出題編1-4

 そしてそれと同時に、副島さんによって香ばしい匂いともくもくとあがる煙を纏いながら、料理が運ばれてきた。色とりどりの料理は、私の食欲をそそる。昼間は移動に時間をとられて、山の麓にあるコンビニで買った安い鮭おにぎりと麦茶で済ませたから、個包装のチョコレートだけではおなかがすいていた。そのせいか私のお腹は鳴ってしまい、それを甲斐博士に聞かれてしまった。


「あらあら、かわいらしいこと」


 私は恥ずかしい気持ちで顔がふくらんで破裂しそうだった。顔が熱くなったのを、グラスに七割ほど注がれた水を飲んで冷やす。


「す、すいません」


「気にすることはないわ。それだけこの料理が美味しそうに見えたってことよ。副島さん、渡橋さんはとても美味しそうだと言ってくれているわ」


 甲斐博士はちょうど配膳ワゴンで料理を運んできた副島さんに優しく声をかけた。

 その言葉に副島さんも微笑んでいる。


「そう言っていただけて嬉しいです。ぜひ、夕食を楽しんでください」


 そういいながら本当に嬉しそうにしていた。


「これは、どなたが調理したのかしら? どなたかシェフでもいらっしゃるの?」


 その質問に、副島さんは少し照れくさそうに答えた。


「これは私がすべて調理したものです。シェフだなんて、ご冗談でも嬉しいです」


「ええっ! こんなにすごいものを一人で?」


 私の口からは素直な驚きの言葉が出ていた。テーブルに並べられた料理は到底、一人で作ったとは思えないような内容だし、ましてやそれが調理師免許を持っているような女性ではない。礼儀が正しい、品が良い、美しい、頭が良いだけでなく、料理も得意だなんて、私の自尊心はどこか遠くへ行ってしまいそうだ。


「そんな、料理は昔から好きでしたし。ここではいつも私が調理担当ですから」


 副島さんがそれを、なんでもないことのように笑う。火野博士はかなりグルメで、毎日とはいかないまでもこのレベルの料理を求められるらしい。そんな環境にいれば否が応でも料理の腕は上達するだろう。カレーと炒飯くらいしか作れない私とは大違いだ。


「素晴らしい料理の数々、おいしくいただくわ」


「では、ワインを注がせていただきますね」


 甲斐博士とムーシェ博士は堂々としているけれども、私は恐縮しながら注いでもらった。


 テーブルには、目の前に二つのグラスがあった。一つは、水が入ったもの。さっき、恥ずかしさのあまりに一気飲みをしたせいでもう三分ほどしか残っていない。空のワイングラスに、トクトクと上品な音を立てて赤黒い色の液体が注ぎ込まれた。とてもフルーティーな香りが、椅子に背中を付けたままでも届いてくる。


「うん、美味しそう。せっかくだから、副島さんも乾杯に参加して頂戴」


「お誘いは嬉しいのですが、料理の準備がまだありますので」


 他にも二つのテーブルにそれぞれ三人ずつが席についている。すでにテーブルごとに飲み始めているようだ。少し大きな笑い声がこっちまで聞こえてくる。


「別にあんなおじさん連中は放っておいてもいいわよ。どうせお酒でお腹がいっぱいになるでしょ。それより、あなたたちもちゃんと食べてね。私からしっかりと火野博士には言っておくから。ほらほら、ついであげる」


 甲斐博士がワゴンに乗っていた予備のワイングラスを手に取り、そこへとワインを注いだ。多少、強引な気もしたけれども副島さんも本気で困っているというわけではなさそうだ。


「じゃあ、一杯だけ」


「うんうん、一杯だけね」


 ほどほどに注がれたワイングラスを副島さんが手にしたところで、全員が右手にグラスを抱えた。それを確認して、甲斐博士が乾杯の音頭を取る。


「では、この素晴らしいパーティーを準備してくれた火野研究所のみなさんに、乾杯」


 ムーシェ博士も乾杯の音頭に合わせてグラスをぶつける。私もそっとグラスを差し出した。ぶつかったグラスが心地の良い音を立てて、中にある赤ワインが揺れている。


「ああ、このワインは非常に美味しいですね。渡橋さんもぜひ」


 ムーシェ博士が先にワインを飲んで、それを私にも勧めてくる。私も今から飲むところだったが、ムーシェ博士に「いただきます」と言って、ワインに口を付けた。


「すごく、フルーティーですね。美味しいです」


 私は、初めて飲んだ高級なワインの味に驚いた。頻繁に実験もあるためバイトもできず、田舎の両親から仕送りのみで生活しているので、成人してからも高いワインなんて飲んだことはなかった。いつもぼろいアパートで友人たちと、安いワインと発泡酒で朝までだらだらとテレビでも見ながら将来への不安を忘れるまで語り明かす。その時に飲むものとはわけが違う。


「みなさんに喜んでいただけたようで。良かったです」「あなたもお仕事を終えたらぜひ、デザートもご一緒したいわ」


「わかりました。ぜひ、寄らせていただきます」


 甲斐博士の誘いに、副島さんは少し申し訳なさそうに断った。そして、慌ただしく部屋を出て行く。それほど、忙しいのだろう。私はそのあわただしい背中を見ながらも、気が付くと再びワイングラスに唇を添えていた。


「どうやら、かなりお気に召したようですね」


「はい。こんなに美味しいお酒を飲んだことは初めてなので」


「それは良かったです。若いうちに良いお酒の味を覚えておくことは幸せなことですからね。しかし、私もここまで美味しいものはなかなか飲んだことはありませんね。後で、何年に作られたワインか聞いておきましょう」


 ムーシェ博士は嬉しそうだ。そのあとの話から、彼がかなりのワイン好きで、自宅にワインセラーを置くほどだということがわかった。どうりで、ワインについて話すときには少し自慢気な口調だった。聞いたところ、このワインは私と同い年の生まれだということも教えてくれた。


 ムーシェ博士と甲斐博士と三人で主に現在の化学界についての話をしながら食事をしていると、他の席で食事をしていた客人がムーシェ博士と甲斐博士に挨拶をするためにどんどんこちらの席へとやってきた。どうやら、他の席ではもう食事があらかた終わってるようだ。話が弾んだこともあるけど、私はなれないフォークとナイフに悪戦苦闘しつつ食べていたため、どうしても時間がかかってしまう。


「どうもこんばんわ。ご機嫌いかがですか?」


「これはどうも。お久しぶりね、長岡博士。元気にしてた?」


「これはミスター大庭。研究は順調ですか?」


 甲斐博士とムーシェ博士にはそれぞれの交流のある人物と会話を始めてしまったため、私は一人で黙々と食事をすることになってしまう。まあ、仕方のないことだし、覚悟はしていた。一人で食べることは問題ないけれども、私も早く食べ終わって挨拶に行くべきだろうか。そう思いながら食べるスピードをペースアップさせる。

ちょうど皿の上に置かれた料理が一通り片付いたところで、背後から声が聞こえた。その声は、どこか威厳を感じる男性の声だった。

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