第十八羽
Ⅰ
それからの日々はそれはもう順調で、心穏やかだった。
あの屑共との決別―――より正しくは過去との決別をしたことで、私の心はこれでもかってくらい穏やかになって、狭間の悪魔と二人、幸せに過ごした。
時折、上級天使たち(青の翼を除く)が顔を見せる。
彼ら曰く、天界に戻ってこなくていいけど、少しくらい天使のイメージを払拭したいとか、これからの天界は良くすると初心に帰るためとかそんな感じらしい。
馬鹿馬鹿しい。
私には関係のない話だし、興味もない。
「遠くから決意し直すのは勝手ですけど、わざわざ私の前に来てまでやらないでもらえます?」
鬱陶しいので、と付け加えると、今回の担当らしい炎天様は苦笑を浮かべる。
「それはすまない。みんなにも言っておこう。遠慮なく言ってくれていい。蒼天の件は私たちも反省すべき事柄だったし、お前は偶然蒼天の目に留まったから、遅くはあったけれど、それでも天界の問題に気付けたから、皆気合が入っているというか、再教育にも熱が入っていてね」
「どーでもいいって言っているじゃないですか」
「そうだな」
吐き捨てるように言っても、彼女が怒ることはない。
「もう、お前を救うことは出来ないし、そんなことさえ烏滸がましい。私たちは自覚さえしないまま、天界の罪をお前に押し付けてしまった。けれど、過去にももっといたのだろう。お前のような存在が。だから、二度とそんなことないようにはしたい」
きっとそのヒトたちは、誰かに助けを求めるどころか、認知すらされないまま死んでいったのだろう。
もしくは、能力を持ちつつ、親からも愛されていれば、大した傷を負わずに普通に過ごせたかもしれない。もしくは、その前に人間界に送られたかもしれない。
弱くても能力さえあれば多少は問題ないだろう。
誤魔化し続けるか、人間界に逃がすか。そういう選択があるのなら、羨ましいと思うのと同時に、それ以外の選択がないという変える気のないその無責任さに辟易もする。
まあ、私も変えたいとは思わないけれど。
(天使の誰か一人でも、手を差し伸べてくれたのなら、私は今でも天界にいたんだろうな)
そこで、天界を変えるんだって馬鹿みたいな夢を見たかもしれない。
そう考えただけで吐き気がした。
どうせ、何も変わらないのだと残酷な現実を突きつけられるだけだ。
結局早いか遅いかくらいだろう。
「自分と同じ思いをしてほしいとは思いませんが、そこに私がいるわけでもないのに、変えますって言われてもどうでもいいってなりません?」
「それはそう」
炎天様はやっぱり苦笑いだ。
「まあ、自己満足だ。嫌なら嫌だと拒絶してくれ」
「炎天様以外信用していないので」
あなた以外に言う気はないと示せば、彼女は一瞬目を丸くして、すぐ愛おしいものでも見るように微笑んだ。
「それは光栄だな」
「まあ、あのヒトよりはマシだから、という前提ですけれどね」
「仕方のないことさ」
肩を竦めて言う彼女は大人なのだろう。
少しだけ周りよりもまともな大人。
「私も“子”育ては失敗したからな」
「そうですね、大失敗ですね」
もう顔も覚えていない。
辛うじて覚えているのは、羨ましいほど鮮やかな赤。
人間界で夕焼けを見ると、時折思い出していた。もう二度と思い出さないだろう。
「翼だけは綺麗でしたね」
「ふは、言っておく」
「結構です」
即断る。
「というか、放っておいていいんですか?」
今頃、次世代たちは再教育中だろう。
「あの子は今、学生のやり直し中だ。寮に押し込んだ。卒業試験であったことをゲロって、泣きながら謝られた。その対象は私じゃないだろうって叱り飛ばして、探して謝りに行けって追い出した」
「来たことないですね」
