出題編1-6
「ご質問なんですけど、西野博士や副島さんはどうしてこの研究を極めようと、生涯のテーマにしようと考えたんですか?」
だから、私はこのパーティーはその悩みに何かしらの進展をもたらしてくれると期待している部分もある。化学の各分野でトップクラスの人物が一堂に会するのだから。教授はおそらく、ダブルブッキングやこんな僻地まで行く時間があるなら研究に没頭したいというマイナスな理由だけでなく、悩める私に何か解決となるようなものが見つかればいいという親心で送り出してくれたのだろう。そう信じたい。
少しきょとんとして間が空いたあとに、話し始めたのは西野博士だった。
「そうだね……私はただ、この分野の発展が将来の日本に、いや世界にとって必ず大
きな意味を持つと思っていたからかな。私の小さいころは、戦争は終わっていたけどもやはり国の発展に心血を注いで働くことが幸せだとされていたからね」
確かに、そのころから西野博士は先を見る力もあったのだろう。彼の研究をなくして、現代科学の発展は成しえなかった。私もできることなら自分の力を使って日本や世界に貢献したいという思いはある。ただ、それが研究者としてなのか、それとも別の方法でもよいのかがわからない。
「副島さんは、ここにきて研究を続けることに抵抗は無かったですか?」
私は体の向きを副島さんに向けて、そう聞いた。彼女は少しの逡巡を挟む。
「そうですね。私の場合は最初から研究職につくよりも、教職につくかとの二択で悩んでいたんですよ。ちょうど私の卒業した大学では全員が教員免許を取っていたので」
教職、確かに理系学部ではかなり人気のある職種だ。私は彼女がスーツを着て教壇に立ち、生徒たちに化学の面白さを説いている姿を想像した。それはかなりスムーズで、はっきりと浮かんでくる。きっと副島さんなら教職でもうまくやれただろう。化学の美人先生として男子生徒から人気が出そうだ。
「そんな時に火野博士が新しい論文を発表したんです。もちろん、私が大学時代に研究していた分野と内容が近かったので、過去の論文はすべて読んでいたんですけども、その論文だけはいつもの形式が決まった、はっきり言えば研究を発表するために書かされたような内容じゃなかった。少なくとも、私にはそう感じたんです。例えるなら、子供がクレヨンで画用紙に描いたような夢のある話。それを読んだときに、私もこの研究をしたい、力になりたいと思いました」
「それは素晴らしい話だね。やっぱり化学は夢を与えるものじゃないといけない」
副島さんの話に、西野博士も私も感動していた。思わず拍手をしそうになるが、グラスを片手に持っていたことを思い出し、左手をそっとテーブルの下におろした。
「ところで、かなり夜も深くなってきたけどもそろそろ火野博士に挨拶の一つでもしたいんだけれども」
しばらく話をした後に、西野博士が副島さんにそう言った。西野博士の言うとおり、すでに全員が夕食を終えて各々が自由に行動している。そろそろ会の主催者でもある火野博士が出てこないと、なかなか収集をつけるのが面倒そうではあった。
「そうですね」
副島さんが珍しく、言葉に詰まった。
「なにか問題があるんですか?」
「いえ、じつはこれから研究施設のお披露目をする予定になっているんですけれども、火野博士から合図があるまでは皆様にはこの部屋で待ってもらうようにいわれているんです」
「その合図は?」
「いえ、まだ届いていません」
「うん、火野博士の事だから僕たちを楽しませようと準備をしてくれているのは嬉しいし、そう言った時間を邪魔をすることは申し訳ないが、できればそろそろ簡単にでもいいから火野博士にもご挨拶をさせてもらいたいね。この年になると、どうも眠る時間がはやくなってしまうから、すまないけれども」
そう言って西野博士は笑う。おそらく、年をとったらよく言うようになるジョークの一種なのだろう。
「ちょっと、井野君。申し訳ないけど火野博士の様子を見てきてもらえるかしら?」
副島さんは近くにいた若い男性に声をかけた。先ほど、マイクで話していた人とは違って、髪は茶色に染まって明るいイメージだ。顔つきは精悍ではっきりとしている。
彼は「わかりました」と言って部屋から速足で出て行った。
「研究所にいらっしゃるのは、火野博士を含めて四人なんですか?」
「ええ、そこまで大きな設備もないですしね」
私の質問に副島さんが答え終わると、西野博士が再びワインボトルを持った。
「なんだか、頼ませるようになってすまないね。さあ、もう一杯」
そして、それを副島さんのグラスに注ぎだす。ワインは勢いよくグラスの底にぶつかって、グラスの中で撥ねる。注がれたワインを副島さんは少しだけ見つめて、ぐっと飲みほした。その瞬間だった。
「ん? 今、悲鳴が聞こえませんでした?」
私の耳に、廊下の奥から男性の声が届いた。西野博士は気が付かなかったようだが、副島さんも私と同じような表情をしていたように思う。
その悲鳴は遠くからだったので詳細はわからないが、大人が普段の生活で発するようなものではなかった。例えばジェットコースターに乗ってわーきゃー騒ぐようなものではなく、人間が動物として持つ本来の危険信号という意味を持つ悲鳴のように聞こえた。
「そうですね。ちょっと確認に行きましょうか。西野博士、少しこちらでお待ちいただけますか?」
副島さんはさっと立ち上がり、声のした方へと早歩きで向かっていく。
「わ、わたしも行きます」
そう言って、私は副島さんの背中を追う。思ったよりもお酒が回っていたのか、立ち上がるために力を入れたはずが足が上手く支えてくれなかった。
「大丈夫ですか?」
「はい、思っていたよりもアルコールが回っているみたいで。でも、大丈夫です」
ふらついたところを副島さんに支えてもらい、なんとか姿勢を安定させる。
「そうですか、では」
私はそれを了承の意味だと捉えて後ろについていった。
私は本能的な恐怖を感じて副島さんの背中に隠れるように歩いていたが、副島さんは何も言わない。彼女も、何か良くないことがあったと感じているのだろう。背中からも少し、緊張していることがわかってきた。
「もうすぐ、地下へと続く階段が見えてくると思うんですけれど」
二人で薄暗い廊下を進んでいると、先ほど副島さんに言われて火野博士を呼びに行っていた、確か井野さんと呼ばれた男性が廊下の向こうからこちらに駆けてきた。息を切らしているのをみると、かなり急いで来たようだ。
「どうかしたんですか?」
その姿が、先ほどまで見ていた落ち着いてテキパキと仕事をこなす姿とあまりにも違いすぎて、私はただごとではないと理解した。彼は、息を切らして苦しそうにしている。
私は、彼の背中をさすって呼吸を落ち着かせた。
「大丈夫ですか? ゆっくりでいいので、話してください」
そう言ってポケットから取り出したハンカチを渡すと、彼はハンカチを受け取ってこちらに頭を下げると、声が少しずつ喉から出てき始めた。
「あ、あの。研究室で……火野博士が」
「火野博士が?」
つぎはぎの言葉をつなぎ合わせて、副島さんは彼に聞き返す。
「火野博士が……亡くなっています」
私も副島さんも、その言葉がすぐには理解できなかった。
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