番外編~パティシエールと王子様~④

 愛梨さんの言うように、本当に大丈夫なようだ。


 長年、すれ違ってわだかまりがあったとは言え、元々は血を分けた親子なんだし。


 それに、これまでだって、お互い見て見ぬふりをしていた根底には、『嫌われたくない』という想いがあったからこそ、すれ違ってしまったに違いない。


 お互いが歩み寄って、根っこの大事な部分で繋がりあっている今となっては、何があっても揺るぎようがないのかもしれない。


 と、そこまで考えていたところで、ふと、さっきまで脳天気な明るい声を炸裂していた愛梨さんがえらく静かになってしまっていることに気づいて。


 ーーあっ、いっけない。


 愛梨さんにとっては嬉しいことばかりじゃないはずなのに、私ってばうっかりしてた。


 長年のわだかまりが解けたことは非常に喜ばしいことではあるけれど、それは同時に、愛梨さんにとって大事な存在であるであろう、ご当主と創さんが自分ではなく、後妻の菖蒲さんと仲睦まじい家族になるということであり。


 それはとてつもなく辛いことであるに違いない。


 愛梨さんの姿は実態がないため確かめようがないが、もしかすると、私が今こうして考えている間にも、泣いているかもしれない。


 そんな愛梨さんの前で手放しで喜んでいいはずがない。


 うっかり者の上に加えて、いくら余裕がない状態だったとはいえ、なんともデリカシーの欠片もないことをしてしまった。


 ーーど、どうしよう。


 愛梨さん、黙り込んじゃってるけど。大丈夫かなぁ。


 いよいよ心配になってきて、さっきとはまた違った意味で、オロオロし始めた私の元に、どういうわけか愛梨さんの思いの外明るい声音が届いた。


【菜々子ちゃんは本当に素直で優しいわねぇ。でも、大丈夫よ。そんなに気に病むことはないわぁ】


(……で、でも)


 なんとか返した言葉も、とても頼りないものになってしまった。


 愛梨さんのことを思えば、どうにも切なくて、泣きたくなってしまったせいだ。


 それでも、ここで私が泣いてしまうのは違う気がして、なんとか堪えようとしても、うまくいかない。


 ぐっと奥歯をか噛みしめて耐えしのぐことしかできないでいる。


 すると愛梨さんは、やっぱり明るい声音で実にあっけらかんと、事もなげに言うのだ。


【まぁ、確かに。死んじゃってるとはいえ、私の代わりに菖蒲さんという人が創一郎さんの隣で幸せそうにしているのを見るのはいい気がしないわねぇ】


けれど、口調とは裏腹に思っていた通りの言葉が返ってきて。


 ーーやっぱり、そうだよね。辛いよねぇ。私ってばデリカシーがないにもほどがある。


 猛烈に自分のやらかしを悔いていたところに、再び愛梨さんの明るい声音が割り込んでくるのだった。


【でも、創一郎さんと創が幸せそうにしてくれていることのほうが、私にとっては重要なの。それにね、菖蒲さんは今でも私の位牌に毎朝欠かさず手を合わせてくれているの。私だったらそんなこと絶対できないわ。だからそれで充分……なんて言ったら嘘になるけど。それも生きている間だけのことよ】


ーーん? それってどういう意味?


 愛梨さんの声に耳を傾けつつ、その言葉の真意が掴めず首を傾げながらも、真意を確かめようと愛梨さんの話に耳を集中させていると。


【私はこうして死んでからも創一郎さんや創の傍にいられるんですもの。それ以上望んだらバチが当たるわぁ。ってことで、私はそこまで落ち込んでないから気にしないで。菜々子ちゃんは自分のことだけを考えてくれなきゃ困るわぁ。これは、創の母親として、そして菜々子ちゃんにとって二人目の母親としてのお願いなんだから、聞いてくれなきゃ泣いちゃうんだからぁ。それに、ほら。創が心配してるわ。だから元気出して。ね?】


