第9話・幽霊退治その3
しばらくの間、自分たちはジューダスの案内で、幽霊を呼び出した犯人の本拠を目指して歩き続けていた。途中、何度か幽霊と遭遇したが、それ以上の危険もなく、順調に進んでいった。
「…あれは」
木々が立ち並ぶ薄暗い森から一転して、今度は開けた空き地のような場所に辿り着く。天井を覆う鬱蒼とした木の葉もなく、ぼうっと空に浮かぶ月も見える。
とはいえ、そのとき目を引いたのはそんなことではない。空き地の中央、短い草木が生い茂る地面に、人が倒れているのが見えた。ジューダスと同じような修道服を身にまとっているところから、話に聞いていた彼の部下だろう。
「―――!」
すぐさま、歩み寄ろうとする。そのとき、
「待て。…こんな場所に放置されている意味を少しは考えろ。こんなあからさまな罠にかかる阿呆がどこにいる?」
そう言って、ジューダスが制止してくる。ならばどうするのかと聞けば。
「心苦しいことこの上ないが、今は後回しだ。大本を制圧するのが優先だろう」
迷うこともなく、ただ冷静にそう言い放った。
彼がそう言うのは、非情であるからではなく、ただ正しい選択をするためだろうということは理解できる。けれど、
「…意見を申し上げさせてください」
「駄目だ、却下する」
無視して続けた。
「この森にこれ以上放置し続けることは危険です。どこか負傷をしているのだとすれば、直ちに治療をしなければ…!」
「だから、それが罠だと言っているのだ。他人の心配をしている暇があるのなら、まず自分のことを気にしろ」
「だけど……!」
そうか、と返される。
「ならば、お前ひとりで行ってくるがいい」
突き放すように、そう言われる。眼には無感情があるけれど、その口は愉快そうに歪んでいた。やれるものならやってみろと、そう挑発するかのように。
「………」
ジューダスから目を離し、空き地のほうへと目を向ける。気後れすることはない。彼がそう言わずとも、はじめからそのつもりだったのだから。何が起きるか分からない未知の状況ならば、自分が行くのが最も適している。
一歩、二歩と進んでいく。
これが罠であろうが何だろうが関係ない。今目の前で助けられる人を助けることが、今の己がすべきことだ。
そう、意気込んでいた。だが予想に反して―いや、そうであることに越したことはないのだが―罠は存在しなかった。何も起こることがないまま、倒れる彼らに跪き、外傷の有無を精査する。穏やかに胸が上下しているところから見て、ただ気を失っているだけのようだった。
一人だけ、修道服が血でにじんでいる男性がいる。肩と腕のあいだ、破れた服の隙間から裂傷がみえる。血が固まって傷は塞がっているようだったが、せめて表面だけでも元通りにしておこうと、治癒の術を唱える。
「…おい。お前は、分かっていたのか?ここには罠なんて仕掛けられていないと。それとも、彼女がお前に教えたのか…?そうでなければ、こんな命知らずなことできるわけがない…!」
背後から聞こえるその声は、不満そうに震えていた。納得いかないというように。
「い、言っておくぞ、隷属民。私は、お前がどうなろうが知ったことではない。お前が私と行動できるのは、アルネラ殿の存在があるからだ。お前自身には何の期待もしていない。だが、今回のように、我々の足を引っ張るのなら――」
延々と、彼の言葉が続く。倒れた人たちの治療をしながら、何となくそれに耳を傾けていた。
矛盾しているような人だ。大本を叩くのが優先と言っておきながら、今はそんなことを話すのに時間を費やしている。
「おい、聞いているのか…!お前は今、私の命令を無視したのだぞ!これ以上足を引っ張るようならば、お前が同行することは許可しない!」
それを聞いて、そうか、と理解する。ならば都合が良いな、とも思った。治療の手を止め、立ち上がり彼のほうを向く。
「では、僕は治療のためにここに残ります。僕では戦闘の役には立てないでしょうから、そちらはお任せしますね」
そう言うと、彼は一瞬だけ呆気に取られたような表情を見せるが、すぐさま嘲笑するような顔に戻る。勝手にしろと言うかのように、こちらに背を向けようとして、
「なら、私もここに残りましょうか」
すると、今まで一言も話さず見守るだけだったアルネラさんが、そんなことを言い出した。
「あ、アルネラさん?それじゃあ意味がないですよ…!ここは僕一人で充分ですから、アルネラさんは彼に…」
