湖の主
「――――ッ!」
支柱が壊れたのか、屹立するように崩れていく足場。まるで封鎖される寸前の橋みたいで、咄嗟にブレーキへと足を移動させた。
「停まらずそのまま走れ!」
急ブレーキをかけようとした私をリンドの声が押しとどめる。その一瞬の遅れのせいで、完全に間に合わない位置まで車が前進してしまった。
前を走る馬たちが跳躍し、崩れ始める足場へ飛び移る。
それを見て、私も覚悟を決めてアクセルを踏み込んだ。
加速のGがほんのり私の体を座席に押し付けた直後、数舜感じる嫌な浮遊感。その感覚にゾッとした瞬間、強烈な衝撃が襲い掛かる。
ガコッ、バコッ! と車に乗っていたら一番耳にしたくない音が響き渡る。
けれど、叫び声を上げる余裕すらなく、私は暴れそうになるハンドルを抑えつけながら進行方向を真っすぐに固定する。
一息吐く間もなく絶壁が迫り、タイヤが宙を駆けた。
「――ゎぁぁぁあああああ!!!」
恐怖と後悔をしっかりと感じられるほどに長い浮遊感に自然と私の口からは叫び声が上がる。
そして迫りくる石橋に、心臓がキュッと縮こまって──。
ズゴンッ! という嫌な音と共にお尻から脳天へ今まで感じたことのないような凄まじい衝撃が突き抜けた。
あまりの衝撃に気を失うかと思ったのも束の間、ハンドルが暴れるのを感じて慌てて意識を取り戻し、橋の柵へ突撃しに行く車の進行を無理やり整える。
軽自動車を運転していたら早々味わうことのないだろう、タイヤが滑る感覚を覚えながらも、尚も暴れようとするハンドルを必死に御しながら、これ以上車体は傷つけまいと必死になる。
なんとか軌道修正に成功したものの、安心している暇なんて与えてもらえるはずもなく、後ろから魔物の咆哮が迫って来ていた。
「ひ、ひぁぁぁぁ! もう勘弁してぇぇぇぇ!」
次から次へと繰り出されるアクション要素に、私の心臓はすでに限界ギリギリだった。もうバックミラーを見る余裕すらなく、ひたすら前を走る馬のお尻を追いかけることしかできない。
そんな私の視界にリンドが躍り出てい来る。
今度はなに!?
泣きそうになる私を足蹴にするように、リンドは狭いスペーシアのボンネットを器用に踏み台にして車の屋根へと駆け上がると、そのまま後方へと跳躍する。
そこでようやく、バックミラーを確認することができた。
狭い鏡面の中で、ガブトースが追従していた騎士2人に襲いかかっている。馬ごと呑み込んでしまいそうなほどに大きな口の前へリンドが飛び出すと、剣を横に振るった。
剣筋に沿うようにバチバチッ、と空気の弾ける音と閃光が瞬き、ガブトースの悲痛な絶叫がこだまする。
ガブトースは大きく仰け反り、食べられそうになっていた騎士2人は救われた。けれど、片方の馬が着地に失敗し、転倒してしまう。
乗馬していた騎士は上手に受け身を取って即座に体勢を立て直したものの、ガブトースもすでに攻勢へと転じているみたいで、大口を開けてリンドたちへ向ける。
そのタイミングで私たちは陸地へと辿り着いた。思わず停車し、振り返る。
あれはきっと橋を破壊したウォーターカッター……いや、もはやビームだったけど、を放つ前兆だとなんとなく察せられた。
私でもわかることがリンドたちに分からないはずもなく、無事な馬を乗り捨ててもう1人の騎士もリンドたちの元へ合流すると、3人は固まって剣を前に突き出した。
ガブトースがウォータービームを、騎士たちが電撃の魔法を同時に放つ。
攻撃同士がぶつかり合って、火花のように水と電撃が辺りに弾けた。
中空で瞬く攻防は、不謹慎ながらに綺麗な花火のようだと思ってしまうくらいには、私の瞳には輝かしいモノに映ってしまっていた。
しばらく見惚れているとガブトース側が押され始め、電撃はガブトースへ達した途端に全身を駆け抜けて巨体から黒い煙を吐き出させた。
ぐらり、とガブトースが後ろへと倒れ始めるのに対して、騎士側も動きがあった。
2人が腕を組んでしゃがみ込むと、リンドが騎士たちの腕の上に足を乗せる。と、足場の騎士たちが勢いよく立ち上がってリンドを持ち上げ、その力を利用してリンドが大きく飛び上がった。
倒れるガブトースを追いかけるようにリンドは迫り、首元へと接近すると電撃を纏った剣を横に一閃させた。
