更待月

「ねえ、知ってる?」

「何を?」

「紅いウサギの話」


田舎の小さな学校。周りは山ばかりで、買い物すら一苦労。

都心から親の仕事の都合でやってきたら、

あまりの人の少なさと不便さに驚いた。

そして、辛うじて鉄筋コンクリート造ではあるけれど、古びた学校に転入した。

すると、唐突にそう話しかけられた。

それは、昔から語り継がれる怪談だと言う。

それは、昔から語り継がれる伝承だと言う。


紅いウサギは大事なモノを探している。

だから、紅いウサギを追いかけてはならない。


内緒話みたいに彼女は語る。


「どうして?」

「紅いウサギに連れて行かれてしまうから」

「連れて行かれるとどうなるの?」

「帰ってこない。その先で何が起こっているのかは、誰も知らない」


紅いウサギは、連れて行く。

大事なモノを連れて行く。


「紅いウサギは、大事なモノを盗られたらしい」

「大事なモノ?」

「だから、大事なモノを盗った誰かを探しているの」


ヒソヒソと囁くように彼女は言う。

根も葉もない噂話。

面白おかしく伝わるだけの怪談。

けれど、そこに住む人々は知っている。

行方不明になった子供は、紅いウサギについて行ってしまったのだと。

紅いウサギに盗られてしまったのだと。


「でも、紅いウサギを殺してもいけない」

「どうして?」

「紅いウサギは死なないから。死んでも蘇るから」

「だって、紅いウサギは殺されたとき、殺した人の命を貰うから」


紅いウサギは、そうして生きている。

紅いウサギは、そうして何かを探している。


「大事なモノって何?」

「さあ?それは誰も知らないから」


紅いウサギは、宝物を探している。

大事な、宝物―――――


「だから、星のない月夜は気を付けてね」


彼女はそう言って微笑む。

その美しさに思わず見惚れた。


ころり、と渡された赤い玉。

「それ、お守り」

そう言われて、自然と握り締める。


「え、と……ただの噂話、だよね………?」

「うーん。信じる信じないは好きにしたらいいよ」

けどね、と彼女は言う。

「大体みんなそう言って、いなくなっちゃうんだよね」

あっけらかんと言う彼女に、お守りを握る手に力が籠った。


「ちゃんと信じていて、古い慣習も全部守っているのはひいおじいちゃんひいおばあちゃんくらい」

たくさんの決まりは子供を守るためで。

「慣習自体はめんどくさがっても、無下にはしないのがおばあちゃんおじいちゃん」

何が起こるのかを正しく理解しているから。

「最低限のことを守るのがお父さんお母さんくらい」

親たちの不安を取り除くために守ってきた。

「その言うことを聞いておけばいっか、くらいが私たち」

それをただ、惰性で守っているだけ。


「でも、確かにいなくなる人がいて、死んでしまう人がいるから」

そう言って、新聞の小さな切り端を彼女は見せる。

数か月前にこの町の近くに越してきた猟師が、数日前に不審死を遂げた、と。

一緒にいた子供が、見たと言う。

『紅いウサギがいた』と。


どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。

知る者はいない。

誰も紅いウサギの探しモノを知らないように。

けれど、この町に昔から住む者たちは知っている。

それが真実なのだと。


「この町にいる間くらいは気を付けた方がいいよ」

「紅いウサギは”外”には追いかけてこない?」

「うん、町の外までは行かない」

「探しモノはこの町の中?」

たぶんね、と彼女は笑う。


下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。

帰ろうか、と言われて、自然と頷く。


この町の学校に部活はない。

もちろんクラブもない。

近くに遊べるような場所もない。

あっても、もう閉まってしまう。

コンビニさえ、辺りが暗くなると閉まり出す。

皆が真っ直ぐに家に帰って、すぐに鍵を閉める。


紅いウサギに連れて行かれませんように。

大事な子供が、

大事なモノが、

紅いウサギのモノになりませんように。

そんな祈りを込めて。


ポタ、ポタ、ポタリ、

滴るそれは誰のモノだろう。


独りぼっちのまま、

紅いウサギの探しモノは、

星のない夜に浮かぶ、月しか知らない―――――


月は見守っている

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