番外編~パティシエールと王子様~②
前回、ご挨拶に伺ったあの日からまだ一月も経っていないけれど、桜小路家の豪勢な本宅に創さんと一緒に足を踏み入れるとき、なんだか酷く懐かしい感じがした。
それから、感慨深い気持ちにも。
だって、あの時はまだ創さんの気持ちだって知らなかったし。
それがまさか、創さんと気持ちが通じ合って、もうすぐ正真正銘の夫婦になるなんて、そんな日が訪れるなんて夢にも思ってなかったんだもん。
――こんなにも幸せでいいのかな。
なんて心配になっちゃうほど、毎日が幸せでどうしようもないくらいだ。
今もこうして、隣に並んで椅子に腰を下ろしている創さんは、片時も離れず傍にいてくれて、大きなテーブルの下では、私の手をしっかりと大きな掌に包み込んでくれている。
さっきだって、創さんの父親であるご当主を始め、継母の菖蒲さん、弟の創太さん、伯母の貴子さん、そして私にとっても伯父となる道隆さんに、結婚のご報告をする間中、手を繋ぎあっているのは勿論のこと、時折何度も、ごくごく自然に見つめ合ってしまっていて。
その都度その都度、相変わらず茶目っ気のあるご当主と創さんのなんとも仲睦まじく微笑ましい? 親子の会話が繰り広げられていたのだけど。
『おやおや、誤解が解けた途端にえらくアツアツになっちゃって。この前、深刻そうな顔で頭を下げに来たのは誰だったのかなぁ』
『可哀想に。親父も年取ったせいで物忘れが激しくなったんじゃないのか? まぁ、道隆さんがいることだし、いつ隠居してくれても構わないけどな』
『いやいや、創くん、そんなこと勝手に決められても困るよ。まだまだ若いんだし、創一郎くんに頑張ってもらわないと。それに僕には、先代のご当主から仰せつかった役目を果たさないとならないからねぇ』
『ほら見ろ、創。道隆兄さんもそう言ってくれてるじゃないか。まだまだ若いし、頭もしっかりしてるんだ。年寄り扱いしないでくれないか』
『ハイハイ。そういうことにしといてやるよ』
『いやはや、可愛げのない息子を持つと苦労するよ。けど、その息子がこんなに可愛いお嫁さんを連れてきてくれたんだから、こんなに嬉しいことはないよ。ふたりとも本当におめでとう』
始めこそ、親子げんかのようなやりとりがあったものの、そこに、道隆さんが加わったりして、皆心底愉しげで、なんやかんや創さんと言い合っていたご当主も、最後には創さんと私の結婚のことを祝福してくれていた。
そんな私たちの周りには、菖蒲さんや貴子さんに創太くんの、愉しそうに話す声や笑い声が溢れていて、終始和やかな雰囲気に満たされている。
実は、今日ここに伺うまでは、少々不安な心持ちでいたのだけれど。
どうやら、これまで家族と向き合ってこなかったご当主は、今回のことで相当反省していたらしく、あれからすぐに家族とも話し合ってくれていたらしい。
その時に、菖蒲さんも菖蒲さんなりに、なかなか懐いてくれない創さんの方からいつか歩み寄ってきてくれるのを待っていたのが、どんどん溝が深まっていき、それでもなんとか創さんのことを理解しようと週一で部屋を訪問したりしていたことで、より一層の誤解が生じていたことが分かったらしかった。
因みに、創さんのアレルギーのことを知ってはいたけれど、化学物質アレルギーのことまでは知らなかったらしく、香水に関しても、わざとではなかったらしい。
まぁ、創太くんに関しては、大学に入ってから少々羽目を外していたことから、私にあんな態度をとってしまったらしいのだけれど。
そのことに関しても、ここに伺ってすぐに本人に謝ってもらったので、水に流すことにした。
兎にも角にも、色んな誤解も解けて、長年のわだかまりも解消されつつあるようで、やれやれと言ったところだろうか。
✧✦✧
飛行機なんて生まれて初めて乗ったから、気持ちが昂ぶっていたせいか、私はなかなか寝付くこともできずにいたのだけれど。
いくら創さんが飛行機なんて乗り慣れているとは言っても、朝が早かった創さんに迷惑をかけたくなくて、そのことは伝えずにそれぞれのシートで休んでいたのだけれど、どうしても寝付くことができずにいた。
そんな私のことを案じてくれた愛梨さんが、ずっと相手をしてくれていた時のことだ。
二人で、これまでのことを色々振り返っていて。
(そういえば、あの、転生って言うのが嘘だったってことは、別に創さんに愛梨さんのことを話しちゃっても問題ないってことですよね? まぁ、信じてくれるかどうかは別としてですけど)
それは、私の口ではなく正確には意識だが、とにかく何気なく浮かんだ言葉だった。
勿論、愛梨さんにも、了承してもらえるって思ってのことだ。
けれども、愛梨さんから返ってきたのは予想外な言葉だった。
【創には、今までどおり、私のことは言わないでほしいの】
正直驚いたし、信じられなかったものだから、再度訊きかえしたくらいだ。
(ーーえ!? どうしてですか? 転生とか言ってたあの話は嘘だったんだから、別に死神とかに何か言われた訳じゃないんですよね?)
