愛梨さんが起こした奇跡!?

第55話 愛梨さんが起こした奇跡!?


 今はもう逢うことは叶わないけれど、こうしたふとした瞬間に、道隆さんや、誰かの中で今も息づいている父や母の面影に触れることができるんだ。


 こうして触れるたびに、今はほんの僅かしかない父の面影だって、これからどんどん増えていくのだろう。


 ――だったら寂しくなんかない。私の中でずっとずっと息づいていくんだもん。こんなに心強いことはない。


 これから、どんなことがあっても、きっと大丈夫なはずだ。


 場所が日本であろうと、ロサンゼルスであろうと、そんなの関係ない。


 伯父、道隆さんの優しさに思わず泣いてしまったけれど。


 お陰で、大事なことに気づかせてもらった気がするから結果オーライ。


 間接的にではあっても、両親の想いや優しさに触れることができて、勇気百倍。あとは創さんの元へ向かうだけ。


 しっかりと前を見据えようと、涙に塗れてしまった目尻や頬をさっと拭って目を凝らした。


 眼前を見据えた私の視界には、事故でもあったのか、青信号だというのに、渋滞の列をなした車の動きは完全に滞っている様子が映し出されている。


「……どうやら、この先で大きな事故があったようですねぇ」

「まずいなぁ。ここから降りて、走るわけにもいかないしなぁ」


 続いて、鮫島さんと菱沼さんの声が届いて意識を向けると、ナビを操作しながら渋い面持ちで見合わせている、二人の姿が視界に映り込み、途端に緊迫した空気が車中に漂い始めた。


 手にしたままだったスマートフォンで時間を確認すると、出発の時刻までもう三十分もない。


 ――ど、どうしよう。このままだったら間に合わないよ!


 さっきまでの涙なんてスッカリ消え失せ、頭の中では『どうしよう』という言葉だけが渦巻いている。


 そんな大ピンチのさなか、意外にも今はここに居ないはずの愛梨さんの声が意識にスーッと入り込んでくるのだった。


【菜々子ちゃん、ありがとう。菜々子ちゃんのお陰で、長年のわだかまりもようやく解けそうよ。これで私も、やっと成仏できるわぁ】


 今はカメ吉もいないし、愛梨さんの声が聞こえてくること自体、吃驚なのに。


 最後に愛梨さんから飛び出してきた、『成仏できるわぁ』の言葉に、最早私はパニック同然だ。


「ええッ!? ちょっ、それって、どっ、どど、どういうことですかッ!?」


「どういうこともなにも、この先で大きな事故があって、この通り、大渋滞を起こして動けない状況だ。間に合わないかもしれないが、次の便で追いかければ大丈夫だから案じるな」


 プチパニック状態の私の放った声に、愛梨さんの存在を知り得ない菱沼さんから、こういう時にも相変わらずの落ち着き払った声を返されてしまうのも当然だろう。


 ――あーもー、こんな時に面倒くさいな!


 胸中で悪態をつきつつも、しようがないので話を合わせるためにも菱沼さんに適当な言葉を返しておくことにした。


「そんなの見れば分かりますからッ!」

「なんだと? お前が訊いたんじゃないかッ!」


「まぁまぁ、菱沼さん。菜々子様はまだ若いんだし、きっと坊ちゃんのことで頭がいっぱいなんですよ。だから、こっちが気を利かせてあげないと。ねぇ?」

「……フンッ、お菓子の差し入れの威力は絶大のようだな」


 けれど、愛梨さんの言葉が気にかかってしようがなかったため、私の言葉はあんまりなモノだったようで、菱沼さんの逆鱗に触れてしまったようだった。


 菱沼さんが放った言葉通り、時折鮫島さんに差し入れてたお菓子が役立ったのかは定かじゃないが、鮫島さんが心強い味方についてくれていることは確かなようだ。


 といっても、この一月の間で、菱沼さんも厳しいながらも、意外と情にもろく優しいところがあるということを知っているからこそ、安心してさっきのような口をきけるのだけれど。


 まぁ、なんにせよ、鮫島さんのフォローにより、私は愛梨さんとのテレパシーでの会話に全神経を集中できたのだった。


 ……とはいえ、私はただ愛梨さんからの言葉に頭の中で念じるだけなので、特に何をするでもないのだけれど。兎にも角にも話に集中したのだ。


(あのう、愛梨さん、『成仏できる』って、どういことですか?)

