たぶん私は悪役令嬢~シナリオは知らないので、恋はご自分で頑張ってください~

紅空 紅玉

第1話

転生した、と気付いたのは物心ついた4歳のときだった。

前世の記憶の膨大な記憶は幼子の体には負担だったらしく、誕生日だったというのに、バッタリと倒れてそのまま熱を出して寝込んだ。

「うわ、かわい……これは美人になるのでは………?」

熱が下がってからまずは、鏡を見て冷静に考える。

リア・ドゥ・ルーン。

それが今の私の名だ。

そして、公爵令嬢という立場。

とても目立つ燃えるような紅髪。

きつく見えそうな釣り目がちな蜂蜜色の瞳。

末っ子で初めての女の子ということも相まって、甘い両親と兄たち。

総合的に見て、これは悪役令嬢だろうか?

とはいえ、私は転生系のラノベや漫画は嗜んでも、乙女ゲームはほとんどやったことがない。

どちらにしろ、前世の記憶があるという時点で、乙女ゲーム自体よりは転生系の方を参考にするべきだろう。

断罪回避のために動くか、断罪後のスローライフを望むか。

いや、ここはどちらにも備えて動くべきか。

そもそもこの世界は乙女ゲームなのか?という疑問は残るが………。

たとえここが乙女ゲームの世界だとしても、それ以外の小説を舞台にしていたとしても、私が先回りで防げることなど無い。

ここは私にとって知らない世界なのだから。

それならば、まだ婚約者はいないのだから、婚約しないという手もある。

もちろん王族から命じられたら受け入れるしかないだろうが。

ひとまずは婚約しない方向で動いてみよう。

兄が2人いるので公爵の後継者は難しい。

2人とも死なないと私が後継に繰り上がることはなく、そもそもあんなに優しい兄たちの死を望むわけない。押し退けてまでなりたいとも思わないし。

あとは何か功績を上げるか。

となると、何か事業か。こういう世界でできる事業って何……?そもそも、自分にできるの……?

前世は普通のOLだった。知識もクソもないし、あまり目をつけられるのも良くないだろう。

それで王子の婚約者にされても嫌だ。

最近(前世で覚えている限りの最近だが)では、面倒くさいから何もしない、自分の思うままに過ごす、という選択もあるらしいが………。

(何もしないはしないで、ちょっと不安………)

それに、小さくとも何か自分の収入源があれば、断罪されたとしても生きていくことは可能だ。処刑までされないなら、だが。

まあ、ヒロインを虐めたりしなければ大丈夫か?ヒロインに限らず誰かをいじめる予定などないが。

ただ、濡れ衣を着せられる可能性もあるので、気を付ける必要はあるだろう。余程酷くなければ大丈夫だろうか?

過激なものだと毒を盛っただの暗殺者を雇って襲わせただのの濡れ衣を着せられた場合は処刑待ったなしだからな。

楽観視は危険だ、気をつけようと鏡の中の自分に頷いたところで、部屋の扉がノックされる。

「失礼いたします、お嬢様」

メイドらしい女性が入ってきて、ドレッサーの前にいた私に驚く。

「お嬢様!起きて大丈夫なのですか?まだ寝ていないと……!」

「だいじょうぶ」

まだ舌足らずな声だが、4歳児などこんなものかと諦めつつ、心配に駆け寄ってくるメイドにニコッと笑ってみせる。

悪役顔だとしても愛嬌は大事だ。

笑顔を見て、メイド―――正確には侍女か―――は安堵の息を吐く。

それから、侍女のサラにベッドへ再び戻され、すぐに家族が見舞いに来てくれた。

良かった良かったと安堵するさまに余程不安にさせてしまったんだなと少しだけ申し訳なくなる。

「おとーさま、おかーさま、おにーさま、ありがとう」

嬉しかったのでそのまま伝える。

お母様にぎゅっと抱きつけば、お母様も抱きしめてくれた。お父様とお兄様たちはその私の頭を優しく撫でる。

幸せだなと思いながら目を閉じたら、まだ本調子ではなかったようでそのまますやっと寝てしまった。

まだ4歳児だからかもしれないが。

それからすぐに元気になった私はこの世界の価値観に慣れなくては、と家族や使用人達の様子をよく観察した。

よくある中世風の異世界で問題なさそうだった。マナーなどはこれから学ばせてもらえるだろうからいいとして、この世界の特徴はもう一つあった。

魔法だ。

基本的に貴族たちは魔法が使えるとのこと。稀に平民の中にも魔法が使える人が現れるそうだが、その場合は王立魔法学園に入学し、王宮で働く宮廷魔道士になることが可能になるそうだ。もちろん、結婚という手もある。ただ、結婚という手段を取るのは主に女性で、男性は宮廷魔道士となってから結婚するという感じらしい。もちろん貴族であっても試験さえ受かれば、宮廷魔導士にはなれる。ただ、貴族で宮廷魔導士になるのは主に次男三男など家督を継がないとか、婚約者がいない女性とかそのくらいなのだけれども。

