王子様からの贈り物

第49話 王子様からの贈り物~前編~


 いつものようにキッチンで朝食の準備に励んでいると、これまたお決まりのように壁際のサイドテーブルの上の水槽から愛梨さんの声が響き渡った。


【ねぇ、菜々子ちゃん? 創がまだ起きてきてないようだけど、まだ眠ってるのかしら?】


 どうやら朝に弱い創さんが、出勤する時間になっても姿を現さないものだから、案じているようだ。


 昨日は思いがけず嬉しいことがあって、いつもに輪をかけて元気いっぱいだった私は、頗る元気な声を放っていた。


「あぁ、大丈夫ですよ。なんでも、結婚式が終わったら仕事が忙しくなっちゃうとかで、新婚旅行もすぐには行けそうにないらしいんですけど。その代わり、ご当主の配慮で、今日から一週間、急遽お休みをもらえることになったらしいんです」


 説明を終えた私は、挽き終えたばかりのコーヒー豆に、適温に沸かしてあったケトルのお湯をそうっと静かに注ぎながら、鼻歌なんか歌ってしまっている。


 ドリップしたばかりのコーヒーのなんともいえない芳ばしい香りが鼻腔を擽り、思わずうっとりと目を細めて。


「あ~、いい香り~」


 なんて呟いちゃっている始末。


 そんな上機嫌な私をよそに、愛梨さんはどこか寂しそうな声音で。


【……そう。あの子なりに、けじめをつけようとしてるのかもしれないわねぇ】


 独り言でも呟くようにして、ボソボソと小さな声で、何かを口にしていたようだったけれど。


 鼻歌を歌いながら独り言ちていた私には、ハッキリ聞き取ることなどできなかった。


 気になった私が、すぐに訊きかえしてみても。


「……? 愛梨さん? どうかしましたか?」

【ううん、何でもないのよ。こっちの話】


 結局、愛梨さんが何を呟いていたのか分からず終いだった。


 けれども、どうやらカメ吉に転生している愛梨さんだからこそ、想うところがあるようで。


【親なんて無力なものよねぇ。こんなに近くに居たって何もしてあげられないんだから】

「……」


 いつも底抜けに明るい愛梨さんらしからぬ憂いを孕んだ寂しげな声音に、何かを返したくとも、どう声をかけていいかが分からない。


 急に黙りこくってしまった私に向けて、愛梨さんが謝ってくる。


【菜々子ちゃんはいつも明るくて優しいし、素直で裏表がなくて、話しやすいものだから、つい、愚痴を零してしまったわ。ごめんなさいね】

「……いえ、そんなことは」


 すぐに打ち消した私に、いつになく真剣な声音で語り始めた愛梨さんの様子に、私はドリップしていた手を止めて、水槽の置いてある方へと向きあい、愛梨さんの話に耳を傾けていた。


【きっと創もそうだと思うの。あの子は私に似て、引っ込み思案なところがあるから、上手く伝えられないこともあるかもしれないけど。菜々子ちゃんのことをとっても大事に想ってるはずよ。だから、もし何があっても、創のことを信じてあげて欲しいの。お願いね?】


 愛梨さんがどうして急にそんなことを言い出したのかは分からないし。


 途中、『私に似て、引っ込み思案なところがある』という言葉に、愛梨さんのどこが? と少々引っかかりもしたけれど。


 創さんと過ごしたこれまでのことを振り返ってみると。


 これまで創さんと一緒に暮らしてきた中で、強引だったり、意地悪だったり、不器用だったり。


 そうかと思えば、ムチャクチャ優しかったり、頼もしかったり、子供みたいにはしゃいでみたり。


 創さんのいいところも悪いところも、全部ひっくるめて、創さんのことを好きになったんだろうと思う。


 それは、愛梨さんの言うように、いつだって創さんが私のことを大事に想ってくれていたからに違いない。


 だから私は、愛梨さんに向けて頗る元気な声で即答していた。


「はいッ! 勿論ですッ! 任せてくださいッ!」


 そしてそれを、いつものようにちょこんと寝癖のついた髪をツンツン弄りつつ。


「……今日も朝から元気だなぁ」


 なんて言いながら、トレードマークであるチェック柄のパジャマ姿でキッチンの入り口へと姿を現した、まだ寝ぼけ眼の創さんに、どうやら愛梨さんとの会話を聞かれてしまっていたようだ。