スパッ、とまるで大根でも切るみたいにガブトースの首が切断されて、今回の戦いが騎士たちの勝利であると決定した。
私はその一連の流れを目の当たりにして、ただただ茫然とリンドがガブトースの頭部と共に湖へと落ちて行く様子を見ていることしかできなかった。
「いやぁ、とんだ災難だったなー」
激戦を終えたリンドが飄々としながら陸に上がって来る。
重装備でここまで泳いでくるのにも驚きだったのに、なんと彼は1人でガブトースの亡骸と頭部を引っ張って泳いできたのだ。
そんな彼を当然のように迎える騎士たち。どれだけ人間離れしているのだろうか、こっちの世界の住人は……。
車から降りて浅瀬に打ち上げられたガブトースを近場で観察してみる。見れば見るほど圧巻させられた。
頭部だけでも車と同じくらいあるのに、身体に至っては大型トラックよりもさらに大きそうだった。
「わぁ、ボク、こんなに大きな魔物なんて初めて見ました」
「こんなの、早々に見られてたまるかって感じなんだけど……」
隣でルルーベルが感嘆の声を上げる。怖がる様子もなく、その瞳はどこかキラキラと輝いていた。
やっぱり男の子だからこういうのが好きなのかな。
「おっ、起きたんですね。ルルーベルさん」
まじまじと魔物を眺める私たちの元へルーダンが近づいてくる。ルルーベルが軽く挨拶するのを横目に、私は彼に問いかけた。
「これ、どうするんですか? もしかして、このままここに?」
「いえ、流石に放置はマズいんで1人街に戻して回収する人員を呼んできてもらいます。あと、素材をいくつかフェルシアに持って行こうかと。魔物は良い魔道具になりますので」
「魔道具って魔物から出来てるんだ……」
ということは、私の車も何かの魔物だと思われてる? 正面から見たら顔っぽいし、その可能性は高そうだな。
「それから、せっかくですし肉もちょうだいしましょうか。道中の食材が潤ったのは僥倖でしたね」
ははは、と嬉しそうに笑うリンド。
「これだけ大きければ1週間は余裕で持ちそうですよねぇ……って、これ食べられるんですか!?」
あまりに平然と言う物だから危うく流されそうになったけど、結構なトンデモ発言だ。
「もちろん! 意外と旨いですよ」
私の驚愕に気づいているのか、知らぬふりをしているのか、リンドはニッコリと笑って言ってのけた。
それから、ガブトースの解体作業が開始される。
騎士の1人は街へ報告に戻り、残った4人でせっせと鱗を取ったり肉を切り分けたり、身体の中へ侵入して内臓を取り出したりしていた。
じっくり見ていたら気分が悪くなりそうだったので、私は早々に離脱して車体の確認作業をすることにする。
あれだけ乱暴な走り方をしたんだ。それなりの傷は覚悟しないと……。
まずは正面、フロントバンパーに凹みあり。
ボンネットにも、軽く傷がついていた。これはたぶん、リンドに踏みつけられた時のモノだろうな。
これなら屋根も傷ついてそうだけど、私の背丈じゃ確認できないから見ないでおくことにした。
タイヤは、問題なし。ストックなんて持って来てるわけもないからパンクとかしてなくて本当によかった。
そのほかには目立った外傷はなさそう。
念のため軽く下に潜ったり、ボンネットを開けてエンジンを確認したりしてみたけど……私には問題ないのかよくわからなかった。
少なくともオイル漏れみたいな、目に見えてヤバそうな事態にはなってなさそう、ということくらいしか判断がつかない。
一応、エンジンをかけて警告灯が点かないかの確認もしたけど、いつも通り、正常に作動しているみたいだ。
あれだけの騒動でこの程度の傷で済んだのは奇跡に近いんだろうけど、凹んだのはかなりショックだった。
日本に帰る頃にはどれだけボロボロになってるだろう、と考えると嫌でも気落ちしてしまう。
というか、無事に帰れるんだろうか……。
「ヤカタさん! すみませんが、火を起こしておいてもらえますか!」
「あ、はーい!」
解体作業をしているリンドから指示を受けて、私は沈んでいた気持ちを浮上させて焚き火の用意を始めた。
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