予期せぬ証言
第46話 予期せぬ証言
――今日は日曜で創さんもお休みだし、創さんと一日中一緒に居られるなぁ。
創さんの腕の中、そんなことを思いつつ、なんとも幸せな至福な一時を過ごしていたけれど。
邪魔でもするかのように、突如創さんのスマートフォンが着信音を響かせた。
いつも頗る寝起きの悪いはずの創さんも、仕事のこととなると別らしく。
私のことを腕に包み込んだままスマートフォンに手を伸ばした。
画面に表示されてる『菱沼朔太郎』の文字を確認した瞬間、「チッ」と忌々しげに舌打ちはしたものの。
仕事のことに頭を切り替えるように、私の身体から素早く離れ、ベッドの縁に腰を据えてから、始めこそ寝起きの掠れた声だったけれど、すぐにいつもの調子で話し始めた。
「……いや、問題ない。どうした? ……あぁ、分かった。いつもの時間に頼む」
これまでの私なら、別になんとも思わなかっただろう。
でも創さんのことを好きだと自覚して、創さんのものになった途端。
さっきまで創さんのぬくもりに包まれていたそのぬくもりが離れてしまっただけだというのに。
そんな些細なことで、言いようのない寂しさを覚えてしまったり。
仕事とプライベートをきっちりと区別しているのをチラリと垣間見ただけだというのに。
――素敵だなぁ。格好いいなぁ。
なんて思いながら通話中の創さんの姿にポーッと見惚れてしまっていた。
そんな感じで、ポーッとしているところを創さんにふいに抱きしめられてしまう。
「菜々子、身体のほうは大丈夫なのか?」
「……あっ、はい」
「そうか、良かった。悪いが、これから出勤することになった」
「……あっ、じゃあすぐに朝食の準備し――ッ!?」
「適当に済ませるから必要ない。もう少しだけこのままで居させてくれないか? 本当は菜々子と離れたくないが、そうもいかないし。少しだけでいいから頼む」
「……はい」
創さんも同じことを想ってくれていたんだ、と分かり、またまた私の胸はキュンキュンときめいてしまっている。
そんな浮かれモードの私は、昨夜のあれこれが、身体の至る所に生々しい痕跡や余韻と名残とが色濃く残っているため、創さんのことを意識しすぎてしまっていた。
そのせいで、言いたいことの三分の一も口には出せずじまいだったけれど。
まるでそれを補うように、創さんはいつにも増して優しくて、心なしか口数も多かったように思う。
そんなちょっとしたことが嬉しくて仕方ないんだから、恋のパワーは凄まじい。
恋の威力に感心させられ、嬉しさと気恥ずかしさを感じつつも、幸せな心地で、いつものように仕事に出かけていく創さんと菱沼さんのことを見送ったのだった。
そうして午前一〇時を少し回った現在。
大好きな創さんのために、旬のイチゴをふんだんに使ったタルトを作るべく、準備に勤しんでいる真っ最中だ。
タルトの材料や道具諸々を作業台スペースに並べて、それらと睨めっこしながら、頭の中で出来上がりのイメージをシュミレーションしていた時のこと。
定位置であるサイドテーブルから、愛梨さんのやけにニヤついた声が茶々を入れてきた。
【菜々子ちゃんったらぁ。そんなに張り切っちゃって、何かいいことでもあったのかしらぁ】
亀だから表情からは感情なんて読み取れないけれど、絶対にニヤニヤしているだろうことが、口調から丸わかりだ。
「……べっ、別にッ。創さんとは、何もありませんからッ! 何にもッ!」
愛梨さんの言葉に過剰に反応を示してしまった私の言葉に、何かを察した風な愛梨さんから、意味深発言が返された。
【今朝なんて、創のこと意識しすぎてなんだか変だったし。今の様子からして、うまくいったようねぇ。ふふっ】
ドキンッとさせられた私は、分かりやすいくらいに真っ赤になって絶句してしまうという大失態を犯してしまう。
「……ッ!?」
【キャー、菜々子ちゃんってば、カワイイ~ッ! この分だと孫にすぐ会えちゃいそうねぇ。ふふふっ】
ご当主と同じ返しをお見舞いされてしまった私は、益々真っ赤になってしまっていた。
そこに、嬉しそうな笑みを零してはしゃいでいた愛梨さんから、思いもしなかった言葉が飛び出してくるのだった。
【あっ、いっけない。忘れてたわぁ。そういえば昨日、創太くんから何か渡されなかった?】
愛梨さんの口からまさかそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかったから、一瞬呆然としてしまった。
まだ昨日のことだし、記憶も鮮明に残っていた私は、そんなことありっこないと思いつつも……。
カメ吉に転生した愛梨さんという、摩訶不思議な現象のこともあるので、全くあり得ないとも思えない。
だからといって、信じ切ることもできず。
「――えっ?」
驚きの声を放ってから、一拍ほどの間をおいて、半信半疑で問い返してみる。
「どうしてそんなこと知ってるんですか?」
愛梨さんは、相変わらず見た目は亀なので、感情なんて読み取れないが、えらく得意げに言い放った。
【だって、この目で見てたんだもの】
――どういうことだろう? まさか、透視でもしたとか?