 一体、どこから聞かれていたのかとドキドキしまくりの私の元に創さんが歩み寄ってくる。


 気づけば、いつぞやのように背後から腕に包み込まれてしまっていた。


「……!? えっ、と、あの」


 私は、どう言って説明すればいいのかという焦りと、羞恥のせいで真っ赤になって狼狽えることしかできずにいる。


「……で、どこに行くか決まったのか?」


 そんな私のことを背後から腕に抱き込んだ創さんが肩に顔を埋めると、甘さを孕んだ優しい声音でそう尋ねてくる。


 その言葉に私はハッとした。


 何故なら、朝からはしゃいでいた理由でもあった、創さんとの”初デート”のことをスッカリ失念してしまっていたから。


 実は昨日、帰宅早々、創さんに、父親との対面が一週間後に決まったことと、『それまでの一週間休みをもらったから、行きたいところを考えておいてくれ』、そう言われてずっと考えていたのだが……。


 なにせ、今まで色恋に縁なんかなく、色々妄想しているだけで、胸がいっぱいで、結局決められずにいたのだった。


 ――ど、どうしよう。


 創さんとの初めての記念すべき初デートなのに、頭が真っ白になって、なんにも思いつかないよ。


「……その様子だと、まだ決められないようだな? まぁ、急なことだったからなぁ。じゃあ、明日からの予定はこれからゆっくり決めるとして。今日は天気もいいし、水族館に行ってみないか?」


 たかが初デートにテンパってしまっているところ、創さんからの思わぬ助け船に救われた私は、思いの外大きな声を放ってしまってていた。


「はっ、はいッ! 水族館ムチャメチャ行きたいですッ!」

「ハハッ、じゃあ、決まりだな」


「はいッ! すぐに準備しますッ!」

「おい、待て待て。その前に朝食だろ?」


「あっ! そうでしたッ!」

「ハハハッ」


 創さんとの初デートに意識がトリップしてしまっている私は、いつにも増してうっかり者の本領を発揮し、創さんに朝から何度も笑い飛ばされてばかりいた。


***


 朝食後、それぞれに身支度を済ませた私たちは、都心のビルの上層階にある、”都会のオアシス”をコンセプトに造られたという水族館に来ていた。


 エリアが海中・浜辺・天空の三つのテーマに分かれていて、テーマにちなんだ演出がなされていた。


 館内が、都会のビルの中にあるとは思えない、非日常を味わえる癒やしの空間となっている。


 ちなみに、今日の私の装いは、創さんから贈ってもらった、クラシカルなパステルブルーのフレアワンピースだ。


 勿論、創さんも、見慣れたスーツ姿ではなない。


 真っ白なTシャツの上に爽やかなネイビーのコットンジャケットを羽織っただけという、カジュアルな装いだ。


 だというのに、ファッション雑誌から抜け出したんじゃないか、と思うくらいに格好良すぎる創さんの姿に、私は水族館に到着するまでの間、緊張してしまっていた。


 でもそれだけじゃない。


 今日は一日中、ふたりきりなのかとドキドキしていたのだが、鮫島さんの運転するいつもの黒塗りの高級車だったので、ホッとしたようなちょっぴり残念なような、そんな心持ちでもあった。


 けれども、そんなことよりも、車に乗ってすぐに創さんに肩を抱き寄せられて。


『俺の車でもよかったんだが、そうしたら運転中、菜々子に触れられないから鮫島に頼んだんだ。脇見運転して事故っても困るしな』


 耳元で、甘やかな声音で悪戯っぽく囁かれ、たちまち真っ赤になってしまった私の頬に、チュッと軽く口づけた直後には。


『こういうこともできないしな』


 そんなことを囁かれてそのまま膝の上にゴロンと頭をのっけられてしまえば、もう何かを考えるような余裕など霧散していた。


 まぁ、そんなこんなで、初デートとあってか、これまで以上の溺愛モードとでもいおうか、激甘な創さんとの、記念すべき初めてのデートがスタートしたのである。


 慣れというのは恐ろしいもので、あんなに緊張しまくりだったというのに、いざ水族館に足を踏み入れてしまえば、私は無邪気な子供のようなはしゃぎっぷりを創さんに披露していた。