なので、宮廷魔道士に女性はそこまで多くない。

宮廷魔導士団がいくつかあって、主には貴族のみで構成されている団、平民ばかりの団、貴族も平民も実力次第で入れる団など、ある種テンプレとも言える区分けがされている。

魔法より剣を扱う騎士団もあって、魔導士団と同じような感じらしい。ただ、こちらは魔法の使えない平民が割合として多いのだとか。

(宮廷魔道士、か………。かっこいいわね)

まあ、名称の響きや表向きの仕事の様子、といった限定的なものではあるが。

(まあ、実際はかなり大変でしょうけど)

仕事とはそういうものだ。

前世社会人だったので、よくわかる。

それでも目指してみるのはアリだと思った。

王立魔法学園に通うことはほぼ決定事項だろうし。

魔法があると知ってから、こっそり家の図書室で調べた。そして、夜中に部屋を抜け出して、屋敷敷地内にある小さな森で練習をした。

もしかしたら、この秘密の特訓はバレているかもしれないが、今のところ何も言われてはいない。

自画自賛になるかもしれないが、自分の能力は割と高い気がする。

これは悪役令嬢なだけではなく、裏ボスなんかの役割もあるのかもしれない。

下手な宮廷魔道士より強くなっている可能性もあって、学園に通うときにはどうにかチカラを抑えた方がいいだろう。

目立ちすぎるのは良くない。

身を守るためとはいえ、程々にしなくては。

チカラを抑える魔導具なんかもあるだろう。

そう思って、街に買い物に行きたいと両親に強請って、何度か街に降りた。

最初は両親と一緒だったので、ドレスやアクセサリー、本など程々に買ってもらった。

あまり買いすぎてもイメージに悪影響を与えるだろうし。

何度か無難な買い物を繰り返して、ようやく私専属侍女となったサラと護衛を連れてなら街に出られるようになった。

その頃私は8歳になっていた。

王立魔法学園への入学は15歳からの3年間だ。ちなみに屋敷からも通えるが、寮生活もできるらしい。

可能であれば、寮生活をしてみたい。

親元を離れることで、断罪を阻止するに当たって動きやすくなるはずだ。

あと7年の間に、チカラを隠す、もしくは抑えるための魔導具を探し、より力をつける。

マナーを学び、知識なんかはいくらあっても足りないくらいなのだからできる限り身に着けたい。

あとは人脈作り。

味方は多いほうがいい。

近くで助けてくれる人、そして遠くにいることで悪影響を受けず味方になってくれる人が必要だ。

まずは近くからやってみよう。


* * *


「サラ」

「はい、どうなさいましたか?」

とはいえ、前世の記憶があっても乙女ゲーム等この世界の元となる話は知らないので地道に作るしかない。

「出かけるわ、用意してちょうだい」

「かしこまりました」

まずは、サラを確実に味方につける。

サラと街に繰り出して、私は魔導具屋に入る。

ここ最近はこういうお店に入るようにしている。

最初はたまたま目に止まった風を装って(本当は前から目をつけていた)、面白そうと入ったのだ。その後はショーウィンドウのものにたまたま目をつけた風を装って、あれが気になるわ!などと言ってちょっと強引に店の中に入る。

