと言われれば、私は断然集まって眠る方が怖かった。それに、やはり焼死という部分がどうしても引っかかってしまい、他殺説を自分の中で完全に信じ切ることもできない。いるかもわからない犯人に怯えて眠れないなんてことは避けたかった。ただでさえ、女性というだけで体力、筋力的なハンデを抱えているのだ。
「私は部屋で過ごしたいです」
私が軽く手を挙げてそう言うと、甲斐博士も頷いた。
「私もそれに賛成だわ。一網打尽にされるくらいなら、まだ一人で殺された方がまし」
彼女はどうやら、他殺説でほとんど確定だと思っているらしい。発言をしていないだけで、何か甲斐博士だけが気づいている事実もあるかもしれない。
「やはり、女性は肝が据わっているな。では、僕もそうしよう。副島さん、念のために朝の九時か九時半くらいには無事かを確認するために全員の部屋を回ったほうがいいんじゃないかな」
「長岡君もそういう意見か。私は一人でもこの部屋にいたいというのなら付き添おうと思うが」
長岡博士は、そう言って部屋から出ていこうとしたのを見て、西野博士は全員に問いかける。それに返事はなく解散の空気が流れた。私は、それを呼び止める。
「待ってください! 少し、気になることがあるんです」
「気になること?」
全員が再び、私に視線を集める。私はもう、それに慣れてしまっていた。いつも、論文発表の時にはこんなに権威のある人たちに見られると緊張してあがってしまうのに、それも感じなかった。長岡博士は足を止め、こちらを向く。
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