第26話 「生まれつき」


 ミルメコの近くの森。

 今日はファルシネリを街に残し、アンセスと二人で訓練をしていた。


 草の生い茂る地面。

 身体に力を入れて拳を握り、構える。

 目の前のアンセスは両手を下げて半身の構えを取った。


 近距離の殴り合いだというのに、彼の身体はゆるく脱力している。

 隙だらけに見えるが…… 全く隙が無いようにも見える。


 私は距離を詰め、顔面に向かって右腕を力強く打ち抜く。


 当たる!


 そう思った瞬間、アンセスは目の前から消える。


「なっ……」

「後ろだ」


 いつの間にか後方に回り込まれている。

 私は間髪入れず身体を捻り、左手の裏拳を叩きつける。


 しかし、この攻撃も空を切り、アンセスに目の前まで距離を詰められる。


 咄嗟に顔の前まで腕を上げ防御する。

 しかし、彼の攻撃はあざ笑うかのように防御をすり抜け、私の腹部を軽く小突いた。


「自分で視界を遮るな。 腹ががら空きだぞ」

「くっ」


 アンセスの腕を払いのけ、右足を思い切り蹴り上げる。

 が、やはりそこに彼は居ない。


「力みすぎだ」


 その言葉が聞こえた直後、私の軸足……身体を支える左足が軽い蹴りで払われる。

 完璧なタイミングで足払いを受けた私は体勢を崩し、受け身すら取れずに地面へと仰向けに倒れこむ。


 急いで起き上がろうとするが、それよりも速くアンセスの右腕を振り下ろされる。

 その拳は私の顔の寸前でピタリと止まった。


「う……」


 敗北を悟った私は脱力して両手足を地面に投げ出す。


 つ、強い……


 昨日も含めて、もう何十回も戦っているが一度も勝てる気配がない。

 それどころか、攻撃が彼に届く気すらしない。


 私はアンセスよりも身体が二回りほど大きい。

 身長も筋肉量も彼に勝っている。

 単純な身体能力では私の方が確実に上だという自信がある。


 だというのに攻撃がかすりもしない。

 正直、アンセスを甘く見ていた。

 騎士というのはここまで強いものなのか?


 戦場での立ち振る舞いから只者ではないとう事は分かっていたつもりだったが、ここまで差があるとは思っていなかった……

 素手でこれなのだから、剣を持ったアンセスは誰にも負けないのではないだろうか。


「悪くないが、攻撃が大振りすぎる」


 彼は私を見下ろしながらそう言った。

 逆光を受けて、アンセスの顔が黒く染まっている。


 こちらは疲れ果てて肩で息をしているというのに、彼の表情は訓練を始めた時と一切変わっていなかった。


 私は地面に転がったまま口を開く。


「何年かかっても、あなたから一本取れる気がしませんよ」

「はじめからすべて上手くできるとは思わないことだ。 少しづつ良くなっているさ」


 彼は涼し気な顔をしながら少しだけ笑った。

 本当に強くなっているのだろうか?

 かなりボコボコにされているのであまり説得力がない。


 だが、アンセスはお世辞を言うタイプではないだろうし、本当にそう思っているのかもしれない。


「完全に私の攻撃を見切っていますよね。どうやっているのですか?」

「どうって、相手の動きを見ているだけだ」


 彼は当たり前のことを当たり前のように言った。


 いや…… それはそうだろう。

 相手の動きを見る。 それぐらい私もやっているつもりだ。


 そのつもりなのだが、アンセスの動きは尋常ではない。

 おかしな話だが、私が攻撃をする前に既に避けているような気さえする。


 私の納得していない顔を見て、アンセスはあごに手を添えて少し何かを考えるような仕草をした。


「そうだな…… 相手をよく観察するんだ。 体の軸、体勢、視線、筋肉の動き…… しっかり見ていれば、次にどういった動きをするのかは大体わかる」

「筋肉の動きって…… そこまで見えないでしょう?」

「こう、なんとなくわからないか? 人間はある程度決められた動きしかできないだろう?」


 アンセスは眉根を寄せ、困ったような顔をした。

 なぜ理解できないんだ? といった様子だ。


 なんとなく……?

 

 なんとなくで今の動きが出来るだろうか?


 どうやら彼の当たり前は常人のそれとはだいぶ異なっているようだ。

 騎士が強いというより、アンセスという男が飛び抜けているだけな気がしてきた。


「あなたの故郷は…… たしかヴェンデミールというのでしたよね。 騎士というのは皆これほどの腕前を持っているものなのですか?」

「ヴェンデミールの騎士は精鋭揃いだが…… 強さだけでいえば俺が一番だろう」


 アンセスは特に誇るという訳でもなく、まるで他人事のようにサラリと言った。


「おお…… もしかして天才というやつですか」


 私がそう言うと、彼は一瞬だけ叱られた子供のような顔をした。

 だが、すぐにいつもの涼し気な表情に戻ってしまった。


 そしてポツリと一言、


「…………まあ、そうかもな」


 とだけ言った。


 ……あまり触れられたくない部分だったのだろうか?