【そうね。でも、せっかく創が、親離れならぬ……カメ吉離れできたんだから、もういいのよ。菜々子ちゃんが傍についてさえいてくれれば。だから、ね? 秘密よ】
けれど、結局は、愛梨さんには愛梨さんなりの考えがあるんだろうと、私は反論しかけていた言葉をぐっと飲み込んだのだ。
その時に、愛梨さんとは、『創さんには秘密にしておく』、そう約束していたのだった。
残念ながら、今ここには愛梨さんが居ないので、再度確認をとることは叶わない。
けれど、何度聞きかえしてみたところで、きっと愛梨さんからの答えは変わることはないのだろう。
私がうっかりしていただけで、ちょっと考えれば分かることだ。
愛梨さんが創さんに幽霊になった自分の存在を秘密にしておきたいっていうのには……
ーー悲しいお別れは一度でたくさん。もう二度と悲しい想いをさせたくない。
きっと、そういう想いがあるからなのだろう。
空港に向かう車の中で、もうすぐ成仏するだろうからと、私にお別れをしていたくらいだ。
幽霊となってしまった自分自身でさえも、一体いつまでこの世に存在できるかも分からないのだ。
そんな状態で、創さんに自分の存在を明かせる訳がないーー。
いくら幼い頃だとはいえ、大好きな母親とのお別れはとても辛くて悲しいことだったに違いない。
ずっと母親の面影をカメ吉に重ねて、手放せなかったくらいなのだから。
うっかり者である私がそのことにようやく思い至った頃合いで、とっても心配そうな創さんの声が思考に割り込んできた。
「……菜々子? さっきからというか、向こうを発つ前から、少し様子が違ってた気がするが……。やっぱり初めてのフライトでずいぶん疲れてるんじゃないのか?」
お陰で、一人考えに耽っていた私はハッとする。
ーーいっけない。今は目の前に居る創さんに集中しなければ。
慌てて、依然私のことを背後からスッポリと包み込んでくれている創さんの方へと振り返れば、とっても心配そうな創さんの視線と私のそれとがかち合った。
それに伴い、さっき創さんに言ってもらった言葉の数々が鮮明に蘇ってくる。
今になってその時に感じた嬉しさが時間差で効いてきて、あたたかなものがじわじわと込み上げてくる。
やっぱり大好きな人からもらったモノは、言葉であろうとなんであろうと特別なモノらしい。
どんなモノよりも威力が凄まじいようだ。
そこに、愛梨さんの想いとが合わさって、なんとも言えない、堪らない心持ちになってくる。
今すぐ、創さんのことをぎゅっと抱きしめたくなって、もういてもたってもいられなくなってきた。
ーーあー、もうダメだ。
創さんへの愛おしい想いと愛梨さんの想いとが、ない交ぜになって、どんどんどんどん溢れてきて、もう止まりそうにない。
「創さんッ!」
感極まってしまった私は、飛び上がるような勢いで背後に振り返り、驚いて瞠目したままでいる創さんにガバッと抱きついてしまっていた。
「大好きですッ! 私、ずっとずっと傍に居ますから。創さんもずっとずっと傍に居てくださいね? 約束ですよ?」
そんな私の口から飛び出してきたモノは、小さな子供が放ったようなモノで、それでもきっと創さんには伝わってくれるだろう。
そのことを証明でもするかのように、突飛な行動に出た私の身体を驚きつつも、しっかりと抱き留めてくれた創さんが、
「あぁ、約束する。もう一生、菜々子の傍から離れたりしない。死ぬまでずっと一緒だ。俺も菜々子のことが大好きだ。愛してる」
そう言いながら、さっきよりも強い力でぎゅぎゅうっと抱きしめ返してくれている。
互いに誓い合った言葉を互いの身体に刻み込むように、また、こうしてこれまでのように一緒に居られるという喜びを噛みしめるようにして、一頻り強く強く抱きしめ合ったままでいた。
そうしてしばらくして、ようやく気持ちが落ち着いてからも離れがたくて、創さんの胸に頬をくっつけたままでいると、「菜々子」と、不意に創さんに呼ばれて、顔を向けるとやけに真剣な面持ちをした創さんのイケメンフェイスが待っていて。
ーーなんだろう?