魔導具はそこそこ高価だが、基本見て終わるだけなので、入る前はやや抵抗されるがそれ以上は何も言われない。

目当てのものがないのもあるが、前世にはなかったものなので目移りしてしまうのもある。

そして、この日ついに私は目当てのものを発見した。

「あった……!」

思わず声が漏れる。

「お嬢様、これが欲しいのですか?」

サラが困惑気味に問いかける。

それもそうだろう、私が手に取ったのは魔力を封じる物。

それは首輪の形をしており、無駄にごつくて少々野暮ったい。

膨大過ぎて魔力コントロールが効かない幼子や、信じられないことだが奴隷に着けられる。

この世界に奴隷が存在することにはとても驚いた。そして、恐怖した。

とはいえ、それは犯罪をした者がなり、生涯国のために働かされるというもの。

犯罪奴隷というやつだ。この国ではそれしか種類がないからただ奴隷と言われているけれど。

「お嬢様には必要ないのでは……?」

「そうね。完全に封じるものは要らないわ」

私はニコッとサラに笑いかける。

「と言いますと………?」

「これを参考にするのよ」

そう、散々探してみたが、やはり幼子や奴隷向け、ということで身につけるにはちょっと目立つし、邪魔だ。

術式がお粗末なものもある。

「ようやくちょうどいい術式が込められているものが見つかったわ」

「それを一体何に使うのです?」

会計をする間、サラが不安そうに聞いてくる。

「もちろん、自分に使うのよ」

他人に使うわけがない。

安心させるように微笑みながら、私はサラに問いかける。

「ところでサラ、何か最近困っていない?」

ほとんど確信を持って問いかける。

サラは驚いたように目を見開いて、すぐ困惑に眉尻を下げる。

「ええ……。ですが、お嬢様の手を煩わせるわけには……」

「あら。大事な侍女の困りごとなんて大したことないわ」

私は不敵に笑う。

サラはそれでもしばらく迷って、ようやく口を開く。

「実は……」

サラの困りごとは、予想通り難題ではなかった。

前世ではそう困らないだろう話だ。


* * *


サラが言うには、彼女の母親が病気で寝込んでいるとのこと。

病気と言っても単なる風邪であることがほとんどらしい。元々体は強くないため、季節の変わり目ですぐ寝込むらしい。

しかし、今回はかなり長引いていて心配なのだとか。

この世界の治療費は決して高くない。

サラは給金のほとんどを仕送りしているようだが、まああっという間に消えるだろう。

この世界の医者は高い。馬鹿みたいに高い。

「そう。じゃあ、あなたの家に案内しなさい」

私は不遜に命じる。

サラは吃驚して、ものすごい勢いで首を横に振る。

「い、いいえ!!あのような場所にお嬢様を連れていくわけには……!!!」

「あら、庶民の生活を知ることも大事なことよ?」

「で、ですが……!!」

なおも言い募るサラをどんどん論破し、ようやく彼女は諦めて渋々実家へと私を案内した。

もうサラの頭から魔道具のことはすっかり抜け落ちただろう。

もちろん、それだけが目当てではないが。

「ほ、本当に母に会われるのですか……?」

「しつこいわよ。そもそも会わなきゃ診れないじゃない」

「診るって……」

困惑と呆れをその表情に浮かべて、サラは渋々ドアを開ける。

「こんにちは!」

明るく無邪気に挨拶して、サラの母親を見る。

「こ、こんにちは……?」

突然入ってきた貴族の娘に、サラの母親は驚きのあまり固まってしまっている。

まあ、無理もない。

「お母さん……」

サラが慌てて駆け寄って、小声で説明している。

私は落ち着くのを待ちながら、じっと彼女の母親―――サリーを観察していた。

今日はまだ体調が良い方なのか、顔色は悪くない。

けれど、頬はこけ、袖からのぞく腕は細く、少し力を入れただけで折れてしまいそうだ。

(まず、栄養が足りていない。薬も医者にかかるのもこの世界じゃ馬鹿にならないほど金がかかるし、施しとしてサリーを助けることはできるだろうけど……)

結局、自己満足の域を出ない。

(まあ、8歳の小娘じゃそれが限界か)

考えを巡らせている間に、サラの説明を聞き終えて落ち着いたらしいサリーがこちらを見る。

「あの、お嬢様。私を診ていただけると聞きましたが、その……」

「気にしないで。ただの自己満足だもの。今はまだ、ね?」

遠慮しようとする彼女を先回りで封じる。

「まずは栄養を摂れば少しはマシになるでしょう。医者にかかるまえにそれで対策をしましょう。中にはヤブ医者もいるでしょうし」

治癒魔法を展開しながら、アドバイスする。

これも魔法を調べているうちに覚えた。

この世界には治療魔法と治癒魔法の2種類があり、怪我を直すのが治療魔法、病気を治すのが治癒魔法だ。

まあ、残念ながら万能ではないので、軽傷か風邪くらいにしか完治させられない。それ以外は応急手当として使うか、症状を軽くするくらいだ。

そもそも平民は魔法を使える者が少ないので、薬が主だ。ただ、それがべらぼうに高い。

「風邪くらいなら、私が治します。サリーはしっかりご飯を食べて、軽く運動をすること。そうね、最初は家の中を歩き回るとか、近所を散歩するとかからかな。無理は禁物だけど」

