第5話 いいこいいこ

「こ、これもハルーラがやったのか!? なぁ、そうなのか、レイシー!?」


 気候変動すらやらかしたのだ。対象物を巨大化や小型化させることもできなくはないだろう。

 だがレイシーは「それはどうだか……」と言葉をにごす。

 ラズはしゃがみ込んだまま、目の前の存在感ある物体を見上げる。


「これが……」


 何が理由にしろ、これが家宝の石ならば。今までこれを使う時は天に掲げて『時を戻してくれ』と願ったわけだが。


(この巨石では掲げることは……ではタイムリープが、できないっ……!?)


 突如、肩にのしかかった絶望に、しゃがんだ身体が後ろに倒れそうになった。今後はもう元に戻ることはできない。そう考えただけでまた涙が出そうになる。


(そんな……ここまで来たのに、そんな……)


 意識が遠退きそうだが別の対策がないかも考えてみる。しかし自分の中に逃げること以外の答えはない。緊急時の対応をするには自分はまだ浅学過ぎた、もっと色々勉強しておけば良かったと遅すぎる後悔だ。


(く、そ……こんなの……)


 ラズが唇を噛みしめていると「ラズ様?」と優しい呼び声がした。その声を聞き、少し沈んだ気持ちがすくい上げられる。


「大丈夫ですか。この石にそんなにこだわりでもあったんですか? 家宝ではありますけど」


「あ、あぁ。まぁ、それなりに、な……」


 こだわり……強いと言えば強い。ずっとこれを頼りにしていたのだから。


「だ、だが大丈夫だ、こんなの、ただの石だっ」


 少々震える声が出てしまった……我ながら情けない。人々の上に立つ者が動揺してはならないはずなのに。

 ラズは喉に力を入れる。


「だ、から……だから――え?」


 動揺しまいと拳を握りしめ、言葉をつむごうとしていた時だった。ラズの頭の上にふわりと何かが乗った。何かは頭をなでるように前から後ろへ、優しい力加減で動き、その流れを繰り返す。


「ラズ様」


 今までよりも断然近い距離で名前が呼ばれる。あまりに彼の動きが俊敏だったので何が起きたのか理解ができなかった。


(あ、えっ……)


 真横に視線を向けると。すぐそこにはこちらを見つめる天色の瞳があった。天色の瞳の上にある長いまつ毛がまばたく様子にラズは息を飲む。透き通る青さが無風の湖面のようでとても美しかったのだ。

 途端に増してくる胸の中の動き。息をしてないせいか、きりきりと痛み出し、でもその痛みがなぜか心地良くもある。


 彼は世話人だ。身支度を手伝ってくれたり、直接ではないが身体に触れてくる機会も度々ある。それはずっと何年も続いているので慣れたことだ。緊張もないし、レイシーなら何されても大丈夫なくらいの安心感を抱いている……はずなのに。

 なぜ、こんなに胸が痛く、熱く――。


「ラズ様」


 近距離で再び名前が呼ばれ、ラズの肩がビクつく。


「どうしたんですか、何か僕にできることはありますか」


 優しい口調は自分を気づかってくれているとわかる。この間にも頭をなでる動きは止まらず、その感触から身体がウズウズしてしまう。


 自分の方が年上であり、立場もあるせいで。ここまで接してくれる人間はそうはいない。一番近くにいるのは、いつも彼だ。

 幼い頃は痩せていた身体も今はその面影なく、細身ではあるが樽一つ持てるくらいの腕力があり、使用人の中では力持ち要員として重宝されている。顔立ちも良く、性格も真面目なので使用人や領民達、男女共に人気もあって、よく想いを告げられていたようだ。しかし彼は誰とも交際をせずにいる。


 その理由を聞いた時、彼は『分不相応です』と、いつか聞いた言葉を言った。元は奴隷という立場。それをわきまえ、一歩も二歩も身を引く彼に『関係ない』と、ラズは答えた。

 すると『じゃあ例えば身分上の方を好きになっても……いいんですかね?』と、レイシーが申し訳なさそうにたずねてきたので。

 身分上の方とは誰だろうと思いつつも『もちろんだ』と答えたら――。


『……良かった』


 その時のレイシーはほほ笑んだ。その照れたような笑みを見ながら(こいつに惚れられるなんて幸せな人だな)と思ったものだ。

 それはさておき――。


「あ、あの、レイシー……」


 頭をなでられるのは気持ちは良いが、そろそろ恥ずかしくなってきた。そう思って顔を熱くしていると、レイシーが素早く手を引っ込めた。申し訳なさそうに視線を伏せたことから一連の行動は無意識だったらしい。見れば彼の耳も赤くなっている。


「ラ、ラズ様に対して大変失礼でしたね……つい、ラズ様が落ち込んでいるようだったから……すみません、お手をどうぞ」


 自分を立ち上がらせ、恐縮して頭を下げる彼の姿勢に「こちらこそ悪かった」と自分も謝ってしまった。別にお互い、悪いことをしたわけではない。むしろ癒されたわけだ。不安だった気持ちがいつの間にか薄れていた。

 

「……レイシー」


「わっ……」


 スキンシップってすごいなと思いつつ、ラズも手を伸ばした。クセのある青い髪のやわらかさを手のひらに感じる。あたたかい小動物をなでているようだ。


 レイシーは顔を上げ、潤んだ瞳を向ける。いつもそばにいてくれ、なんでもやってくれる頼もしさを感じる半面、年下の愛らしさもある。弟のような、それ以上のような存在。


(レイシーには話した方がいいのかな)


 そんな彼とも再び離れようとしていること。時を何度もやり直していること。自分が何を恐れているのかを……。

 実はタイムリープをして逃げているんだ!

 そう打ち明けてようかと思ったが、やめた。年下に心配をかけるものではないという、無意味な年上としてのプライドが邪魔をしたのだ。


「ごめんな、レイシー。取り乱したりして。まぁ、父から譲り受けた物だからさ、こんなことになってどうしようかと思っただけだ。考えようによっては、これなら盗まれる心配はないものな」


 よしよし、とレイシーの頭をなでて気を取り直すと、彼もうなずいた。


「そうですね。何かわかるかもしれませんし、ハルーラさんに聞いてみましょうよ」


「だな、おそらく酒場にいるだろう」

 

 酒場……レイシーと同じく、やはりどこに行ってもくっついてくる不思議な場所だ。そこには話に上がったハルーラを含め、自分が治めていた領地からの知り合いが集まっているはずだ。


(なんだかんだで、また全員集合か……)


 嬉しいような、なんとも言えない気分がラズの中には渦巻いていた。

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