なんて、小首を傾げつつ暢気に構えていたところに。
「ビジネススクールが始まるまでにまだ一月あまり時間があるから、一度日本に戻って、結婚して正式に夫婦になってから、こっちに戻って来ないか? もちろん、菜々子が良かったらなんだが。どうだろう?」
創さんから、思いがけない、プロポーズともとれる言葉が投げかけられた。
創さんのプロポーズともとれる言葉に、驚いてしまった私はしばらくの間ただただ呆然としてしまっていて。
そんな私の反応に、創さんは不安になってしまったようだった。
少しして、創さんの胸に頬を擦り寄せたまま呆けてしまっている私のことを創さんが心配そうな面持ちで覗き込んできて。
「……あっ、否、別に今すぐじゃなくても構わないんだ。菜々子がいつか俺と結婚してもいいと思える日がくるまでずっと待っているつもりだ。今は、ただこうして傍に居てくれるだけで構わない」
さっきのプロポーズともとれる言葉についての釈明を始めてしまった創さんの表情には焦りの色までちらつき始め、それだけ私のことを想ってくれているというのがありありと見て取れる。
ーーあれは夢じゃないんだ。本当のことなんだ。こんなにも想ってもらえてるんだ。
ようやく正気を取り戻すことができた私は、もういてもたってもいられなくなってきた。
このまま天にも昇ってしまいそうな勢いで飛び上がった私は、突飛な行動にでた私のことを驚愕の表情で見つめたままでいる創さんにムギュッと抱きつきつつ。
「……あっ、いえ、そうじゃなくてっ。ただ夢なんじゃないかと思って、吃驚しちゃっただけなんです。だから、もう一度、一度だけでいいので、もう一回だけ言ってもらってもいいですか? 目と耳にしっかりと焼き付けておきたいので、お願いしますッ!」
ぐいぐいと勢いに任せてそう迫ってしまっていて。
今度は、創さんの方がしばし呆然と固まってしまっていたのだけれど、すぐにこちらに舞い戻ってきてくれた創さん。
ホッと胸を撫で下ろしている私に向けて、創さんは、
「もう二度と言わないからな」
なんてちょっと不貞腐れ気味な声音でそう言ってきて、少々恥ずかしそうにしながらも、ちゃんと言い直してくれて。
「……菜々子には、これまで通り、一生傍に居て笑っててほしいと思っている。絶対に後悔なんかさせないつもりだ。だから、俺と結婚してほしい」
「はいっ。喜んでっ!」
今度こそめいっぱい明るい声音で元気よく即答した私は、照れくさそうにイケメンフェイスを仄かに紅く染めながらも、嬉しそうにはにかむ創さんの胸に飛び込むようにして抱きついてしまっていたのだった。
それからは、愛梨さんのこともあってあんなに躊躇していたというのに。
また、初めての飛行機での長旅で疲れているだろうと気遣ってくれていた創さんも。
ふたりとももうすっかりそんなことなど忘れて、どちらからともなくキスを交わしたのを皮切りに、そのまま甘い甘い夢のようなひと時に身を投じてしまっていたのだった。
まぁ、そんな訳で、私たちは結婚するために再び日本に舞い戻ることになって、現在、創さんのご実家である桜小路家の大広間で結婚についての諸々の報告をたった今終えたところだ。
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