第50話 王子様からの贈り物~後編~

 あの日は土曜日で今日が火曜日だから、まだほんの三日ほどしか経っていない。


 そのため、それはもうくっきりハッキリと。


 因みに、あの日以来、”そういうこと”はしていない。


 だから、そろそろ、そういうことがまたあるんじゃないだろうか。


 そんな緊張感に見舞われている間に、車はいつの間にやらマンションの駐車場へと到着してしまっている。


「明日もいつもの時間に頼む」

「はい。畏まりました。それでは失礼いたします」

「あぁ、世話になった。気をつけてな」


 極度の緊張感に見舞われてもはや微動だにできずにいる私のことをひょいっと難なく抱き上げた創さんは、鮫島さんと言葉を交わすと、スタスタと歩き出してしまうのだった。


 ――いよいよなんだ。


 そう思いつつ創さんの腕の中で身構えていたのだけれど。


「どうした? やけに静かだな? もしかして、このあとのことを案じてるのか?」

「……ッ!?」


 それをあっさり見破られてしまい、真っ赤になって狼狽えることしかできないでいる私に向けて。


「ハハッ。菜々子は分かりやすいな。顔に全部書いてあるぞ?」


 創さんが尚も追い打ちをかけてきた。


 その言葉に、うっかり者の私は思わず顔に手を当てて確認するというおバカっぷりを披露してしまっている。


 そんな私のことを蕩けるような笑顔同様の、甘い眼差しで見つめつつ。


「ハハッ、冗談を真に受けるな。あーあー……。菜々子と一緒だと本当に楽しくて時間が経つのもあっという間だな~」


 軽いツッコミをお見舞いしてから、なにやら感慨深げに独り言ちるように呟いた。


 そうして今度は、気持ちを切り替えるようにして、


「さてと、帰ったらさっさと風呂に入って寝るぞ」


そう言ってくるなり、


「……あっ、はいッ!」


私の返事を聞き終えないうちに、創さんは、何もなかったかのようにスタスタと部屋に向けて歩き出してしまったのだった。


 ついさっきまで、あんなにテンパっていたクセに。


 ――なんだ。何もないのか。


 創さんの腕の中で揺られながら、私はがっかりしてしまっていたのだった。


 そんな私の心の中には……。


 やっぱりこれまで色んな女性とそういうことをしてきたのだろう、創さんにとったら、私みたいな処女では、物足りなかったんだろうなぁ。


 ……もう飽きられちゃったのかなぁ。


 いやいや、そんなことはないよね。今だって、私と一緒だと楽しくてあっという間に時間が過ぎるって、そう言ってくれてたんだもん。


 ――愛梨さんが言ってくれたように、創さんのことを信じないと。


 いつしか不安が芽生えていて、でもそれを愛梨さんの言葉のお陰ですぐに打ち消すことのできた私は、気持ちを切り替えることができたのだった。


 翌日の二日目のデートでは、昼間は映画館でカップルシートで隣り合った創さんとゆっくり寛ぎながら流行の映画を鑑賞して。


 夜は、創さんの提案により、都会の夜景を優雅に眺めながら、美味しいディナーを堪能するという、なんとも贅沢なナイトクルージングを楽しんだ。


 その翌日の三日目のデートでは、ちょっと遠出をすると言うからどこに行くかと思えば。


 なんとチャーターしたヘリに乗って、都心から富士山の麓までの空中ドライブを楽しみつつ、辿り着いたのは、綺麗な湖の畔にある素敵なコテージだった。


 そこでしばし都会の喧騒を忘れて、ゆったりのんびりと過ごした。


 王子様然とした創さんと夢のようなひとときを過ごしているうちに、一週間なんてあっという間に過ぎ去っていて。


 とうとう休日の最終日である夜を迎えてしまっている。


 今日は、最終日ということで、どこにも出かけずに一日中創さんのことを独り占めしていた。


 創さんは最終日だからこそ、どこかに出かけようと言ってくれた。


 けれど、明日から仕事である創さんにこの数日間の疲れを癒やして欲しかった。


 なので、マンションでゆっくり過ごしたいとお願いしたのだ。


 それから、貴重な休日を私のために費やしてくれた創さんに、私なりにお返しをしたいという想いもあった。


 スイーツに目のない創さんのために、とびきりのスイーツを作ってあげたい――。


 そんな想いから、ごくごく自然に出た言葉だった。


 それがまさか……。


『創さん。休みの間、色んなところに連れてってくれたお礼に、スイーツを作ろうと思うんですが、何が食べたいですか?』

