第29話
秋祭の翌朝。
村には、少しの疲れと、たくさんの余韻が残っていた。
昨日の賑わいが嘘のように、今日の空気はしっとりと静かだった。
でも、その静けさは決して寂しいものではなく、何かをやり遂げた後の“満ち足りた空白”だった。
茜は朝靄の中、炊事場の片付けを手伝いながら、ぼんやりと空を見上げた。
頬には祭で浴びた夜風の冷たさが、まだ少し残っている。
「……あっという間だったなぁ」
手元の桶の水が揺れる。
心も、ゆっくりと揺れているようだった。
⸻
蒼真はその頃、村の見回りをしていた。
各所で働く村人たちに言葉を交わしながら、広がっていくこの“当たり前”をひとつずつ、目に焼きつけていた。
土に足をつけ、汗を流し、誰かと笑い合う――
それが、彼の選んだ“支配ではない統治”の原点だった。
「若当主様、昨日はほんとによかったですねぇ」
畑の隅で腰を下ろしていた老爺が、にこにこと言う。
「昔のわしらじゃ、あんな場面は想像できなかった。
外から来た娘さんが、こうして“お前さんの隣”にいるなんてな」
蒼真は目を細め、静かに応じた。
「茜は……外から来たからこそ、この村の価値をまっすぐに見てくれたんです。
俺たちが当たり前に思ってたものの、尊さを」
老爺は「ほう」とうなずき、遠くを見やった。
「“外の目”は宝じゃよ。……そして、“外の心”を受け入れられた村もまた、変わったのさ」
蒼真はその言葉を、深く胸に留めた。
⸻
夕方、屋敷に戻ると、茜が縁側で手仕事をしていた。
糸を通し、刺繍をほどこすように、何かを縫っている。
「それは?」
「うん、村の子たちに“おそろいの袋”を作ろうと思って。
昨日、一緒に花を撒いてくれた子たちに、何か渡したくて」
蒼真は隣に腰を下ろし、刺繍越しに彼女の横顔を見る。
「……昔の茜は、“自分は何も持ってない”って言ってたのに。
今はもう、“与える人”になってるな」
茜は手を止めて、少し照れくさそうに笑った。
「うん。だって、この村が、いっぱいくれたから。
居場所も、人の温かさも、それに……あなたも」
「俺も、もらったよ。
“当主として”じゃなく、“ただの俺”でいられる場所と……お前の隣という未来を」
茜は針を置き、そっと蒼真の手を握った。
「……これからも、普通の毎日が続いていくのかな?」
「そうだな。争いも陰謀もない、“普通の毎日”を、全力で守る日々が続く」
「それ、すごく素敵だね」
二人は、手をつないだまま、ゆっくりと日が沈んでいくのを見ていた。
紅い夕焼けが、村を、屋敷を、そして二人を柔らかく染めていった。
⸻
夜、縁側に風が吹く。
虫の声が遠くに聞こえ、灯籠が小さく揺れていた。
茜は自室へ戻ろうとしたが、ふと足を止めた。
「……蒼真くん」
「ん?」
「明日も、こんなふうに笑ってられると思う?」
蒼真は、迷いなく答えた。
「ああ。
明日も、来年も、十年後も――そのために俺は生きていく。
だから、お前も、笑っていてくれ。ずっと」
茜はゆっくり頷いた。
「……うん。おやすみ、蒼真くん」
「おやすみ、茜」
そして、彼女は部屋へと戻っていった。
蒼真はしばらく、夜空を見上げていた。
もう“戦う理由”はない。
けれど、“守りたいもの”は、どこまでも続いていく。
その静かな夜に――若当主の眼差しは、確かに未来を見据えていた。
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