 もうこの世には存在しない、幽霊となってしまっている愛梨さんだからこそ言える言葉が出てきて。


 それはきっと、いいや、絶対に、愛梨さんへの気遣いを怠ってしまった私がそのことで自分を責めないように、敢えてそういう言い方をしてくれたに違いない。


 けれども、ここで、私がずっと後悔していたり、メソメソしていたりすると、愛梨さんの優しさが無駄になってしまう。


 ーーここは素直に愛梨さんのご厚意に甘えておいた方が賢明だ。


ようやくそう思えるようになって、愛梨さんの言葉で促されるままに創さんに視線をやると、とっても心配そうな創さんのイケメンフェイスが待ち構えていて。


 私が慌てて、ぎこちないながらもにっこりと微笑んで見せると、創さんもようやくホッとしたように極甘の蕩けるような笑顔を向けてくれた。


 もうそれだけで、さっきまでのことなどスッカリ忘れて、幸せ一色ピンク色に染まりきっていて、自分でも単純だなとは思うけれど、本当に幸せなんだからどうしようもない。


 そうしてまたしばらくの間、和やかな雰囲気のなか桜小路家の面々と楽しいひとときを過ごして、今度は伯母夫婦と恭平兄ちゃんの待つパティスリー藤倉へと向かうこととなった。


 勿論、幽霊である愛梨さんも一緒だ。


 鮫島さんが運転する黒塗りの高級車に揺られること数十分。


 前方にパティスリー藤倉の店舗が姿を現してすぐ、予め到着時間を知らせてあったため、伯母夫婦と恭平兄ちゃんとが既に駐車場の入り口で待ってくれている姿が視界に飛び込んできた途端。


 前回来てからまだ一週間ほどしか経っていないというのに、もう何年も会っていなかったかのように、ひどく懐かしさを覚えてしまった私の目頭がじんと熱くなってきて、気づけば私は涙ぐんでしまっていた。


 きっと、この一週間という短期間の間に色々なことがあったことと、なんの心の準備もないままに創さんのことを追いかけてロサンゼルスにまで行ったことで、母が亡くなってからは母親代わりだった伯母にも、父親のことを知らずに育った私にとっては父親代わりだった伯父にも、兄のような存在だった恭平兄ちゃんにも、きちんとお別れもないままだったせいだろうと思う。


 最低でも一年は会えないだろうと思っていたのだから、余計だ。


 その感情のなかには、寂しいという気持ちは含まれていたかもしれないが、後ろ向きな考えなどは一切なかった。


 けれど創さんには、そうは見えていなかったらしい。


 私が涙ぐんでいることに気づいたらしい、後部座席で隣りあっている創さんが自身の膝の上でしっかりと繋ぎあっている私の手をもう片方でそうっと包み込んできて。


 気づいた私が創さんのほうに目を向けると、とても不安げな表情のイケメンフェイスが待っていて、胸がキュッと締め付けられる心地がした。


 そこへ、創さんの優しい声音が囁きかけてくる。


「……菜々子、家族と離れるのが辛いなら、こっちに残っていてもいいんだぞ? 月に一度くらいなら帰ってこられると思うし」


 思いもしなかった創さんの言葉に面食らってしまったけれど、いつもこうやって私にとって何がいいかを考えてくれることはとっても嬉しい。


 けれども、今回のことがあったことで、創さんのことをどんなに好きであるかを想い知ったし。


 また、創さんが私のことをどんなに大事に想ってくれているかも、知ることができた。


 結果、創さんへの想いはこの一週間の間にもみるみる膨らんで、今では創さんと一瞬たりとも離れるなんてこと、考えられないし。考えたくもないーー。


 そんな想いでいた私は、いつしか零れてしまった涙もそのままに、シートベルトを素早く解除し、創さんの胸に勢い任せに飛び込むようにして抱きついてしまっていた。


 このときほど、小柄な体型でよかったと思ったことはないかもしれない。


「ちょっと感激して泣いちゃっただけだから、そんなこと言わないでください。私は、もう一秒だって創さんと離れるなんてこと考えられないんですから。創さんが嫌だって言っても絶対に離れませんから」


