愛と異常性の狭間で揺れる振り子は、救いと絶望、どちらに揺れる?

殺害衝動に悩み、普通の人間になりたいと望む、龍ヶ世舞。
それは、社会性のある人間として、両親や同級生の雫莉など親しい人たちと「本心」から接したいという願いの裏返しでもあります。

そんなある時、〈高位の存在〉という生物の命に干渉することができる雪蝶と出会う。
試練を乗り越えさえすれば、自分と同じ〈高位の存在〉になれるという甘美な誘いを受けて、舞は試練に挑んでいきます。
その試練は舞の心を削る内容で、それでも夏野先生や雫莉など親しい人との関係性が崩れる心を慰めていきます。
それすら、絶望へと至る道筋とも知らずに……。

話は変わって、他者からの承認への欲求として、「存在の承認」と「行為の承認」の二種があります。
・「存在の承認」:「あるがままの自分」を受けいれて欲しいという承認
・「行為の承認」:行為の価値を認めて欲しいという承認

両親の愛情や雫莉との親愛の価値を認めている舞にとって、自らの「存在の承認(殺害衝動のある自分の承認)」「行為の承認(殺害行為の承認)」は育まれてきた良心によって否定され、その矛盾の狭間で苦しんでいます。
(あるがままの自分――殺害衝動のある自分を認められず、その行為も肯定的に捉えることができないでいる)

本作品は、前編「Despair」と後編「Hope」に分かれていますが、どちらの物語でも「あるがままの自分」が承認されない姿が表現されています。
あらゆる登場人物――主人公はもちろん、主人公に親しい人物も含め――、「あるがままの自分」を自分自身で肯定できないことが示され、その苦悩が彼女らの喉を締め付けます。
それは社会性ある良心があるこその苦悩であり、その良心は「愛」という美しい蝶のような輝きを持ち、異常性を持つ「あるがままの自分」との狭間で揺れ動きます。

その振り子は救いと絶望、どちらに揺れるのか?
美しい愛に彩られたサイコホラーな物語。是非、ご一読ください。

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