第31話 天色は失われ
二人は名残惜しそうに見つめ合ってから別れ、マディは仕事に、エイリスは屋敷の中に戻っていく。彼の後をついていくと見慣れてはいるが、壁に飾ってある絵画やカーテンの色などが少し違う屋敷の中を見ることができた。
(どれくらい前の当主なんだろう)
だが今より権力を振りかざしているのは確かだ。働いている使用人の顔を見ればわかる。皆、どこか余裕がない。何かに怯えるように仕事をしているように見える。
(昔のカルストは民を虐げていた……シリシラが言っていたことも嘘ではないな)
当主の性根を叩き直してやりたい、自分の先祖であってもそう思う。
エイリスは階段を上り、左右に扉が並んだ廊下の突き当たりの、当主の部屋へ歩いていく。
その表情は先程のマディと一緒にいた時とは比べ物にならないぐらい悲哀に満ちている。
(本当に愛しているんだな)
それを引き裂いた者、後のカルストの子孫に呪いを残した者、それは――。
『遅い、どこへ行っていた』
エイリスが銀の装飾が美しい扉を開けると、横柄さ漂う言葉が耳に飛び込んできた。
『も、申し訳ございません』
扉を閉めて頭を下げ、エイリスは奥の肘掛けイスに深々と座る人物の元へと足早に近づく。その様子を見てわかる。エイリスが彼に抱くのは恐れのみだと。
『ご、御用はなんでしょうか』
だが恐れを抱くエイリスの一方で自分は身の毛もよだつ衝撃を受けた。イスに座った人物、この屋敷のものが恐れ敬う、その人物は――。
それなりの年齢には至っているだろう、口角の横や目尻にはシワがあり、声には年相応の野太さがある。
だが黒髪の色、細身の体格、見た目。血筋だから、ありえないことはないのかもしれないが。たとえ血筋であっても似ていることが違和感で、ラズは顔をしかめた。
(俺……)
そこに座っている人物は年を取った自分。正確には自分の先祖ではあるが、年を重ねたら、こうなるだろうという自分がそこにいた。
(こんなの――)
自分じゃない、そうとは、わかっている。
しかしこいつが引き起こす、これからのことを思うと――。
『エイリス、前に言った領地の領民達には疫病をまいたのだろうな』
『……はい』
『そうか。ではあの性悪領主がこちらに助けを求めてくる日も近いな。見返りが楽しみだ』
それを聞き、ラズの頭はカッとした。
(……くそ、くそっ! なんなんだ、こいつは!)
壁に飾ってある飾り物の剣で今すぐぶった切ってやりたい、そんな気持ちに駆られる。大地の民の力を完全に私欲のために使っているのだ。
『エイリス、お前は良い子だ。こっちに来い』
手を差し伸べられたエイリスは小さく返事をして当主に近づく。その際の彼の肩は小刻みに震えていた。
当主はエイリスの身体を引き寄せると背中をなでながら「だが悪い子でもあるな」と言い放ち、背中に爪を突き立てた。
『い、痛いっ』
その光景に、再び怒りの血が騒ぐ。
(こ、この野郎っ)
だがそれと同時に先程の嫌な予感が当たる。
『お前は男を虜にするのが好きなのか、魔性だな……連れてこい!』
当主が声を上げると廊下の方が騒がしくなった。やめろ、離せと騒ぐ声。バタバタとする数人の足音。扉が「失礼致します」の声と共に開かれ、数人の武装した警備兵と、それに両腕を捕らえられた男が引きずられてきた。
『――っ!』
エイリスの天色の瞳は全開になり、悲しげに眉が歪む。
『たかが低階級の使用人に身体を許すとはな……何を引き換えにもらったんだ? 宝石か? 金貨か? ……いや、こんなやつが持っているわけがないな』
(なんてことをっ)
エイリスの悲壮な表情。彼の見つめる先には殴られたのか、口の端から血を流すマディ。今さっきまでは幸せそうだった二人が、一瞬にして地獄に突き落とされていた。
(やめろ! やめろよ! 二人を離せっ!)
たまらず当主につかみかかるが、自分の身体は幻のように通り抜けていく。反動で床に倒れてしまい、近くからエイリスを見て思う。
(……あいつに、似ている……?)
いつもそばにいる、あいつに――。
そんなことを思う自分をよそに“過去の事態”は動いていく。
『エイリス、お前はこの男が好きなのか?』
当主の問いにエイリスは答えない――答えられないのだ。その無言が答えになっているとしても。
『全く“見る目がない”な。まぁいい、そいつを連れて行け。もう会うことはあるまい』
警備兵が動き、マディが連れて行かれそうになる。ここを離れたら、二人は二度と会うことはできない。そうとわかっているマディは叫んだ。
『エイリス様! ……こんなことになってしまって申し訳ございませんでした! でもあなたと過ごした時間、俺にはかけがえのない宝物です。いつまでも忘れません。死んでも、忘れませんっ!』
『マディッ!』
動こうとしたエイリスは細い腕を当主につかまれ、動けない。それでもマディを助けようと反対側の手を伸ばした、その時だった。
聞いているこちらが耳を塞ぎたくなる悲鳴が聞こえ、血が飛び散る光景が目の前に広がった。
(そ、そん、な……!)
大地の民は不思議な力が使えるはず。ヤミナのように転送魔法や、カミナのように炎を起こしたり。はたまた互いの身体を共有したり。
今だって、これより前だって、エイリスならそれができたはずだ。それでもしなかったのは他の仲間が人質に取られていたか、もしくはマディがこの屋敷をおいそれと離れられる立場じゃなかったからか。
エイリスの立場を当主は掌握していた。そんな当主は彼の裏切りを許さず、手にしたナイフで天色の瞳を切ったのだ。
(な、なんて、ことを……)
床に倒れるエイリス。
叫ぶマディ。
『エイリス、エイリスーっ! くそっ、この悪魔めっ! 呪ってやる! お前もその家族も子孫も! 滅びるまで呪ってやるからなーっ!』
連れて行かれるマディを見ながら、また自分の意識が回るのを感じた。
この場から自分が消えていく。
自分はどこへ行くのだろう。過去? 未来?
カルスト家は呪われている。
その呪いの行く先は――。
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