 すると、創さんははじめこそ吃驚してしまっていたのかフリーズしたままだったけれど、すぐに、私のことを抱き竦めてくれて。


「俺も。俺も一緒だ。もう菜々子と離れることなんてできないし、そんなこと考えたくもない。断言する。嫌だなんて思うことなど絶対にない。一生一緒だ」


 車内には、鮫島さんも菱沼さんも、(見えないだけできっと愛梨さんだって)いると思うけれど、そんなことなど一切気にもとめずに、なんとも情熱的に甘い言葉を紡いでくれていた。


 さすがに、桜小路家の面々の前では控えてくれてはいたけれど、そんな溺愛モードの創さんの言動に、この一週間というもの、すっかりと感化されてしまっているらしい私も、夢見心地で創さんの背中に両腕をめいっぱい伸ばして抱きついてしまっていて。


 しばらくの間、バカップルと化してしまっていた。


 数時間前、ロサンゼルスから帰ってきたばかりの私たちの言動に驚きを隠さないどころか、若干引き気味だった菱沼さんも、今じゃすっかり慣れてしまったようで、何も言わずに、終始ニコニコ笑顔を絶やさない鮫島さんの隣で空気と化してくれていたようだ。


 けれども、空気を読むことのできない愛梨さんは、そんなことなど気にしないとばかりに、というか、おそらく何にも考えていないのだろう。


【キャー! ふたりともすっかりバカップルになっちゃってぇ。若いっていいわねぇ】


 愛梨さんはいつものようにはしゃぎまくっていたようだった。けれど、創さんに感化されてしまっている私は、そんなことももうどうでもよくなってしまうほど、ふたりの世界にどっぷりと浸ってしまっていた。


 あれからほどなくして、私たちのバカップルっぷりを寛大な心で空気と化して見守ってくれていた菱沼さんから、盛大な咳払いを繰り出されてしまうことになって。


 その刹那、創さんも私もあたかも夢から醒めたかのように我に返ったところで、菱沼さんの申し訳なさそうな声が耳に届いた。


「……お取り込み中のところ誠に申し訳ないのですが。皆様、お待ちかねのようですので」


 どうやら菱沼さんからの盛大な咳払いは、駐車場の出入り口で私たちのことを出迎えるためにずっと待ってくれている伯母夫婦と恭平兄ちゃんのことを気にかけてくれてのことだったようだ。