 

 彼の強さは本人の努力によるものだというのは理解しているし、それを天才という言葉で片付けるつもりは無かったのだが…… 気遣いに欠ける発言だったかもしれない。


 何と言えば良いのか思考を巡らせていると、


「そんなことはどうでもいいさ。 次は魔術を交えながらやってみろ」


 と、言いながら私に手を差し出してきた。


 私はその手を掴み、立ち上がる。


 ……魔術を使った戦闘。

 昨日は魔力不足で出来なかった戦法だ。


 体術では敵わなくとも、魔術があればアンセスに一矢報いることが出来るかもしれない。


「今度は実戦形式だ。 俺からも攻撃するからな。 いいか?」

「分かりました」


 そう言うと、彼は数メートル離れたところまで歩いていき、こちらに向き直った。


「準備は?」

「大丈夫です。 出来ています」


 そう言った数秒後。

 アンセスは地面を蹴ってこちらに猛突進してきた。


 な、いきなり!?

 これが実戦形式……!


 そのままの勢いで繰り出された右の拳を、左肘で防御する。


 その刹那、左の脇腹に鈍い痛みが走る。


「ぐっ……」


 左手で防御させて、がら空きになった脇腹に蹴りを入れてきた……!


 私は痛みに耐えながら右腕を振り下ろす。

 アンセスは最小限の動きでこれを避ける。


 体勢の崩れた私の顔にアンセスの攻撃が迫る。


 私はここで、無敵を発動した。


 身体が白い光に包まれ、彼の右手が弾かれる。


「むっ……」


 アンセスの体勢が崩れた……!

 間髪入れずに右手を力強く振り回す。


 だが既に、彼は後ろに跳んで、私の範囲の外へ脱出していた。


 勝負になっている……!

 私と彼の戦闘力には大きな差があるが、確実に戦えている!


 だが問題なのはこの後だ。

 無敵の使えない数十秒間、彼の攻撃を凌がなくてはならない。


 白い光が消えたのを見計らって、再びアンセスが飛び込んでくる。

 魔術が再び使えるようになるまで待ってくれる気はないらしい。


 私は前蹴りを放ったが簡単に避けられ、今度は右の脇腹に拳を叩きこまれる。


「くっ……」


 やはりこちらから攻撃するのは駄目だ。

 確実に見切られカウンターをくらう。


 私は攻撃を諦めて防御を固めた。


 身を守る私にアンセスの打撃が雨のように撃ち込まれる。

 何とか反撃の機会を探るが、手が出せそうにない。


 やはり魔術を利用するしかないだろう。

 攻撃を誘い、無敵で弾いてカウンターを狙う。

 それ以外に勝機が見いだせない。


 私はわざと大きな動作で右手を振り下ろす。

 隙だらけの攻撃だ。 こんなものにアンセスが当たってくれるはずが無い。


 予想通り、彼は少し身体を逸らしただけでこれを躱し、反撃の体勢に移る。


 ここだ!


 彼が拳を握ったのを視認し、無敵を発動しながら左手を真っ直ぐに打ち抜く。

 攻撃がかち合えば、無敵を纏っている私の方が勝つはず……!



 次の瞬間。 



 視界が回転する。


「……え?」


 一瞬の浮遊感と共に天と地がひっくり返り、背中が地面に叩きつけられる。

 魔術を使っているので痛みは無いが……


 何が起こった? なぜ私が仰向けに倒れている?

 いや、それよりも早く体勢を立て直さなければ……!


 急いで立ち上がろうと身体に力を入れる。

 が、それよりも速く、顔のすぐ横の地面が踏みつけられた。


 耳元を掠ったブーツは、私の敗北を物語っていた。

 地面に倒れている間に魔術の効果時間は切れてしまっていたようだ。


「狙いが分かりやすすぎる。 魔術を使うタイミングをもっと考えろ」


 アンセスはそう言って、こちらを覗き込む。

 

 むしろ完璧なタイミングで魔術を発動したつもりだったのだが、地面に倒れていたのはなぜか私の方だった。

 自分の身に何が起こったのかさっぱり分からない。


 私は息を切らしながら、彼の足元に縋りつくように尋ねる。


「私は何をされたのですか?」

「お前は無敵を使う事を読まれて、投げられた」


 淡々と彼は言った。


 つまりはこういう事らしい。


 私の作戦では…… 彼の攻撃を無敵で捌き、体勢が崩れたところを攻撃するというものだったのだが、アンセスはこの思考を完全に見透かしていた。


 そこで彼は攻撃するふりをして私に無敵を使わせたのだ。


 そして、彼の思惑通り魔術を使って攻撃をした私は…… 背負い投げされた。


 どんな攻撃も防ぐことが出来ると言っても、体幹まで無敵ではない。

 魔術を使っている数秒は完全に自分のターンだと思っていた私は、簡単に体の軸を崩され投げられる。


 予想外の反撃を受け混乱している間に、無敵の時間は過ぎ去り……

 地面に倒れている私と、それを見下ろすアンセスという構図が出来上がったわけである。


 かつてファルシネリに言われた「固有魔術を他人に知られてはならない」という言葉を思い出す。

 アレはこういう事だったのか。

 

 能力がばれた魔術師は、タネがばれた手品師のようなものだ。


 先ほどの一戦も、彼が私の能力を知らなければ、私が勝っていただろう。

 ……いや、アンセスならば初見の能力でも咄嗟に対応しそうな気がする。


 だが、少なくとも今のように自分の能力を利用されて負けるような展開にはならなかったはずだ。


 しかし、自分の魔術の内容を晒さないように立ち回るのは難しい。

 私の魔術は防御系なので、初見殺しが出来るタイプの能力ではないし……


 となれば、無敵を利用した読み合いを仕掛ける必要があるのだろうか?


「……アンセス、もう少しだけ訓練に付き合ってくれませんか?」

「ああ、いいぞ」


 闘技場に向けて、もっと魔術を上手く使った格闘を練習すべきだろう。

 私は再びアンセスに対して拳を構えた。

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