「見つけられないって半ベソかきながら、人間界を彷徨っていたよ。蒼龍から、見つけていたけれど、自分たちだけじゃまた逃げられるかもって聞いて、一度呼び戻した。そこからすぐ独りがどういうものか学んで来いって学園に入れた。もうとっくに大人のあの子が子供に交じっているのは面白いだろうな」
そう言って、なんだか悪い笑みを浮かべていた。
それでもきっと、ソイツは近い状況なだけで、私と完全に同じ状況にはならないだろう。
「自業自得ですね。でも、謝りたいからって会いに来られるのは迷惑なので、二度と寄越さないでください」
「ああ、そうするよ。他の奴らにも言っておく。想像より、いや私たちの想像が甘くて、謝るだけでもさせないとって思考が働いたんだけど、蒼龍と蒼天から聞けば聞くほど、全然謝るだけじゃ済まないだろって思った。お前の話を聞いて、もう遅すぎたんだって実感したしな………」
自分の何が悪いのかを自覚するこのヒトはやっぱり信用してしまうな、と思う。
「もう、お前の過去を刺激するような奴らは会いに来ないから、安心しな」
「それならいいです」
また不安事が増えるのかと一瞬思ったが、杞憂らしい。
「じゃ、またな」
「来なくていいです」
「ふ、まあもう少しだけ」
そう言い残して、彼女は去っていった。
『やっと行ったか?』
『うん』
上級天使たちが来ると、狭間の悪魔はいつも静かになる。
邪魔をしないように、というより関わりたくないみたい。
まあ、気持ちは分かるけれど。
Ⅱ
そうして、さらに月日は流れて、私たちは人間界を一周した。
「あとは、アイツのせいであまり見られなかった街を見たいな」
『いいんじゃないか。それを見終われば、死に場所を決められるな』
「あー、死に場所はね、もうほとんど決めているんだ」
『?そうなのか?』
「うん。まあ、まだその人が生きていて変わっていなければ、だけど」
私はそう言って、とある町で蒼龍を待っていた間に関わった人間のことを話した。
『なるほどな。人間界に来てから、一番傷が癒された瞬間というやつか』
「そうそう」
少し不服そうな声だったけれど、彼が嫌がっていないのがなんだか嬉しい。
「まだ生きているかは分からないけれど、彼女がまだ生きているのなら、またご飯でも食べに行きたいな」
『ちゃんと俺も紹介しろ』
「ふはっ。うん、わかった」
どうやら彼には気付かれているらしい。
私が、あの人に何もかも話すつもりでいることを。
「その少し前の町で数日過ごしてから、彼女のいる街に向かうよ」
『了解』
逃げ回っていたせいで回れなかった街を見て回る。
当時とは違うだろうけれど、大した問題ではなかった。
寿命の短い人間のこの移ろいが綺麗だと思うから。
(先輩はどうしているだろう)
(変わっていないといいな)
あれからもう、何十年と経った。
生きていたとしても、もうあの場所で働いてはいないだろう。
あの優しささえ変わっていなければ、と思う。
もしも、変わってしまったのなら、あの優しさがなくなってしまったのなら、用はない。
仕方ないと思いながらも、変わらないでほしいと願う自分がいた。
Ⅲ
「ツバサが、いなくなっちゃうの寂しいな」
ポツリと彼女は零した。
「私も、寂しい、です」
私も、それに同じ想いを返す。
それは、最後にご飯に行こうと誘われたときのことだ。
「でも、行っちゃうんでしょ」
「……はい」
からん、とグラスの中の氷が音を立てた。
「……先輩」
「ん?」
「前も言いましたよね、私の故郷の話」
「うん」
「そのとき、私を傷つけた奴が追いかけてきているみたいで」
「えっ、平手打ちした?」
なんでそこをピックアップした?
