出題編1-3

「渡橋様、どうぞ。こちらですよ」


 慌てて夕食の会場である食堂にやってきた私に、副島さんは手招きして席を知らせてくれる。赤いカーペットの敷かれた階段をドレスで駆け下りてくるなんて、話だけならシンデレラのようだ。今、私が身にまとっているのは黒いドレスだけれども。


 すでに夕食の準備はあらかた終わっているようで、食堂にはいい匂いと薄く真っ白な煙が上がっていた。席はすべて円形のテーブルが間隔を並べて置かれており、その上にはシルクのテーブルクロスがかかっている。綺麗に磨かれた皿も、テーブルの中心に建てられた三本のろうそくも部屋の雰囲気に合っていてとてもお洒落だった。


「おやおや、これは先ほどのお嬢様ではありませんか」


 そう声をかけてきたのは、同じテーブルに腰をおろしていたムーシェ博士だった。


「ど、どうも」


 ムーシェ博士の少し距離が近い接し方に戸惑いながらも返事をする。


「では、少しお待ちくださいね。料理をすぐに準備をしてきますので」


 私が挨拶を終えたことを確認すると、副島さんは去っていった。


「どうぞ、座ってください」


 そう言ってくれたのは、ムーシェ博士の隣に座っている女性だった。彼女はしっかりと高そうなドレスを着ているし、それがよく似合っている。青くて上品なドレスは、胸元が開いているにも関わらず、決して下品な印象を受けることのない。きっと、彼女の立ち振る舞いが成せる技だった。


「初めまして、渡橋銀杏と言います」


 そう言って、頭を下げて両手で名刺を渡す。せめて、服装などはどうしようもないとしても、礼儀や所作で失礼を働くわけにはいかない。ここにいる人物は、みな日本でも有数の研究者だ。下手をすれば、代理として送り出してくれた教授にも迷惑をかけてしまう。


「あら、これは丁寧にどうも。甲斐彩乃です、よろしく」


 甲斐博士は立ち上がって、私の名刺を受け取ってくれた。ふとあたった指はすべすべで柔らかい。彼女は私の名刺を眺めて少し考える。どうやら何かを思い出しているみたいだった。やがて、何かに引っかかったのか名刺から顔を上げてこちらを見た。


「あら、元禄大学ってことは前島博士のところかしら」


「は、はいそうです。前島先生の下で日々、学ばせてもらっています」


「そんなに硬くならなくていいわよ。もっとリラックスしてちょうだい」


 そう言って甲斐博士は口を手でかくして笑うけど、緊張するなというほうが無理だ。甲斐博士もムーシェ博士と同じく科学者の中では超がつくほどの有名人である。


 様々な賞を得たほど優秀な頭脳と、その美貌で若いころは時の人と呼ばれるほどメディアに引っ張りだこだったのを幼心に覚えている。私も最初に化学の世界に対して興味を持ったのは、甲斐博士がテレビで科学実験をするバラエティー番組を見たことだったはずだ。


「前島先生はお元気かしら?」


「はい。相変わらず元気に四六時中研究ばかりしていますよ」


 私はあえて少し皮肉っぽく言った。



「その姿が容易に想像がつくわ。ところで、渡橋さんは前島博士の下で学んでいるということは、量子化学を学んでいるということかしら」


「はい、そうです」


 私は、甲斐博士の質問に深く頷いた。


 二人と同じく、私の教授である前島理玖は量子化学の分野で日本の先頭を走る人物だ。本来ならば私ではなく、前島博士が来るはずだったことを考えると、いかに火野博士の人脈が広く深いものであるかがよくわかる。よく、ここまでの人達を、こんな辺境まで招待できるものだ。


「まあ、素晴らしいわね。私も、前島教授の研究には興味があってね。もう一度、大学生からやりなおせるなら、ぜひとも受講してみたいくらいなの」


 私と甲斐博士の間で話が盛り上がっていると、同じテーブルに腰掛けながら話に入れず、少しだけ居心地が悪そうにしていたムーシェ博士が入り込んできた。


「おお、他の分野にも興味を持つことは素晴らしいことです」


「お褒めいただきありがとう。ムーシェ博士」


 笑顔で話しかけてきたムーシェ博士に微笑みながら返答をする甲斐博士。ムーシェ博士は、鼻の下を伸ばしてでれでれしていた。そう言えば、ムーシェ博士はかなりの女性好きで、特に日本人の女性が好きだという話を聞いたことがある。


「いやいや、こんなお美しい二人に囲まれて食事をすればより美味しくいただけるというものです」


「あ、あはは。いやいや、美しいだなんてありがとうございます」


 謙遜するように私はそういった。いや、しっかりとドレスと化粧をした自分の見た目が悪いとは思わないけれども、副島さんに甲斐博士と並ぶとどうしても馬子にも衣裳というか、ちんちくりんに見えてしまう。


「あらあら、謙遜するなんてもったいない。このドレスもすごく似合っていて可愛いわ。しかも、このレースの隙間から見える肌。若いっていいわね。ねえ、ムーシェ博士?」


 そういいながら、甲斐博士は私の肩を掴むように背後へと回る。レースの隙間から肩に触れた甲斐博士の指先、そこから発せられた温度を感じる。なんだか、少しこそばゆい。


「ええ、もちろんです。私がもう二十歳若ければアプローチをしていたのですが……」 


 ムーシェ博士がその言葉を明らかに甲斐博士に向けて、鼻の下を伸ばして言ったときだった。天井の角からマイクをコンコンと叩く音がした。スピーカーからくぐもった音が響いて、私は音のした方をむく。高価そうなスピーカーが部屋の四つ角にそれぞれ設置されており、これなら部屋の中にいれば、マイクを使って音が聞こえないことはないだろう。私たちは、話を中断して椅子に腰かけた。


「皆さまお揃いのようですので、これから料理をお運びさせていただきます。お料理の後には我が火野研究所が誇る研究施設を紹介させていただきたいと思います。火野もそろそろ姿を見せると思いますので、それまでの間はしばしご歓談ください」


 マイクに向かってそういったのは、副島さんと同じように白衣を身にまとった長身の青年だった。私よりも少し年上くらいだろうか。ここで働いているということはやはり彼も優秀なのだろう。マイクを持って話す姿にも、どこか慣れを感じる。そんな彼に、部屋中から拍手が鳴り響く。私も慌てて握ったままにしていた名刺入れをポケットにしまい、拍手した。 

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