【そのままの意味よ】


(いやだって、まだカメ吉としての天寿をまっとうできてないでしょう?)

【あぁ、あの話は全部嘘よ。この世の中に転生なんて。そんな小説みたいなことありっこないわよ。そうでも言わないと、幽霊だなんて言ったら、菜々子ちゃん怖がって私と話なんてしてくれなかったでしょう?】


(……ゆ、幽霊、だったんですか?)

【そうよ。カメ吉に取り憑いてたの。驚かせちゃって、ごめんなさいね】


(……あぁ、いえ)


 愛梨さんの『幽霊だった』発言には驚いたけれど、確かに、『転生』よりかは説得力がある。


 ――いやいや、もうどっちでもいい気さえしてきた。


 だってどっちにしろ、非現実的で、菱沼さんだけじゃなく、誰かに言ったところで信じてもらえっこないのだし。


 もうここまで来たら、ちょっとやそっとのことじゃ驚かない自信だってある。


 私はどこか達観したような心持ちで、愛梨さんの話に意識を傾けていたのだった。


【自分が幽霊だってことは理解しているの。といっても、正直自分がこれからどうなっちゃうのかなんて、分からないんだけど。もう時間がないんだってことは、なんとなく分かるわ。


おそらく、私の場合は、まだ幼かった創のことがどうしても気にかかっていたのね。私が居なくなってからずっと殻に閉じこもって他人を寄せ付けようとしなかった創が、菜々子ちゃんに出逢ったことで、色んなことに気づいて、思い悩んで、やっと独り立ちできた。


だからもう思い残すことがなくなったんだと思うわぁ。これでやっと子離れができたってところかしらねぇ】

(……そんな)


【この一ヶ月、本当に楽しかったわぁ。ありがとう。そのお礼に、創が乗る予定の飛行機、当分飛ばないようにしてあるから安心してちょうだい。くれぐれも、もう事故なんかに遭わないように、気をつけて向かってちょうだいね?】

(……ええッ!? ちょっ、ちょっと待ってください)


【あっ、私、湿っぽいのは嫌いだから、泣くのはなしよ。ということで、創と末永く幸せにね。それじゃあ、行ってきま~す】


 当然、全てを理解しきれないながらも、いよいよお別れなのだというのを愛梨さんの言葉から察した。


 けれどまだお別れなんてしたくなくて、思わず引き留めてしまった私の言葉も虚しく。


 一瞬、視界の中に白い煙でも立ち昇るようにして靄がかかると同時、創さんの部屋で目にした愛梨さんの肖像画と瓜二つの綺麗な女性の姿がおぼろげに浮かび上がった。


 だがすぐさま、全ては霧散するように靄が砕け散ったかと思えば、次の瞬間には、あたかも幻だったかのように跡形なく消え去ってしまう。


 明るい声を置き土産に、愛梨さんはいきなり現れたときと同じように、忽然といなくなってしまったのだった。


 ついさっきまでここに存在した愛梨さんはカメ吉だった時とは違い実態がなかったから、その言葉が正しいかどうかは別として。


 心の中にぽっかりと穴が空いてしまったようで。


 言いようのない寂しさを覚えた私は知らず知らずのうちに涙を流していた。


「……おいおい、今度は泣いてるのか? 今、空港に問い合わせたら、なにやら機体に不具合があったとかで、暫くは飛べないらしいから安心しろ」


 そんな私のことをぎょっとした表情で見やった菱沼さんからの、えらく優しい声で、愛梨さんの言葉が現実のものになったことを知ることとなった。


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