ふ、と思わず笑いながらも頷く。
「そうです。向こうは謝りたい、みたい、なんですけど、私は………」
「許したくない?」
こくり、と頷く。
「だから、ここを出ていくの?」
「そう、です。用事、というのもまあ、言い訳くらい聞こうかと思って……」
「はは、やっぱりツバサは優しいねえ。で?」
「何も」
「は?」
途端に先輩の顔が顰められる。
「ごめん、だけ言って、その後は何も。待てど暮らせど何も言わないので、また逃げました。だから、ここを出ます」
「何それぇ。そんな奴のせいで、私のツバサが………!!!」
いつから先輩のモノになったんだろうと思ったが、なんだか嬉しかったので何も言わないでおく。
「もう少し、旅をしたい、というのもありますけれど、一番は彼らにまた、傷つけられるのが怖い」
「うん、気にしないで。いつかまた、ここにおいでよ」
そんな風に笑う彼女がとても綺麗で。
「あの、次来るときはここに、永住します」
「永住ってw大袈裟だなあ。でも、うん。待っているよ」
「先輩が、ここにいたら、また会いに来ますから」
約束。
先輩は覚えていないかもしれないけれど。
「え、じゃあ迂闊にどこか行けないな」
「別に、どこかに行っていてもいいです。どこに行っていても必ず会いに行きますから」
「ふふふ、めちゃくちゃ嬉しい。よっぽどのことがなきゃこの町にいると思うから、気長に待っているよ」
「はい……」
先輩、と呼びかける。
「どうした?」
ああ、この優しさが、とても嬉しい。
「先輩、変わらないでくださいね」
「え、何々?」
ぎゅっと思わず彼女を抱き締めた。
「優しい先輩のままでいてください。そうしたら私、きっとすぐあなたがわかるから」
「あはは、マジ?じゃあ、ツバサと一緒にいた時間を忘れないようにしなきゃね」
「忘れても、いいです。私のことを忘れたって」
「忘れないよ」
力強く、彼女は言って抱きしめ返してくれる。
ああ、この温もりが、私はずっと欲しかったのかもしれない。
「奇跡だって言ったでしょ。私たちの出会いは、奇跡だから、絶対に忘れない。ツバサも忘れないでね」
「絶対忘れません」
この日々は私にとってかけがえのない宝物だ。
だから、また会いに行きます。
Ⅳ
彼女は何一つ、変わっていなかった。
あれから、容姿は少し年を経て変わっていたけれど、あの暖かな優しさを持ったままだった。
「先輩」
何も考えずに、思わず声が出ていた。
彼女を呼んでいた。
その声は震えていた。
「あれ?!」
彼女は吃驚したように私を見ている。
それはそうだろう。
私は未だに当時と変わっていない。
変わらないまま、この月日を過ごしてきた。
少しだけ、怖くなる。
もう少し考えてから声を書ければよかったと後悔し始めた、そのときだった。
「ツバサ!!?ツバサなの!!?」
先輩ははしゃいだような声を上げて、こっちに近付いてきてくれる。
「はい、ツバサです。その、また会いに来ました」
「んふふ、嬉しいな。もう会えないかと思っていた」
きっと人間で言うのなら、老齢と言えるだろう彼女は未だに当時を思い起こさせるほど若々しい。
「遅くなって、すみません」
「んーまあ、生きている間に来てくれたから許してあげよう」
「ふふ、ありがとうございます」
私たちは笑い合う。
「ここにずっといるので、今度ご飯行きましょう」
今度は私から誘うのだ。
「もちろん!というか、もう今日行こう、これから行こう」
先輩は嬉しそうに笑って、ぐいぐいと私の腕を引っ張っていく。
細くなった手を離さないようにぎゅっと握る。
以前は近い視線が、少し下がる。
(人間はあっという間に死んじゃうんだな)
前から知っていたことだ。
もしかしたら、もう死んでいるかもしれない、と。
人間は脆く、弱く、あっという間にいなくなるから。
もう、何人かとは再会できないままだった。
(だから、先輩が生きていてくれて、変わらないでいてくれて、嬉しい)
「先輩、変わってないですね」
「どこが~~~???しわしわだし、シミもいっぱいあるし、腰は曲がって痛いし、ぜい肉ばっかりだし」
「優しいところ、変わってないです」
ぴたりと、先輩は動きを止めた。
「先輩?」
「……………ほんとうに?」
弱々しく零す彼女に、私は握っていた手を包み込んだ。
「先輩に嘘なんかつきません。隠していたことはありますけれど、嘘は言っていない、つもりです。それに、もう隠す必要もないですから」
「そう、そうね。ツバサは、こうして約束を守って、くれたから……」
涙を零す先輩に、私は微笑む。
「たくさん、話を聞きます。聞いてもらったらスッキリしますもんね。それで先輩が楽に成れるのなら愚痴でもなんでもオッケーですよ」
「ふふ、うん。いっぱい聞いてもらおうかな」
「はい、いくらでも」
「ツバサの話も聞かせてね」
「はい」
私たちは笑い合って、あたたかな町の中を一緒に歩いた。
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