第24話 「紐の結び方」
闘技場に参加することになった私たちは、エストラーダに紹介された宿屋を目指していた。
たしか…… 宿の名前は『ケリー』といっただろうか?
場所を聞きそびれてしまったが、おそらく円形闘技場の近くにあるのだろう。
そう思い闘技場に来てみると、目の前の建物は思ったよりもずっと巨大だった。
石造りのそれの周りは多くの人でにぎわっており、中からも大勢の人々の歓声が聞こえてくる。
この街の一番の娯楽というのは間違いではないらしい。
私たちはその近くで、道行く人に宿屋の場所を尋ねてみることにした。
しかし、ミルメコの住民たちは何をするにも対価を要求してくるため、思った以上に時間がかかってしまった。
金銭を要求されたり、謎の品を押し売りされたり、怪しい店の中に連れて行かれそうになったりと、一筋縄ではいかなかったが、ついに目的の宿屋の場所を探し当てることが出来た。
そのころには既に、空は夕焼け色に染まっていた。
肩を並べてながら宿に向かって歩く途中、ふと、アンセスが呟いた。
「……そういえば、二部屋分の金はあるのか?」
「え? どういうこと?」
「一部屋に全員が泊まるのは厳しいだろう」
アンセスは三人の男女が一つの部屋に泊まるのに思うところがあるのだろう。
たしかに、少なくともファルシネリの部屋は分けたほうがいい。
私もそう思ったのだが……
「えー? 一部屋でいいよ?」
ファルシネリは特に気にする様子もなくそう言った。
「いや、まずいだろう」
「ちょっと狭いくらい大丈夫じゃない?」
「そういう訳じゃない…… 同じ部屋だと、お前が気にすると思ったんだが」
「野宿してる時と同じでしょ」
「……そうか。 ……そうか?」
アンセスは微妙な顔をして口をつぐんだ。
彼はファルシネリとの距離感を微妙に測りかねているようだった。
私はアンセスに同情した。
ファルシネリは良い人物であるのは間違いないのだが……
私も彼女に対しては、少し距離感が近いなと感じるときがある。
文化の違いというやつだろうか?
真面目で若いアンセスは、彼女のような女性にあまり免疫が無いのかもしれない。
そんなことを考えている内に目的の宿屋に到着した。
宿はそれなりに大きな二階建ての木造建築であり、露店に挟まれるように建っていた。観客たちの歓声がまだ聞こえるほど闘技場の近くに位置している。
店先には赤い塗料で塗られた看板が掲げられていた。
ケリーという店名はエストラーダが名付けたらしいが、なんというか普通の名前だ。
彼ならば、もっと派手というか、奇をてらった名前をつけそうな気もするが。
そのような事を考えつつ宿の扉を開くと、店主らしき中年の男性がカウンターに座っていた。
男はこちらを一瞥すると、
「よそ者はここには泊まらせてやれない。 別の宿にいきな」
とぶっきらぼうに言った。
いまさら親切な対応は期待していなかったが、一方的に出ていけと言われるのはあまり気分が良いものではなかった。
まあ…… だが実際、私達はよそ者だし、この店はそういった者は相手にしていないのだろう。
私は笑顔をつくり、つとめて冷静に話しかける。
「エストラーダという人物に紹介されてきたのです」
そう言って、懐から彼の名前が書かれた紙片を取り出して見せた。
店主はその紙片を穴が開くほど眺めた後、私の顔とエストラーダのサインとを交互に見た。
なぜだか分からないが…… 私には、その姿がまるで何かに怯えているように感じた。
「この宿は闘技場で戦う奴らしか宿泊を許可していないんだが…… アンタたちもそうなのか?」
それは初耳だ。
封魔鉱の影響を受けない宿は、闘技場の参加者しか泊まれないという事だろうか?