少し血色の良くなったサリーの顔を覗き込み、私は満足して離れる。

「でも……」

そのくらいで治るのか、と不安なのだろう。サリーは眉尻を下げて、サラを見る。

「病は気からってね。そうやって思い込んで沈んでばっかりいると治るものも治らないわ」

私はそう言って、締め切られていたカーテンを開ける。

「せめて陽の光は浴びないと。こんな薄暗い部屋にいるから気が滅入るのよ」

きっと気鬱もある気がするのだ。まあ、私は医者じゃないので、そこまではっきりとは言えないけれど。

陽の光が差した部屋の中を見渡す。

掃除は行き届いているようで、清潔だ。

「この部屋は誰が掃除しているの?」

気になって聞いてみる。

「ああ、近所に住んでいるトムがやってくれているみたいで……」

「ふぅん。これからもお願いできそうかしら?」

「ええ、彼は優しいので、きっと大丈夫だと思います」

トム。トムってことは男よね。

下心もなく親切にするなんて、もしかして……?

なーんて邪推しては見るけれど、会ったこともない人のことをあれこれ考えても仕方ない。

(今日会えたら一番良いのだけど)

さすがに毎日のようにここに顔を出すわけにはいかない。

「なら、この部屋は引き続き清潔に保ってもらうようお願いしましょう。タダでっていうのは申し訳ないから、きちんと雇用するべきかしら?」

ブツブツと呟きながら、今後のサリーの食事や運動、トムに依頼する掃除について思案する。

「お嬢様。有難いですが、そこまでしていただかなくても……」

「もう、サラってば。自己満足だって言ったでしょう?」

恐縮しきったサラに、私はやはり不敵に笑うのだ。


* * *


ひとまず、献立を考えて、そのレシピをサリーに渡す。

「ちなみに料理はいつも誰がしてくれているの?」

寝たきりのサリーには到底できそうにない。

「それもトムが……」

「トム、何でもしてくれるのね。ただの手伝いなの?」

「ええ、昔馴染みで……」

サラの目が泳ぎ、頬がわずかに朱に染まる。

(なるほど……トム、脈ありみたいよ……!!)

まだ見ぬトムに思わず心の中で告げる。

応援するとはまだ言えないが、まともな人のようならやぶさかではない。

(ま、サラが選んだ人ならきっと大丈夫よね)