 因みに、現在私と創さんが居るのは屋上にある天空エリアだ。


「うわぁ!? 凄いッ! 創さん、創さん。本当にペンギンが空飛んでますよッ!」

「ハハッ、そんなに何度も説明してくれなくても見れば分かる」


 興奮しきりの私は、マップを片手に館内をエスコートするように私の腰に手を回して歩く創さんの腕をぐいぐい引っ張って。


 抜けるように鮮やかなスカイブルーの空を水槽に閉じこめたかのような、透明のトンネルの中を、気持ちよさげに泳ぐペンギンの姿に魅入っている。


 そんな私のことを今朝と同じように軽く笑い飛ばして鋭いツッコミを入れながらも、創さんもとっても楽しそうにずっと破顔したままだ。


 だから余計に私は、はしゃいでしまっていたのだ。


 お陰で、いい具合に緊張も解れていた。


 いつしか創さんのツッコミにも、ムッとして言い返してみたり、時には顔を見合わせて笑い合ってみたりと、恋人らしい、やりとりもできていたように思う。


 これまで話したことがなかったことも話したりもした。


「そうですけど、こんなの見るの初めてなんですもんッ!」

「家族と来たことなかったのか?」


「はい。学校が休みの日は店があったんで」

「……あぁ、悪い。そうだよな」


 時には、ちょっと踏み込みすぎて躊躇してみたり。


 それをフォローし合うように、またお互いのことを話したりして。


「あっ、でも、子供の頃から母や伯母がお菓子作るの身近で見るのが好きだったのもあって、早く自分も作れるようになりたいって思ってたので。出かけたりするよりも、店の手伝いをする方が楽しかったんで、全然……って、ちょっと変わってますよね? へへっ」

「否、凄いことだと思う。きっとその頃から菜々子は今みたいに輝いてたんだろうなぁ」


「……そっ、それはどうか分かんないですけど。創さんの方が輝いてますよ。もう、キラキラしすぎて眩しいくらいですッ!」

「……ん? あぁ、確かに。今日は暑いし、水面に反射するせいか、陽差しが余計に強く感じるのかもなぁ」


 意外にも、創さんがちょっと天然なところがあるということにも、気づくこともできたし。


 初日から、緊張でどうなることかと案じていたけれど、すべては杞憂に終わって、"記念すべき素敵な初デート"となった。


 だというのに、朝からはしゃぎ通しだった私は、案の定、帰りの車中で転た寝をしてしまうという、大失態を犯してしまう。


 車が揺れる微かな振動がゆりかごのように心地よくて、程よい疲労感との相乗効果で、いつしか寝入ってしまっていたらしい。


「……ん? ああーッ!? 私ってば、いつの間にッ!」


 不意に目を覚ました私が慌てて起き上がろうとするも、転た寝していた場所がなんと創さんの膝の上だったために、それは叶わなかった。


「疲れただろうから、このままじっとしてろ。マンションに着いたら俺が運んでやるから。いいな?」

「……ッ!?」


 否、正確には、飛び起きようと思えばいくらでもできたのだ。


 けれど、寝起きで食らってしまった、創さんの蕩けるような笑顔の威力が凄まじすぎて、できなかったのだ。


 あたかも石にでもされてしまったかのように、カッチーンと硬直してしまっている私のことを膝枕してくれている創さんは、相変わらず蕩けるように甘やかな笑顔を綻ばせつつ、私の額やら頭を優しく撫でてくれている。


 胸はドキドキするし頭もクラクラとしてきて、どうにかなってしまいそう。


 けれどそれは、創さんの極上の笑顔と膝枕の効果だけが原因ではなかった。


 どういうことかというと……。


 水族館をあとにしてから、ウインドーショッピングしたりしているうち、すっかり日も暮れていていた。


 小洒落たイタリアンのレストランで夕食も済ませているので、あとはもう帰るだけ。


 創さんとの記念すべき初デートだし、おそらく今夜は――。


 そこまで思い至った私の脳裏には、創さんと想いが通じあった、あの夜のあれこれが映像となって鮮明に浮かんでいたのだった。


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