『別に俺は見返りが欲しかったわけじゃない。俺が菜々子と一緒にやりたいことをやったまでだ。だから菜々子が気にやむ必要はない』


『私も。私も一緒です。見返りとかそういうんじゃなくて、ただ創さんのために何か作りたいだけなんです。だから、作らせてください。お願いします』

『だったら、フォンダンショコラがいい。フォンダンショコラを菜々子と一緒に作りたい』


 創さんから、私と一緒にフォンダンショコラを作りたい――そんな言葉が飛び出してきて、創さんと一緒に作ることになるなんて。


 なんだか夢でも見ているような心地だった。


 勝手知ったる広くて綺麗なキッチンで、いつものように黒いコックコートに身を包んだ私の隣に、腕まくりした白いシャツに細身のジーンズ姿で張り切っている創さんがいて。


 その傍らには、カメ吉に転生した愛梨さんがいる。


 という、なんとも夢のようなコラボレーション。


 といっても、愛梨さんは亀なので静かに見守ってくれているだけ、なのだけれど。


 そういえば、休日に入ってからというもの、カメ吉のお世話は創さんが菱沼さんにお願いしてくれていたので、愛梨さんと話す機会もなかったから、六日ぶりかもしれない。


 そのせいか、いつもお喋りなはずの愛梨さんは、創さんが近くに長時間居るせいで、感激でもしているのか、私に気を遣ってくれているのか、はたまた転た寝でもしているのか、やけに静かだったように思う。


 けれども、創さんと一緒にスイーツを作るという夢のようなミッションに心躍らせていた私には、愛梨さんの様子にまで気を配っているような暇などなかった。


***


 なんでもそつなく熟してしまいそうな創さんは、スイーツは好きでも作るのは初めてというのもあって、小麦粉をふるいにかけるのでさえ、いちいち大騒ぎだった。


『おい、菜々子。言われたとおりふるいにかけたが、こんなに減っても大丈夫なものなのか?』

『――ええッ!? ちょっ、ちょっと待ってくださいッ! そんなに高いところでふるっちゃったら、そりゃ粉が舞い上がって減っちゃいますよッ!』


『……確かにそうだな』

『もー、顔にまで粉がいっぱい付いて真っ白けじゃないですかぁ』


『……返す言葉もないな。悪かった』

『じゃあ、このクーベルチュールチョコレートを湯煎にかけてもらってもいいですか? こうやってヘラで混ぜてくれるだけでいいので』


『それなら簡単そうだな。よしっ、任せろ』


 頭から顔からもう全身どころか、そこらじゅう粉まみれにして、シュンと申し訳なさそうに大きな身体を竦ませてしまったり。


 そうかと思えば、新たなミッションを与えられて、ぱあっと花が咲いたみたいに、とっても嬉しそうに笑顔を綻ばせつつ、得意げに作業に没頭していたりと。


 創さんの姿は、まるで小さな子供のようで、ムチャクチャ可愛らしかったし、ちょっぴり危なっかしくもあって、私の目は色んな意味で釘付け状態だった。


 こんな簡単なことなのに、どうしてそんなことになっちゃうの?


 ……と、つい呆れたような声を放ったりもしたし、創さんとのスイーツ作りは思いの外難航したけれど。


 とっても楽しくて、広いキッチンには、終始大笑いしたりして大騒ぎする私と創さんの賑やかな声が絶えず響き渡っていた。


 そうして現在。


 夕飯を済ませ、ようやく片付けも終えて、たった今焼き上がったばかりのフォンダンショコラを前に、いつものように、ソファに腰を落ち着けている創さんの膝上にちょこんと座った私は創さんと対峙している。


 ただいつもと違うのは、フォンダンショコラを盛り付けた食器に添えられているフォークが、盛り付ける際に創さんから贈ってもらった、上品で繊細な装飾を施された銀製のモノであるということだ。


 なんでも、宮内庁御用達の銀食器メーカーの職人さんが丹精込めて一つ一つ手作りした特注品であるらしい。


 それだけでも吃驚なのに。


 桐の箱に収められた、カトラリーの一つ一つには、筆記体で、『Nanako』と私の名前が丁寧に刻印までなされていたものだから、私はスッカリ恐縮してしまっている。


 創さんは、恐縮しきりの私のことを自身の広くてあたたかな胸にそうっと抱き寄せると、”銀食器が贈り物とされるようになった謂れ”を静かに語り始めた。


「ヨーロッパの貴族が銀食器を愛用していた理由の一つは、毒殺を未然に防ぐためだったと言われている。というのも、銀には、青酸カリなどヒ素化合物に触れたとき化学反応を起こすという性質があるからだ。それから、晩餐会など客人を招いたときに、毒など入ってないから、どうぞ安心してください。そんな意味もあったらしいんだ」