「ふむ、じゃあやっぱりトムを雇用するべきかしら」

「ですが、お嬢様。トムは親切で……」

「親切だけじゃお腹は膨れないでしょう?」

ピシャリとサラの言葉をはねつける。

「トムが今まで親切でやってくれたのは分かるわ。でも、親切であるが故に限界もあるでしょう。人が生きるにはお金がかかるもの」

そして、トムにも生活があり、家族がいる。

もしもトムがサラのことを好きだとして、彼女に良く思われたいからと彼女の母親の世話を焼く。別に不思議でもなんでもない。だが、報われなければ、彼の心が死ぬだけだ。

もちろんサラも彼のことを憎からず思っているから、いつかは報われるだろう。けれど、それはいつ?って話だ。

だから、親切だけじゃなくしてしまうのだ。雇用という形で。

「サリーは健康になって、サラも安心できる。彼は簡単なお小遣い稼ぎができる。私もサラが安心して仕事をしてくれるなら、ありがたいしね」

まあ、私の得は絶対的な味方ができる、という点なんだけれども。

もちろん言ったことも嘘ではない。

「よろしいのでしょうか……」

「もう!良いって言っているじゃない!」

子供っぽく告げると、サラは困ったように眉尻を下げる。

「ですが……」

「何が不満なの?」

口を尖らせて、サラを問い詰める。

「不満というわけでは……!!」

サラは慌てて首を横に振る。

「じゃあ、いいでしょ。あとはトムと話して、彼が決めることだわ」

聞くところによると、トムは3日に一度のペースで来ているらしい。

昨日来たばかりなので今日は来ないかも、とのことだ。

「なら、彼の家に行った方が早いわね」

また来ても良いのだが、あまり頻繁には出かけられない。

今はまだ、私の自己満足、我儘でしかないのだから。

「サラ、案内して」

「えっ、でも……」

「じゃあ、また彼が来る日に出直すわ」

「だ、ダメです……!!そんな頻繁に……!!」

もちろん私も貴族令嬢なので、家に家庭教師が来て、マナーや基礎知識を学んでいるので、そう頻繁に出かけられない。

「じゃあ、今日のうちに済ませないと」

ニコッとサラに笑いかける。

「ああもう……わかりました……」

結局サラが折れた。

サリーに挨拶をして、サラに案内されてトムの家に向かう。

「では、いきますよ……」

やや緊張した面持ちで、サラはこじんまりとした家の前でノックする。

前世の記憶がなかったら、こんな襤褸小屋に人が本当に住んでいるのか、と疑うほどだ。

いや、前世の記憶があってもこのボロボロ具合は心配になる。

「給与の代わりに修繕を入れるべきかしら……」

これでは嵐でも来た際にはあっという間に崩れそうだ。

「サラの家は結構しっかりしていたわよね?」

一方で、先ほど行ったサラの実家は小さくはあったもののまだ新しいように見えた。

「それは、トムのご両親が母に気遣って新しく建て直してくれたんです」

「まあ、自分たちの家を後回しにして?」

どうやら、トムだけではなく、彼の家族も相当なお人好しらしい。

「はい、どなたで―――」

問いかけながらも不用心に扉が開けられた。

扉を開けた青年は、目の前のサラに言葉を切った。

「こ、こんにちは、トム。突然ごめんなさい。あの……」

思っていたより近い距離だったのか、サラが少し口籠る。

「あ、ああ……」

青年、トムもまた困惑しながらも、とりあえず中へ、と私たち―――というより、私に気付いていないのかサラだけを促す。

「ごきげんよう」

面白くなかったので、苛立ちを隠さないまま声をかける。

すると、トムはぎょっとして私を見た。

「え!?」

「お嬢様も一緒にいいかしら?」

私の声に少し我に返ったらしく、サラは問いかける。

「お嬢様!?サラが仕えている……!?え、でもなんでこんなところに……!?」

彼は少しパニックに陥っているようだ。

「ちゃんと説明するから、中に入れてもらっていいかしら?」

ため息を吐いて、問答無用とばかりに告げる。

「ですが……」

「何を気にしているの?」

いい加減イライラしてきた。

サラもサリーも、トムも遠慮がひどい。最早卑屈とも言える。

「そこまで卑屈に言われると、逆にバカにされているのかと思うのだけど」

じろりと睨み上げれば、さすがにトムは頷いて、慌てて私たちを中へ入れた。

「本当にお人好しなのね」

家の中を眺めてぽつりと零す。

「え……?」

「さっきサラの家に行って、サリーに会ってきたの。体が弱い彼女に気遣って、家を建て直し、生活の面倒も見ている。見返りもなしにできることじゃないわ。しかも、この様子だと自分たちのことは後回し気味でしょう?」

居間らしき場所に案内されながら、そう言うとトムは困ったように私を見た。

「そ、そうなの、トム……?」

サラに知られたくなかったのだろう。

トムの目が泳ぐ。

「サラはもう少し考えたほうがいいわ」

昔馴染みで親しいとはいえ、家のリフォームなんて早々できることではない。

お金も馬鹿にならないし、明らかに自分たち生活を切り詰めているのだろう。

少し考えれば、分かることだ。

「はい、お嬢様……」

サラが申し訳なさそうに俯く。

「サラを責めないでください。俺たちが勝手にやったことで……」

「大人なのだから、それくらいは考えて気付くべきでしょ」

トムが慌ててフォローするが、それは逆効果だ。

「私はあなたにも怒っているわ」

鋭く睨めば、トムはたじろぐ。

「施すなら、自分の生活をきっちり安定させなさいな。犠牲の上で成り立っていると知って、サラが喜ぶとでも?余計に気にするに決まっているじゃない。それとも、私の大事なサラはそれを喜ぶ悪女だとでも?」