闘技場はこの街で一番の娯楽だという話だし、参加者は特別な扱いを受けられるのかもしれない。
「私達も闘技場の参加者ですよ」
私の言葉を聞くと、彼は眉間にしわを寄せる。
「馬鹿なことを…… エストラーダの口車に乗ったのか」
店主はぼそりと呟くと、私の手からサインの書かれた紙片をひったくるように取り上げた。
「エストラーダについて詳しいのですか?」
「……この紙に宿泊日数と人数、代表者の名前を書きな」
彼は質問を無視して、取り出した用紙をカウンターの上に置いた。
その反応だけでエストラーダの影響力が窺い知れた。
私はカウンターに立てられていたペンに手を伸ばそうとしたが、手はその途中で止まった。
止まってしまった。
自分の名前の綴りが分からなかったのだ。
私は酷く混乱して、異常にのどが乾いた。
名前は……憶えている。
私はメリーガムだ。
間違いなくそのはずだ。
だというのに、手は動いてくれなかった。
なぜ? なぜ書けないんだ?
「…………」
「メリーガムさん? どうしたの?」
「あ、いや……その……」
ファルシネリが私の手元の白紙を覗き込んでくる。
私はなんだか恥ずかしいものを見られたような感覚がして、咄嗟に何も書かれていない用紙を手で隠した。
「自分の名前の書き方が思い出せないのです」
「えっ?」
「……俺が書こう」
アンセスはすばやく用紙を手に取ると、カウンターに立てられていたペンを引き抜き、紙の上で滑らせた。
店主は用紙を確認すると、アンセスに鍵を手渡す。
二階の突き当りにある部屋の鍵のようだ。
指定された部屋に向かう途中で、ファルシネリが私の背中を優しく叩いた。
「きっと思い出せるよ」
彼女はそう言って笑いかけてくれた。
---
部屋はそれなりに綺麗で問題なく過ごすことが出来そうだった。
……ベッドが二つしかないこと以外は。
とりあえずベットの話は後回しにして、私たちは荷物を部屋に置き、大浴場で体の汚れを落とすことにした。
男湯の方は傷だらけの巨漢で込み合っていたが、女湯のほうはファルシネリひとりだけだったらしい。
それから私達は夕食の塩漬け肉とパンを食べながら部屋で今後の事を話し合う事にした。
「まずはベッドだろう」
アンセスがパンをちぎりながら口を開く。
「この中でひとり、床で寝る奴を決めなきゃならない」
「二人と一人で分かれればいいんじゃない?」
「……どういう風に?」
「メリーガムさんが身体がおっきいから一人で、わたしとアンセスが同じベッドで……」
その言葉を聞いてアンセスがむせる。
「む、ゴホゴホッ……!」
「大丈夫ですか」
彼はしばらくむせていたが、私が差し出したコップの水を飲みこんでようやく落ち着いた。
「ゴホッ、却下だ」
「えー?」
「この際だから言っておくがな、お前の距離感はなんか変だ。 改めた方が良い」
「そうかな? ……そうかも」
「たしかにちょっと変わっているかもしれませんね。 西方の文化ですか?」
その質問に、ファルシネリは口元に手を当てながら考え込む。
「その、わたしさ…… いままで友達とかいたことなくて、お年寄りとばかり話してたから…… それでちょっと接し方が変なのかも」
「意外ですね。 あなたのような人柄なら、たくさん友人がいそうなものですが」
そう言うと彼女は気まずそうに髪をいじった。
「いやー…… それは、えーと……」
「言いずらい事でしたら無理に言わなくてもいいですよ」
「だ、大丈夫。 ……わたし、実は、その」
ファルシネリは一呼吸置き、胸に手を当てる。
「じ、実は、わたし…… 魔術師と非魔術師の間に生まれた子なの」
「…………? えーと、それがなにか問題でも?」
だからどうしたというのだろうか?
相当言いづらそうにしていたが、特に変なことではない気がするのだが。
彼女に友人がいない事と何か関係があるというのか?
