第1話・肩代わり/行き詰まりの話

「…掛けまくも畏き、天にて御座します大御神よ。この者に禍事罪穢有れば、祓へ給ひ清め給へと願う事を、聞こし召せと恐み恐み申し上げん」

 祝詞を上げる。己を囲むように、淡く光が沸き上がるのを感じる。この言葉が捧げられる相手は、遠い極東の神。そこからすれば、ここは西の果てにあるような場所だけれども、このような遠い異国にも、神の威光は届くらしい。

 重要なのは心の底から祈ることだ。己は真っ当に神に仕えているわけではないが、心を尽くした願いならば、神はそれを聞いて下さる。

「………っ!」

 目の前で、不安そうに唇を噛みながら、ぎゅっと目をつぶる少女。今日の仕事は、彼女に掛けられた呪いを解くことだった。

「…失礼しますね」

 椅子に座る少女に跪くようにして、その細い脚に手を伸べる。ぐにゃり、とその筋肉を強く刺激するけれど、目をつぶったままの少女は、触れられたことにすら気付いていないようだった。

 その反応を見て得心する。この少女に掛かっているのは、身体障害系の呪いだ。より細かく言うと、膝から下の部分的な麻痺といったところか。この様子だと、感覚を得ることも、自分で動かすこともできないらしい。

 さらに集中を深めて、その呪いを精査する。

 そうして視えた。少女が脚から得る感覚、そして少女が脚に伝える「動かそうという意志」。その通り道を塞ぐ、吹き溜まりのようなもの。これこそが呪いの正体だろう。

 原因は分かった。ゆえに、祓うほうに意識を向けた。けれども。


 …これは、結構キツイかもなぁ。


 自分が未熟ということもある。自分程度の呪力だと、今ある最低限の儀式規模では解呪しきれないかもしれない。

「…治らない、の?」

 そんな弱気が顔に出たのだろうか。こちらを見る少女は、不安そうに呟いた。その眼は、雨に濡れたように潤んでいる。

「いいえ。必ず治してみせます」 

 今にも泣き出しそうな彼女を見て、ついそんなことを言ってしまった。

「ほ、本当?」

 とはいえ、そのおかげもあって、少女は変わってぱっと明るい表情を見せる。 

「私、治ったら、皆のために、たくさんお手伝いしたい。今まで、ずっと困らせてばかりだったから」

 後ろでは、少女の家族たちが、心配そうに彼女を見守っていた。

 優しい子だ。脚が治ってまずしたいことが、自分のためではなくて他人のためになることなのだから。

「………」

 は、と息を吐く。どうあれ、この子の呪いを何とかすることが、自分に依頼された仕事だ。

 自分ではこの呪いを解くことはできないけれど、この子を呪いから救うことはできる。方法があるのならば、後はなんとかなる。

 だから、そうした。


 * * *


「大丈夫ですよ。ゆっくりと、脚に力を入れてみてください」

 支えてあげながら、恐る恐るというふうに少女は椅子から立ち上がる。

 そして、

「……やった!立てた‼立てたよ‼」

 そう歓声を上げる彼女は、もはや支えに頼ることもなく、両の足で起立していた。

 その瞬間、後ろで見守っていた他の家族からも喜びの声が上がり、続々と少女のもとへと駆け寄った。一人で歩いてみせた彼女を見て、感極まり涙する母親の姿もある。

 どうにかできて良かった。そう思いながら、自分は和気藹々としている彼ら家族から退き離れる。既に依頼料は渡されているのだ。これ以上、自分がここにいる必要はない。

「………」

 一瞬、こちらに目を向けた少女の父親に軽く礼をして、そこから立ち去ろうとした。けれど、そこは我慢するしかない。

「…あれ。あの、解呪師の人、は?」

 喜びの喧騒の中から、少女の声がする。背を向けていてそちらは見えないが、どうなっているかは予想できる。

「待って、待って!もしかして、あの人…‼」

 その足音が輪を離れようとするのを、厳格そうな一つの声が呼び止めた。

「やめておけ。感謝なんてしなくていい。あれは、隷属民だぞ」

 そうして家から退出するとき、もう一度同じ声が聞こえた。

「近所の者に見つからないように帰ってくれ。隷属民の解呪師を呼んだ、などと噂を立てられたらたまらん」

 それだけ言い残し、家の外まで出たところで、扉はばたりと閉じられる。

「――――」

 ひとり、夜の道上にぽつんと取り残された。扉の奥から、いまだに歓声が聞こえてくる。だからまぁ、良いことを出来たのだろう。それは満足。

 風が、冷たく吹く。暗い夜道、上手く動かない脚を不自由にしながら、静かに帰路に就いた。

 悲しくはないのだろう、と思う。いつものことだ。感謝などされる仕事ではない。ちゃんと報酬金を貰えるだけ、今回は良かったといえる。

 仕方がない話。ただ、それだけのことなのだ。

 先ほど、少女の父親が言っていた通り。自分は、隷属民なのだから。


 * * *


 この国に暮らす人間は、大きく分けて二つに分類できる。

 一つは、王国の正当な国民としての『王国人』。そして、その王国人に隷従すべしと定められた『隷属民』だ。

 王国は、数百年以上も続いている大国。その強大な国力をもとに、さらなる領土を求めて戦争を続ける侵略国家でもある。数多くの征服を行う彼らは、さまざまな世界で土地や人を奪い、そうして連れてきた人々を奴隷として服従させた。

 しかし、あるとき奴隷解放運動が巻き起こり、各地で奴隷たちの一斉蜂起が始まる。

 王国は、この反乱に対し速やかに征伐を行った。しかし、王国と敵対する他国の介入もあり、その状況を危ぶんだ当時の国王は、奴隷制度の軽減、一部撤廃を行ったのだった。

 だが、元からあった差別や迫害がいきなり無くなるわけではない。奴隷解放運動という、王国人と奴隷たちの争いを経て、両者の壁はさらに険しくなった。

 そうして、今に至る。誇り高き叛逆が成果を上げてから、数十年後。未曾有の国難を乗り超えた王国は、繁栄と栄華を益々極め、飽きることのない侵略と共に国力を増長させていった。

 確かに、奴隷制度は消え去ったはずだ。しかし、自由は未だに望めず、あのとき勇敢に戦った奴隷の子供たちは、今では隷属民という新しい呼び名に変わっている。

「――――」

 暗い夜道を歩くのは、いつものことだった。なるべく、人に見られないように、帰り道を急ぐ。

 分かれ道に出る。進むべき道に進もうとして、そのとき。

「ハ。お前、隷属民か?ったく、汚らしい奴隷如きが、俺たち王国人さまの家の前を歩いているなんてなぁ…?」

 反対の道のほうから声が聞こえた。一瞬、己にかけられた言葉かと思って、反射的に振り返るが、違ったようだ。微かな月明りに照らされる向こう。一人の隷属民を、金色の髪をした王国人たちが取り囲んでいた。どうやら彼らは、ひどく酒に酔っているようにも見える。

「卑劣な隷属民のことだからな。どうせ、今から王国人の家に盗みにでも入ろうとしていたんだろ?なあ、どうなんだよ、オラッ‼」

 必死に弁明する隷属民の言葉を少しも聞くことはなく、酩酊で昂った気分をそのままに暴力を振るう。殴り、蹴りつけ、地に伏せるその人は、抵抗する術もなく、ただそれを受け入れるしかない。

「………」

 その光景に背を向け、行くべきだった方向へと再び歩き出す。

 仕方のないことだ。

 この話に、これ以上の続きはない。

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