 菱沼さんの声に弾かれるようにして窓の外に目を向けてみれば、車のすぐ傍まで近寄ってきたものの、私と創さんとの熱烈な抱擁を見てしまったのか。


 伯母も伯父も仄かに顔を赤らめて気まずそうに、私たちは何も見てませんからっていうように、視線をあさっての方に漂わせるようにして黄昏れてしまっている。


 ーーいやいや、絶対見てたでしょう! わあー恥ずかしすぎる。  


 菱沼さんに、『どうせ止めるなら、もっと早く止めてくださいよ』と言いかけようとしたところで恭平兄ちゃんの姿が視界の隅に飛び込んできた。


 恭平兄ちゃんに至っては、ムスッとして足下の車止めを思いっきり蹴っ飛ばしてしまったようで。


 サンダル履きの自分の足を持ち上げて、創さんに劣っているがそれでも充分いけているイケメンフェイスを悩ましげに歪ませている。


 どうやら折角出迎えてくれているのに放置してしまった私たちに、随分とご立腹のようだ。


 私は何かを返そうにも返す言葉も見つからず、ただただ心の底からすみませんでしたと思いながら、菱沼さんに向けて声を放つと。


「す、すまなかった」

「す、すみませんでしたッ」


 意図していなかったにもかかわらず、創さんの声とハモってしまい。


 ただそれだけのことにも、これ以上にないくらいの幸せを感じて、この幸せをしみじ噛みしめつつ、創さんのエスコートによりパティスリー藤倉へと足を踏み入れることとなり。


 そうして一週間前に訪れたときと同じく和室の客間にて、おいしいお菓子たちにもてなされ、お祝いのお言葉を贈ってもらい、これまた幸せなひとときを過ごしていた。


「いやぁ、本当におめでとう」

「でもさみしくなるわねぇ」

「ふたりとも酔いすぎだし。ったく」


 伯母夫婦そろって創さんが手土産にと持参したシャンパンを祝いの席だからと少々飲み過ぎてしまったようでほろ酔い状態。


 そんなふたりを冷ややかに眺めつつも、さりげなくふたりを気遣っている優しい恭平兄ちゃんの姿に、ほっこりしつつ、私はここでの暮らしを思い返していた。


 父親を知らずに育ったけれど、伯母夫婦や恭平兄ちゃんのお陰で、寂しいなんて思った記憶は一度もない。


 ーーいつか好きな人ができて、もしも結婚できたら、こんなあたたかな家族を作りたいなぁ。


 なんてことを漠然と考えてみたことはある。けれどまさか、そんな日が来るなんてことは、思ってもみなかったことだ。


 でも今は隣には、こうして寄り添い合える大好きな創さんがいる。


 そして私たちのことをこうしてあたたかく見守ってくれている人たちがいる。


 勿論、それは伯母夫婦と恭平兄ちゃんだけじゃない。


 創さんの家族も親戚もそうだし、桜小路家に仕えている菱沼さんも、鮫島さんだってそうだ。


 みんな、みんな、私にとってかけがえのない家族だ。


 ずっとずっとこうしていられたらどんなに幸せだろう。


 けれど、こうしてお互いに想い合っていれば、どんなに離れていたって変わらないのかもしれない。


 たとえそれが日本であろうと、海外であろうと、どこであろうと、きっと変わらない。たとえ天国にいる両親であってもーー。


 みんながついてくれていたら百人力だ。


【あら、菜々子ちゃん。私は入れてくれないの?】


(あっ、愛梨さん。声がしないからどこかで居眠りでもしてるのかと)


【そのいいかただと、私がいつも寝てばかりいるみたいに聞こえるんだけど】


(やだなぁ。冗談ですよ。それに、さっきの続きですけど、勿論愛梨さんも入ってますから安心してくださいね)


【ふふっ。冗談よ】


(はい。分かってます)


【ふふっ。でもこれまで本当に色々あったけど、こうして皆に祝福されて本当によかったわねぇ】


(はい。ありがとうございます! これからもよろしくお願いしますね)


【こちらこそ、末永くよろしくね】


(はいッ!)


 あれから数日後、ふたたびロスへと旅だった私と創さんは予定通り一年後に日本へと戻ってきて、皆に祝福されるなか、素敵なチャペルで永遠の愛を誓い合った。


 そうしてそれからまた数年の年月が流れて、あの時、愛梨さんと交わした言葉通り、今も最愛の創さんと幸せに仲睦まじく暮らしている。


 その傍らには、可愛い子供たちがいて、カメ吉がいて、姿は見えずとも、相変わらず空気の読めない愛梨さんも一緒だ。


 きっとこれから先もこうして一緒に幸せに暮らしていけるに違いない。


 きっと、いつまでもいつまでもーー。


 こうして、ある日突然王子様に拾われたパティシエールは家族一緒にいつまでもいつまでも仲睦まじく幸せに暮らしましたとさ。




~おしまい~







*****


初めまして、作者の羽村美海です。

商業で溺愛・執着系のTL小説&コミック原作を書いています。

このたびは、たくさんの作品の中から見つけてくださり、最後までお読みいただきありがとうございました!☆や♥もとっても嬉しかったです♩

今作は、趣味全開の拙いお話ではありますが、楽しんでいただけたなら幸いです。

またいつかお会いできる日を願って☆ 2025/1/30羽村美海


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拾われたパティシエールは愛に飢えた御曹司の無自覚な溺愛にお手上げです。【番外編公開中】 羽村美海 @hamuramimi

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