「じゃあ、もしも幽霊が近づいてきたとき、あなた一人で守り切れるの?それに、この人間たちを助けたいと思うのなら、こんな所で籠城するのではなく、一刻も早く安全な場所に移動させてあげるべきじゃないかしら?」
あと、と彼女は付け加えて、
「あんな人間と、二人きりになんてさせないで」
そう呟くように言って、彼女は鋭い眼差しを向けた。
「そ、それは、どういう意味だ⁉」
慌てたように彼は振り返ると、自分とアルネラさんを交互に見比べる。じっと、必死そうに見つめたあと、我慢ならないように口を開いて、
「よもや、アルネラ殿までそんなことを言い出すなんて…!どうしてそのような隷属民に従う?そんな奴よりも、私のもとに来るべきだと普通に考えれば分かるだろう⁉俺ならば、貴女をもっとよく扱ってやれるのだぞ⁉」
そう叫ぶのを、彼女は少しも相手にしていないようだった。それどころか、見向きもしない。そんな様子が益々癇に障ったのか、ジューダスはさらに怒気を強める。
「事の重大さに気付いていないのか、貴様らは…!幽霊の出現を止めなければ、増え続けた奴らは、やがてこの森には収まらず、街のほうまで人間を襲いに行く!そうならないためにも、全ての元凶を潰す必要があるのだ!俺の言っていることは間違っているか?おい!」
血管が浮き出るほど、恐ろしい形相をする彼に、今までの冷静さは微塵も感じられない。彼は、その言葉の端々から凶暴性さえも滲ませて、必死に訴えかけてくる。
別に、彼の言うことは間違っているわけではない。その正しさは自分も理解できるものだ。ただ、自分が求める最善とは少し違ってしまっただけで。
「…ごめんなさい。でも僕は、今目の前にいる助けられる人を見捨てることはしたくないのです。だから、どうか」
協力してほしい。そう、言おうとした瞬間、
「……ない」
え?と思った。見れば、ジューダスは俯き、ぎりぎりと歯を食いしばりながら、何事かをぶつぶつと呟いている。
「……ゆるされ、ない…!そんなこと、許されるはずがないだろうが!俺は王国人だぞ⁉他の有象無象どもとは違う、選ばれし神官だ!……最初に言ったよなぁ…俺の言うことは、絶対服従だって……!」
彼の顔が上がる。その眼は、ぎらりと血走っていた。誰がどう見ても、凶行一歩手前の人間にしか見えないような、そんな怒りに満ちた形相が、自分に向けられる。
まずい、と直感した。
これは、やる気だ。だって、いま彼は、その腰にある直剣に手を掛けて――
『おい、人間』
音が響く。たったそれだけで、この場の空気がビリビリと震えた。
『――貴様。今、なにをしようとした?』
その声が、アルネラさんのものだと理解するのに数秒かかった。だってそれは、最初に出会った頃のような、恐ろしい怪物としてあったときのものだったからだ。
『―――――』
月光が模った彼女の影が、うねりをあげて膨れ上がる。
金色の毛並み、ゆらりと空に突き立った幾つもの尾、鋭い鉤爪、血に濡れたように赤く染まった眼。
その姿は、人型でありながら、とても人とは呼べない、全く違う“ナニカ”と化していた。
『もしや、と思うが。今その子に、剣を振り上げようとしたのか?貴様は』
その一言ずつが、周囲一帯を敵意の重圧で押しつぶす。幸いにも向けられているのは自分ではないが、ならば標的となっている彼は、いったいどうなるのか。
『言葉による侮辱は、まだ見過ごそう。その子はもう、そんなものを傷とすら思えなくなってしまったのだから。――だがな。その子に、それ以上苦痛を与えることは許さん』
ジューダスの顔は、もはや怒りではなく、全く違うもので塗り替えられていた。眼を見開き、全身は硬直し、ただ彼女のみを見つめる彫像となって、恐怖をその身に受け止めている。
「お、おまえは…異…属……⁉」
呼吸すらままならないのだろう。その声は、ところどころ途切れ、上ずってしまう。彼女はそれを、無慈悲に眺めていた。真っ赤な目で、冷酷に。
『立ち去れ、下郎。羽虫のように踏み潰してもよい命だが、見逃してやる。今でさえ、その子は貴様に敵意すら抱いていないのだから』
そう言い放つ。ずん、と激震が走った気がした。それに圧されるように、ジューダスは悲鳴を上げて、転がり落ちるようにその場を離れていった。
「………!」
立ち去る直前、彼は一瞬だけ振り向いて、自分のほうを向いた。何やら意味ありげにこちらを睨みつけたあと、すぐさま暗い森の奥に進んで見えなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます