私だけの王子様

第51話 私だけの王子様

 そうしてすっかり夜が深まった頃。

 私は、たった今、耳にしたばかりの創さんの言葉を信じることができずにいた。


 吃驚眼をこれでもかというくらいに、ただただ大きく見開いて微動だにできずにいる。


 これ以上目を見開いたら、目玉が落っこちるんじゃないだろうか。


 頭のどこかで冷静な自分がそう案じるような声が聞こえた気がする。


 けれど、そんなものに構っているような余裕なんて微塵も持ち合わせちゃいない。


 そんな私の吃驚眼には、なにやらバツ悪げに私の視線からプイッと顔を背けて、恥ずかしいのか、顔どころか耳まで真っ赤にした創さんの姿が映し出されている。


「……俺には偏見を持つなとか言ってたクセに。なんだ、その、珍獣か何かを見つけた時のような反応は。俺はまだ三十路でもないし、魔法使いでも妖精でもないぞ。自分だってついこの前まで処女だったクセに」


 これ以上にないくらいに不貞腐れた声音でブツクサと悪態をつくようにそんなことを言ってくると、終いには。


「菜々子があんまり不安そうにするから正直に教えてやったのに。失礼にもほどがあるッ!」


 鼻息荒く捨て台詞を吐くようにして言い放つと同時、膝上の私のことをソファに下ろすやいなや完全に私に背中を向けて、あっち向いてほいを決め込んでしまっている。


 どうやら創さんは、以前、創さんの『まるで処女だな』発言に対して怒った私が放った、『二十歳過ぎて処女だとおかしいっていうそんな偏見、持たない方が良いですよッ!』この言葉に対して指摘しているようだ。


 一体、どういうことになっているのかというと……。


 この夢のような数日間を過ごしていた傍らで、私のなかで募りに募っていた不安を創さんに向けて、思い切って、ぶつけてしまったことが元々の発端だった。


『あのう、やっぱり処女だった私では物足りなかったんですか? だから、そういう気にもなれないんですか? もしそうなら、どうしたら創さんのことを満足させられるか教えてください』


 私の言葉に絶句して固まってしまった創さんの様子に、いたたまれない気持ちになってくる。


 そんな私が顔を俯けてしまったことで、いつもの如く創さんは勘違いして、私が泣くと思い込んでしまったらしいのだ。


 創さんは慌てふためいた様子で、


『ちっ、違うッ! 待て、泣くなッ! そうじゃない。誤解だ。ただ菜々子のことを大事にしたかっただけであって、満足してないとかそんなんじゃない。俺も初めてで加減がよく分からなくて。菜々子の身体に負担をかけたらと躊躇していただけだから安心しろッ』


そう言ってきたことにより、こういう状況となってしまっているのだった。


 ――あー、もうダメだ。降参します。


 さっきまでの不安が跡形もなく、綺麗さっぱり消え去ってしまった。代わりに創さんへの愛おしさが次から次へ絶え間なく、溢れてきてしまう。


 もう胸どころか全身におさまりきらなくて溢れだしてしまっている。


 それでもにわかに信じがたくもあった。


 だって、創さんが、ついこの前まで実は童貞だったなんて、そんなこと、信じられないし。


 創さんの初めての相手が、まさか私だったなんて、そんなこと、信じろっていう方が無理だと思う。


 どうしても信じられなかったものだから。


「創さんは私と違って大人だし、素敵だから、吃驚しちゃって、すみませんでした。でも、あの、本当に、その、私が……初めて……だったんですか?」


 創さんの背中に問いかけてみると、ピクリと僅かに反応を示した創さんがゆっくりと振り返ってきて。


「もう、いい。謝るな。こんなことで菜々子と過ごす貴重な時間を無駄にはしたくない。それに、元はといえば、見栄を張ってしまった俺のせいだ。菜々子が信じられないなら、信じられるまで何度でもいってやる。正真正銘、俺の初めての相手は菜々子だ」


 キッパリと断言してくるなり、私のことを広くて逞しい胸板へと抱き寄せて、ぎゅうっと身体が軋むくらいの強い力で抱き込んできたかと思えば、創さんは続け様に尚も言い放った。


「でも見栄を張るより以前に、ただでさえ緊張していた菜々子のことを不安にさせたくなかったんだ。だから許して欲しい。悪かった」


 その全ては、処女だった私のことを大事に想ってくれていたからこそ、だったのだという。


 ――こんなに幸せでいいのかあぁ。幸せすぎてなんだか怖いよ。


 創さんと想いが通じ合ったあの夜から始まって、この一週間、本当に夢でも見ているような心地だ。


 あんなに不安だったのが嘘だったかのように、幸せな心地だった。


 そんな私は、これが夢じゃないんだと確かめたい――その一心で、私は創さんの胸にしがみついたまま乞うような心持ちで声を放っていた。


「私も。私も創さんのこと許しますから、その代わり、これが夢じゃないんだってことを証明してください」


 ――自分にとって創さんが特別な存在であるように、創さんにとっても、そうであって欲しい。


 初めて好きになった創さんのことを独り占めしたい――。


 この時の私は、そんな想いに突き動かされていたのだった。 


 私の願いも虚しく、創さんは、どういう訳か難しい表情で黙り込んでしまっている。


 もうすっかりその気になっていた私は、それが焦れったくて焦れったくて仕方がなかった。


 待てど暮らせど返事もなく、とうとう痺れを切らしてしまった私は、創さんの言葉に疑問を抱いてしまい。


『やっぱり、処女だった私に気を遣ってくれてたんですね。もしかして童貞っていうのも嘘なんじゃないですか?』


『はっ!? どうしてそうなるんだ? 分かった。これから俺が夢じゃないんだってことをたっぷりと教えてやる』


 結果的には、私の言葉でいつもの調子を取り戻した創さんがその気になってくれて、めでたしめでたし。


 そのまま私のことをお姫様抱っこして主寝室へと運ぼうとする創さんに、


『あの、ちょっと待ってください。その前に、お風呂に入らせてください』


そう願い出たことによって。


『なら、一緒に入ればいいじゃないか』


 事もなげにそんなことを言い放った創さんのこの言葉により、私は創さんと初めてのお風呂を体験することになってしまっている。


 まさかそんな事態になるとは思ってもなかったので、狼狽えた私は慌てて。


『ーーへッ!? あっ、いやいや、一人で結構ですッ!』

『まぁ、そんなに遠慮するな。刺激があった方が記憶も残りやすいだろうしなぁ』


 このように、異議を唱えたのだけれど、すっかりその気になってしまっている創さんに瞬時に却下されたのだった。


 そればかりか、創さんによって恥ずかしすぎる洗礼を受けることとなってしまい。


 大きな窓から都会の煌びやかな夜景を見下ろすことのできる、なんともラグジュアリーなバスルームでは、創さんが織りなす甘やかな愛の言葉とキスの嵐が絶えることなく吹き荒らしていたのだった。


『……菜々子、好きだ。愛してる』


 その後も主寝室のベッドへと移動してからも、それは幾度となく繰り返され、気づいた時には既に朝を迎えていたのだった。




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