 私は創さんの身体から直に伝わってくる穏やかな声音に耳を傾けつつ。


 ――あっ、そういえば、そんな話どこかで耳にしたような気がする。


 それに、銀食器は長時間放置しておくと変色したりするため、しっかりと手入れする必要がある。


 すなわち、手入れをしてくれる忠誠心のある家臣を雇う財力があることの証。


 また、それを誇示する意味合いもあるんだっけ。


 そんな謂れから、銀食器を使う家に生まれた赤ちゃんは幸せになれる、ともいわれていて。


『銀のスプーンをくわえて生まれてきた赤ちゃんは幸せになれる』


 そんな言葉があるのも知っていたし、出産祝いに銀食器を贈るようになった、ということも知っている。


 ――でも、それをどうして私に、このタイミングでプレゼントしてくれたんだろう?


 創さんの言わんとすることが掴めなかった私は、創さんの胸から顔を上げ。


「その話なら聞いたことあります。確か、手入れも大変で、裕福な家でないと管理できないことからも。銀食器には魔除けの意味もあったり、幸せの象徴でもあり。貴族にとっては、ステイタスでもあったんですよね? だから、出産祝いにもなっているくらいですもんねぇ」


 創さんの言葉に補足するようにして、とにかく何が言いたいかを早く引き出そうと、その先を促すために放った私の声に、


「あぁ」


穏やかな声音で答えてから、ゆっくりと頷いて見せた創さんの表情は、どこか寂しげで。


 胸がキュッと締め付けられるような心地がした。


 ――それに、なんだろう? さっきから胸がざわざわして落ち着かない。


 妙な胸騒ぎに苛まれた私の元に、創さんの穏やかな声音が再び静かに届くのだった。


「菜々子が言ったように、銀食器は幸せの象徴でもある。菜々子には、幸せになって欲しいんだ。そんな願いを込めて用意したんだ。だから、遠慮なく受け取って欲しい。そして使うたびに俺のことを思い出して欲しいんだ」


 創さんの声音がいつになく穏やかで静かなものであるせいか。


 そしてまた、妙な言い回しだったせいもあって。


 さっきから妙な胸騒ぎを覚えてしまっていた私は、何かを考えるまでもなく、無意識に言葉を放っていた。


「あのう、どうしてそんな、まるで、今日でお別れみたいな言い方するんですか? それに私、今、充分すぎるくらい幸せですよ?」


 そうしたら、創さんは、急に可笑しそうに豪快に笑い始め、いつもうっかり者の私に笑い飛ばしながらツッコミをお見舞いするようにして。


「ハハハッ、なんでだよ。深読みしすぎだ。これから結婚するってのに、そんな訳あるはずないだろう? バカだな」


「……本当ですか?」


「ああ。実は、この休みが終わったら、海外出張に行かなきゃならない。それで、このマンションに菜々子をひとり残してはいけないから、明日からしばらく実家に戻ってて欲しいんだ。恭平さんともゆっくり話したいだろうし」

「……それはいいですけど」


「まぁ、結婚前の家族団らんを楽しんで欲しいってことだ。それで、おそらく式の直前まで会えないと思う。その間、浮気なんてするなっていう、魔除けの意味と、今よりもっともっと幸せにしたいって意味でもあるし。それを使うときに俺のことを思い出して、俺の居ないあいだの寂しさを紛らわせて欲しいってことだ」 


 不安がる私に、いつになく明るいおどけるような声音でそう言ってきた創さんの言葉に。


 ――なんだ。そういう意味だったんだ。急に変なこと言い出すから吃驚した。


 でも、それならそうと、もっと早く言ってくれればよかったのに。


「もう! 吃驚するじゃないですか。どうして早く言ってくれなかったんですか?」


 ホッと胸を撫で下ろしてすぐ、不服に思った私がムッとして放った声にも、創さんは可笑しそうに笑ってから。


「だってしょうがないだろう? 準備はいつも通り菱沼に任せてあったし、菜々子と過ごすのがあんまり楽しくて。俺もさっき、このカトラリーが届くまですっかり忘れてたくらいだからな」


 少しも悪びれることなく、さっきの寂しそうな表情はなんだったのかと思うくらい、創さんの表情と声は、いつも以上に明るいものだった。


「なんだ。そうだったんですか」


 確かに、私も初デートに浮かれまくっていたから、創さんの気持ちも理解できる。


 だからその後は、これまで同様に、フォンダンショコラを食べさしあいっこしたりして、楽しいひとときを過ごした。


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