……いやいや、さすがにそれはないでしょ。
でも、そうでもしないと、見ようがなかったと思うんだけど。
「……えっ、でも、創太さんに会ったとき、って言うか、愛梨さんは、ずうっと応接室に居ましたよねぇ?」
あれこれ勘案しながら、難しい表情で腕組みを決め込んで、愛梨さんに尋問する私は、まるで名探偵気取りだ。
そんな名探偵気取りの私に、やっぱりどこか得意げに返してくれた愛梨さんからの答えは、実に意外なものだった。
【そうよ。だって、転た寝してたらいきなり道隆さんが入ってきて、その後すぐに創太くんが現れたんですもの】
透視でもなんでもなく、応接室での二人のやりとりを目撃していたらしい。
愛梨さんの説明によると……。
創太さんのことを呼び出していたらしい道隆さんが、私に自分の連絡先を記したメモを渡してほしいといって、創太さんにあのメモを託していたらしいのだ。
そのことを聞かされた私は、すぐにパウダールームに向かい、ゴミ箱からあのメモを探しだしキッチンへと戻ってきた。
それからは、さっきまで創さんと苺のタルトのことしか頭になかった私の頭には、昨日対面したばかりの父親のことで埋め尽くされてしまっている。
作業の邪魔だからと隅に追いやっていた椅子を引き寄せ腰掛けた私は、作業スペースにだらりと突っ伏したままだ。
そうして時折、十一桁の携帯番号が記されたメモを眺めては、大きな大きな溜息を垂れ流してしまっていた。
――私と会っても、顔色一つ変えなかったクセに。
私のことなんて、どうでもよかったんじゃないの? 私なんて、邪魔な存在でしかないんじゃないの?
ーーなのに、今更なんの用があるって言うんだろう?
そうは思うのに……。
もしかしたら私のことを気にかけてくれてるのかな?
何か事情があって、会えなかっただけで、本当は会いたいって思ってくれてたのかな?
なんて、期待めいた思考がヒョッコリと顔を出す。
けれども、父親のことを何も知らないため、こうして浮上しかけた気持ちをネガティブな思考が邪魔をして、また沈んで、その堂々巡り。
そうやって、私が浮き沈みしていた間。
いつもは空気の全く読めない愛梨さんも、複雑な私の心情を察してか、はたまたただ眠いだけなのか、えらく静かだなと思ったら、転た寝中だったようだ。
お陰で、広いキッチンは静寂に包み込まれていて、なんとも物寂しい、暗い雰囲気に満ちていた。
***
しばらく経った頃。
転た寝中だと思っていた愛梨さんから、突如大きな声が飛び出してきて。
【菜々子ちゃんッ!】
驚きすぎた私は、危うく椅子から転げ落ちるところだった。
それをなんとか免れて、ホッと胸を撫でかけている私の元に、再び愛梨さんの底抜けに明るい、ポジティブな声音が放たれた。
【一度会ってみればいいのよ。いくら離れていたっていっても本物の親子なんだもの。きっと長年のわだかまりも解けて、分かり合えると思うわぁ】
確かに、そうなのかもしれない。けど、どうしても尻込みしてしまう。
父親にとって、もしも本当に自分の存在が邪魔で、私のことを排除しようとしてるのだとしたら。
そう思うと、怖くてしようがない。
残酷な真実を突きつけられてしまったら、今度こそ立ち直れないだろう。
どんどんネガティブな思考に侵食されゆく。
このままどこまでも沈んでいきそうになっていたところに。
【菜々子ちゃん、そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。道隆さん、菜々子ちゃんのこととっても心配してたみたい。それに、菜々子ちゃんには婚約者である創がついてくれてるんだから、大船に乗ったつもりで、ドーンと構えていればいいのよ。きっとうまくいくから安心なさい】
流石は親子。そう思うくらいに、創さん並の自信たっぷりな口調で、そう言ってきた愛梨さんの言葉が胸にグッときた。
一瞬、泣きそうになってしまったけれど。
愛梨さんの言葉と、創さんの存在に後押しされて。
――そうだ。私には創さんがついてくれているんだから、大丈夫。昨日はちゃんと話す機会もなかったし、一度くらい話を聞いてみてもいいかも。
そう思い始めていた。
ちょうどその頃。
帝都ホテルの応接室で、父親である桜小路道隆さんと婚約者である創さんとが、真っ向から対峙していたなんて、夢にも思っちゃいなかった。
「これ以上、あの
「不倫して子供まで作っておいて、ゴミ屑のように捨てたクセに、今更。物は言いようですね。菜々子のことが貴子伯母さんにバレるのが怖いだけでしょう」
「創くんこそ、咲姫の身代わりにしてるんじゃないのか?」
ましてや、このような会話が交わされていたなんて知る由もない。
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