「メリーガムさんはそういう反応だよね……」
彼女は息を吐いて胸を撫で下ろした。
まだ理解が追い付いていない私に、アンセスが話しかけてくる。
「お前は知らないかもしれないが、この世の中では、魔術師と非魔術師は互いに反目し合っているんだ」
「そうなのですか…… なぜ?」
「色々な理由あるが、事の発端は人魔大戦だろうな。 魔術師と非魔術師との間で起こった戦争だ。 もう何百年も昔の出来事だが、その遺恨はいまも残っている。
魔術師は非魔術師を、非魔術師は魔術師を排斥しようとする。 だから基本的に両者が同じ集団のなかで生活することは無い。 このミルメコは例外のようだが」
「なるほど」
「おそらくファルシネリは魔術師の社会にも、非魔術師の社会にも上手く馴染めなかったんだろう」
その言葉にファルシネリは小さくうなずく。
「行く当てのないわたしを拾ってくれたのが、ある老魔術師なの」
「あなたに杖を贈ってくれた人物ですか?」
「そう。 おばあちゃんはわたしを育ててくれた恩人だから、あの人とのつながりは失いたくなくて……」
まだ若いというのに、かなりつらい人生を歩んできたようだ。
両親のことは……深く踏み込まない方がよいだろう。
そんな世界で、魔術師と非魔術師の夫婦がどういった扱いを受けるのかは……あまり想像したくはない。
「だからわたしは自分を受け入れてくれる場所を探してるの。 それが、プロナピエラだといいなと思ってる」
「プロナピエラ……ですか?」
「うん。 知ってる? あそこは、魔術師の楽園って呼ばれてるの。 どんな境遇の魔術師でも受け入れてくれるんだって」
ファルシネリはそう言って、取り繕うように笑みをつくった。
彼女がプロナピエラまで旅の同行をさせてくれないかと言った時、後ずさりしてしまうような気迫が込められていたのを覚えているが……そういった理由があったのか。
「正直、俺はお前のことを怪しんでいた」
アンセスがポツリと口を開く。
「……そ、そうだよね」
「だが、今の話を聞いて確信した。 お前は悪い奴じゃない。 ひとりのつらさは俺も理解しているつもりだ」
「アンセス…… ありがとう」
「……これでエストラーダに負けるわけにはいかなくなったな」
「あ! そう! そのことなんだけどっ!」
彼女は思い出したように、私の肩に手を乗せた。
「闘技場で勝つためには、メリーガムさんの強化が必要だと思うの!」
「私ですか?」
「うん。 いまのままでも強いけど、魔術を上手く使えてないでしょ? 固有魔術の使い方を思い出せれば、今よりもっと強くなれると思うんだけど、どうかな?」
「それは……いい案ですね」
固有魔術の不安定さは、私もどうにかしたいと思っていたところだった。
「アンセスはどう思う?」
「俺も賛成だな。 こいつの身体能力は大したものだが、戦闘技術は素人同然だ。 鍛えてやればすぐ伸びるだろう」
「決まりだね。 じゃあ、明日からはメリーガムさんの特訓を始めよう」
「三日で何とかなりますかね?」
「何もしないよりはマシだろう」
アンセスはパンを小さく固めて口に放り込むと立ち上がった。
「そうと決まればさっさと休もう」
「ねえ、結局ベッドの件はどうするの?」
「仕方ないですね。 私とアンセスで同じベッドに寝ましょう」
「は? お前は床で寝ろ」
「私もベッドで寝たいんですけど」
「なら、俺が床で寝る」
「あなたも疲れてるでしょう」
「なんなんだよお前は」
「アンセスがひとりで居たいなら、わたしとメリーガムさんが一緒のベッドで……」
「ああ、もう……わかった、わかった。二人で寝ればいいんだろ」
アンセスは露骨に嫌そうな顔をしてベッドに潜り込んだ。
私とファルシネリも灯りを消して、身体を休めることにした。
……部屋は暗闇と静寂に包まれた。
隣のアンセスは静かに寝息を立てている。
あんなに嫌がっていたというのに…… やはり彼はどんなところでも眠れるように訓練されているのでは?
彼に対して私はあまり眠れそうになかった。
暗い天井を見ていると、宿屋で自分の名前を書けなかった時のことが鮮明に浮かび上がってくる。
あの時の言いようのない不安が胸の中でしこりのように残っていた。
こんな調子で記憶を取り戻すことが出来るのだろうか……?
プロナピエラに行ったとして、何の手掛かりも得られなかったとしたら私はどうすれば……
……いや、良くないな。 これは良くない。
このまま起きていても、後ろ向きな想像ばかりしてしまう。
明日からは魔術の訓練をするのだから、早く眠らなければ。
無理やり瞼を閉じて眠ろうとしたが、私に睡魔が訪れることは無かった。
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