「いいえ!!」

即答に少しだけ満足する。

「そうでしょう?むしろここまでされて、実は自分の身を削っています、なんて知ったら申し訳なさすぎて気に病むに決まっているじゃない」

あなたのしたことは正解ではない、と突きつける。

「自分の生活を確立させなさい。安定させなさい。その上で施しをしなさい」

「施しって……」

「あなたがしているのはそういう自己満足の、誰も幸せにしない自己犠牲よ」

ぴしゃりと言えば、トムは黙りこくった。

「じゃあ、私の用事を言うわ。どうするかは自分で決めなさい。これは私の自己満足だから」

前置きをして、彼を真っ直ぐに見る。

「あなたを雇用します。サリーの世話係として」

きっぱりと告げた私に、彼は驚いて目を見開く。

「家を建て直し、サリーの世話として、掃除に食事の用意。その働きはとても良いものだったわ」

清潔に保たれた部屋。

およそ3日分の食事。

そして、建て直された家。

「雇用って……」

「私があなたを雇うってこと。やることは基本今まで通りで構わないけれど、食事は少し工夫してほしいの。それから、サリーは運動したほうがいいからその付き添いね」

唖然としているトムに構わず私は言葉を続ける。

「十分に生活できるだけの給金を与えます。贅沢しなければ家を建て直すのも難しくないわ。食材やサリーの世話に必要なものは経費として私が用意するわ。どうかしら?」

「どう、って……」

彼の言わんとすることは分かる。

破格の対応だ。

何か裏があるのでは、と疑いたくなるのも分かる。

「言ったでしょう?これは私の自己満足なの。私は自己犠牲なんてしなくてもいいくらいにはお金を持っていて、自分の生活を切り詰める必要もない。だから、施しを与えられる。でも、ただ施しを与えるんじゃ損をするだけ」

そんな彼を見据えたまま、私は不敵に笑う。

「だから、雇用という契約を結びましょう、と言っているのよ。あなたも今、働いてはいるのでしょう?けれど、3日に一度はサリーの様子を見れるくらいには時間に余裕がある。なら、ただの親切での手伝いから、ちょっとした小遣い稼ぎだとでも思えば」

「小遣い稼ぎだなんて!!」

「あら、現状のままだと共倒れよ?」

憤る彼を、冷静に切り捨てる。

「今のところはサラの給料である程度なんとかなっていたのでしょうけど、それにも限界があるし、もし万が一、サリーが重い病気にかかったら?サラが何かの拍子に怪我でもして働けなくなったら?あっという間に潰れるわよ」

「それは……でも……」

「そのとき私はサラしか助けないわ」

「そんな……!!」

サラが思わず声を上げた。

「サラ、あなたは私にとって大事な使用人だけれど、トムは完全に赤の他人よ。サラのお母さまのサリーは助けてもいいけれど、それだってあなたが私にお願いすれば、の話」

実際、今日私が強行したのは気まぐれに近い。

サラが悩んでいるようだとなんとなく察したから動いただけ。

別に放っておいても私には関係ないことだ。

「サラ、私はまだ子供だけれど、貴族として、あなたの主人として、手を差し伸べることくらいはできるのよ」

けれど、何も言われなければ、私は何もできない。

「あなたたち、いいこと?私は、自分の身内は大事にするけれど、赤の他人の面倒までは見ないわ。私は聖人じゃないもの。それに助けを求められない限り、できることはない」

きっぱりと告げて、二人を見る。

「今回は気まぐれで強行に出たけど、拒むならこれ以上私が手を貸すことはないわ。今日は突然だったし、雇用するにも契約書の準備があるから今すぐに答えを出せとは言わない」

まずは実際にこの目で見て、情報を集める必要がある。

今日は引き下がるが、次会うときにまで答えが聞けなければ、私はもう放置するつもりだ。

万が一の時のために私は絶対的な味方が欲しい。

けれど、時間は有限。

彼らにこだわる理由はない。

そもそも平民の彼らに貴族社会でできることはない。

彼らは断罪された場合、その後の保険だ。

物語では断罪後の悪役令嬢なんて修道院行きとか国外追放とか色々あるが、余程ひどくなければ勘当とかで平民落ちが精々だろう。

そうなったときのための保険、その第一歩だ。

「よく考えてね」

ニコリと笑って、席を立つ。

「それじゃあ、今日のところは帰るわ。突然押しかけて悪かったわね。良い返事を期待しているわ」

ひらひら、と手を振って、半ば呆然としているサラを連れて、私たちは屋敷に戻った。

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